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映画『ファーストキス 1ST KISS』の話
2/8 に見てきた映画『ファーストキス 1ST KISS』がとてもよかったので印象に残っているシーンとともに感想を残しておきます。
あらすじは下記から
印象に残ったシーンとか個人的感想
ストーリーとしては"最愛の人が不運でなくなり、その人を助けるためにタイムリープを実施する"、という王道の時かけもの。になっているのですが、ユニークな点は不運の事故で死んでしまう前に、すでに二人の夫婦関係が完全に冷めきっていたというところ。本物語の主人公であるカンナは、死ぬ前の時間を取り戻すぞ!というマインドではなく、ある種自分自身のこれまでの結婚生活に後悔を抱えながらタイムリープを繰り返していくことになります。
①カンナの行動力、その足跡は無数のチェキに
このような状況で始まる二人のタイムリープ物語ですが、個人的には最高のラストだったと思います。そのラストまで物語を運んだ一つの要因が、カンナの行動力。
前述した通り、二人の関係は冷めきっていたのですが、一度偶然タイムリープして「過去を変えることによって未来が変えられる可能性がある」ということが分かってから、カンナは「過去を変え、駈を助ける」ということに躊躇がありませんでした。当時の自分に鉢合わせて自身の体に激痛が走る体験をしても、(本編で言及されませんでしたが)過去を変えることによって今の自分が変わってしまう可能性があっても止まらない。たとえ未来が変わった後、また冷え切った夫婦の関係が待っているとしても、彼女は止まらない。
夫婦の関係は終わっていたけど、日常に当たり前に存在していたまだ夫を思う気持ちと、15年前の当時の夫に会ってしまい感情が揺れたことで、必死に過去に戻って解決策を探すカンナ。過程の段階ではコミカルなシーンもあり楽しく見れていましたが、終盤に無数のチェキとなって現れた、そのあがいた足跡に思いっきり泣かされてしまいました。きっと最後のターンで彼女は、ループの事を話そうとは思っていなかったはずで、(偶然付箋によって見つかることになるわけで)そのチェキは自分が変えることができなかった"自分の失敗の証"であり、それを形見離さず持っていたその心境はどれほどのものだったのだろう、と考えてしまいます。最後のターンの冒頭、2階のテラスでシャンパンを飲む駈を1階から見つめるカンナの、諦めにも、謝罪にも、慈愛にも見えるその表情を忘れることができません。
②靴下を見つめる駈の想像力
あのラストへと導いたもう一つの要因が、駈のもつロマンチシズムに支えられた想像力の豊かさ。古代生物学を勉強していることもあり、ロマンや目には見えない、まだ証明されていないことについて考え、理解しようとする彼の人間性にこのラストは支えられていました。(その分、タイムリープ前のただ地続きに続くリアルにすり潰されてしまった彼を見るとくるものがあります。)
偶然自分が15年後に死ぬ運命であることが分かってしまった駈。その後、カンナが15年後から来たという、まるで空想のような話を聞かされることになるわけですが、それをこの男は一旦有り得る話、として飲み込みます。この飲み込むスピードがすごい。更にこの男はそこから思考を伸ばし、これまでのカンナの接し方や、自分が感じていた直感などから、カンナが自分の妻であるところまで自分でたどり着きます。すごい。ありえない。常人では考えられないような思考耐久力と勇気です。
よくある流れだと、「そんなのありえない!」と言われた側はなり、そこで相手が、未来を見ていないと(もしくはその人自身でないと)知らないような情報を人質のように突きつけ「それを知っているということは…この話本当なのか..?」となるのが割と一般的な話の展開ですが、そんなものは一切ない。「あなたは死にます」と言われていて、それを覆せるような胡散臭い話が目の前にあるのに、フラットな目線で、「話が嘘ではない可能性が一番高いだろう」という判断を自分自身で下すのです。それは自分の死を受け入れていることと同意で、あまりも自分だったら無理だなと思ってしまいます。すごい。このあたりにも彼の「チュンっと言う間に人生は終わる」という生死観が現れているのかもしれません。
さらにさらに彼は止まりません。自分たちの夫婦が未来では冷え切ってしまっていたという事実がわかり、そして、自分たちが会わなければきっと15年後の死を止めることができると言われます。しかし「これから先会わないように」というお願いに対し、彼の返事は"NO"でした。えぐい。ここのシーンで彼の持つ、纏う雰囲気のグラデーション(という表現であっているのか分かりませんが)がすさまじかったです。「離婚したくない」や「今の君に会えるのならたとえ死んでも同じ選択をしたい」と話す彼は、まるで今の彼と、15年後の彼が共存しているかのよう。それは、片や15年生きてきて、何度もタイムリープを重ねてきたカンナと、片や今日カンナと出会い、今この場を知らされた自分とでは圧倒的に持っている情報や経験、それによる感情に大きな差があるのは明白で、その差を彼は想像することによって必死に埋めようとしているのだと思いました。
カンナの履いている靴下が明らかに足より大きいサイズであることに気づいたとき、15年という月日を経ていかに二人がそれぞれの日常になっていったのか、彼女の人生に自分という存在がどれほどしみ込んでいるのか(逆もしかり)、たとえ冷めきっていたとしても何度も助けようとするカンナの心境はどれほどのものだったのか、「一緒にパン屋をやろう」と言われただけでプロポーズと捉えてしまうほど初心であった彼なりに、必死に想像を膨らましたことが容易に想像できます。そんな思いが最後のプロポーズのシーンへとつながるのだと思います。
③日常になっていくことの絶望と奇跡
そして最後の手紙のシーン。(パンフレットに手紙一部を乗せてもらえていてとても助かります。)とても印象深い「寂しさ」の話はもちろんですが、私は、2人でいることが日常になっていく"奇跡"についての話で涙が止まりませんでした。カンナが散々言っていた「結婚とは欠点探しである」という話は(私は結婚したことがないので感覚にはなりますが)きっとそうなのだろうと思います。だからこそ「大切な人に出会い、出会った頃のように十数年お互いを思いやり続ける、それがそれぞれの日常になる」という事がどれだけ奇跡的なのか、ということが説得力を持って伝わってきました。あんなにハッピーな関係性になり得たはずの二人もボタンをかけちがえた以前ではあの始末だったわけで、それは「タイムリープして大切な人に再び会う」ことよりも、本当に、本当に奇跡なんだと、そう感じて少しの絶望と、より少しの希望を抱いた結末でした。
最後に
下記このあたりもすごく心に残っているのですが、一旦箇条書きに留めます。元気があれば後日書きます
・立体的に作られる時系列メモ
・吉岡里帆からの突き刺さる「悔しかったです。」
・その後の別れを決意した後の部屋を見回す時間
・最後のターン、駈視点への助走となる"あの一日"の始まりの朝の描写
・代引きの冷凍餃子
それと、もう散々言われていることですが、俳優陣の演技が本当に凄まじかった。特に主演であるあの二人でなければ本当に実現しなかった映画だったと思います。時間をみつけて、もう一度スクリーンに足を運びたいと思っています。書きたいことを思い出したり、もう一度みて違う感想を抱いたら加筆します。いい映画をありがとうございました。