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なぜ人は飽きるのか?――退屈の心理学・神経科学・進化論から創造性まで
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はじめに
みなさんは最近、「なんだか退屈だなあ」と飽き(退屈さ)を感じたことはありますか?学校の授業中や職場での会議、電車での長い移動時間など、やることが無いときや単調な作業をしているとき、時間がゆっくりと進むように感じてしまう……そんな経験は誰にでもあるでしょう。スマートフォンやインターネットで常に情報や娯楽に触れられる現代でも、「飽きる」瞬間は不意に訪れます。例えば読みかけの本に集中できずについスマホをいじってしまったり、テレビをつけてもすぐチャンネルを変えてしまったりすることはないでしょうか。
一般に「退屈」や「飽きっぽさ」はネガティブなものとして捉えられがちです。子供の頃、「飽きずに最後までやりなさい」などと注意された記憶がある方もいるかもしれません。退屈は怠け者の証拠、飽きっぽい性格は良くない――そうしたイメージが私たちには染みついています。しかし一方で、「退屈なときこそアイデアがひらめく」といった話を聞いたことはないでしょうか。実は退屈や飽きる感情には、人間の心理や創造性にとって重要な役割やメリットもあるのです。本書では、この「飽きる」という現象をさまざまな角度からひも解き、私たちの脳や心にとっての意味を探っていきます。
第1章では、まず「飽きる」とは何か、その心理学的な定義や特徴について解説します。次に第2章で脳内の化学反応に注目し、退屈を感じているとき脳内で何が起きているのか、ドーパミンなどの神経伝達物質との関係を見てみましょう。第3章では進化論的視点から、なぜ人類が「飽きる」という感情を持つに至ったのか、その進化上のメリットについて考えてみます。続く第4章では現代社会に話題を移し、スマホや情報過多の時代における飽きやすさへの影響を探ります。第5章では退屈のポジティブな側面として、飽きが創造性やマインドワンダリング(心の散歩)にもたらす効果を紹介します。そして第6章では、私たちが日常で飽きをコントロールし、退屈をうまく味方につける方法について具体的なアイデアを提案します。
本書を読むことで、「飽きっぽい自分はダメだ…」と否定的に捉えていた方も、その感情の裏側にある意味や価値に気づけるかもしれません。飽きは決して悪者ではなく、「もっと刺激がほしい」「何か変えなければ」という心からのサインなのです (What Does Boredom Do to Us—and for Us? | The New Yorker)。それに耳を傾け、上手に対処することで、私たちはより創造的で充実した時間を過ごすことができるでしょう。それでは、退屈と飽きの不思議な世界へと一緒に踏み込んでみましょう。
第1章 「飽きる」とは何か? 心理学的な視点から解説
「退屈」という感情の定義
まずは「飽きる」「退屈である」とはどういう状態なのか、改めて定義してみましょう。心理学において退屈(飽き)とは、興味や刺激、達成感が欠如したときに生じる不快な感情状態だとされています (Boredom–understanding the emotion and its impact on our lives: an ...)。何か活動をしていてもそれに意味や面白みを見いだせず、心ここにあらずな感じがする――それが退屈の典型です。例えば単純作業の繰り返しで「やってもやってもつまらない」と感じたり、逆に何もすることがなく手持ち無沙汰で落ち着かないとき、人は退屈を感じます。
退屈になると多くの人はそわそわと落ち着かなくなったり、時間の流れが遅く感じられたりします。「暇を持て余す」とも言いますが、何とかして今の刺激の無い状況から抜け出したくなるので、時計を頻繁に見たり、足で貧乏ゆすりをしたり、関係ないことを考え始めたりします。退屈とは、一言で言えば「今の活動や状況では自分の心が満たされていない」というサインなのです (Are you a fan of being bored? Would you like to become one? It is ...)。このサインを受けて、人はしばしば別のもっと興味深い何かを求めて行動を変えようとします。つまり退屈になること自体が、より有意義な行動への心の促しと言えるでしょう (Are you a fan of being bored? Would you like to become one? It is ...)。
心理学者たちは退屈を「感情の一種」として研究してきました。楽しいや嬉しいといったポジティブ感情とは異なり、退屈はネガティブな感情に分類されます。しかし不安や怒りのような強いネガティブ感情とも異なり、どちらかと言えば低いエネルギー状態の不快感と表現できます。退屈しているとき、人はなんとなく気分が沈んだり無気力になったりしますが、同時に「何かしたいのにできない」というジレンマも抱えています (What Does Boredom Do to Us—and for Us? | The New Yorker)。この独特の感情状態について、次にもう少し詳しく見てみましょう。
注意不足が生む退屈 〜「集中できない」ジレンマ〜
退屈は**「何かをしたい気持ちはあるのに、今ある選択肢には気が乗らない」という欲求の板挟み状態**で起こります (What Does Boredom Do to Us—and for Us? | The New Yorker)。これは心理学的には注意力や認知の問題とも深く関係しています。例えば講義を聞いていて退屈する場合、頭では「集中しなきゃ」と思っているのに内容が頭に入ってこず、他のことに意識が飛んでしまう、といった経験があるでしょう。退屈な状態では注意の焦点が定まらず、心が現状から離れてさまよってしまうのです。
カナダの心理学者ジョン・イーストウッドらは、退屈を「注意の課題に対する関与が不十分な状態」と定義しました (What Does Boredom Do to Us—and for Us? | The New Yorker)。簡単に言えば、やるべきこと(目の前の作業)に注意を向けられず、かといって他に注意を向ける適切な対象も見つからないために生じるのが退屈だということです。確かに退屈しているとき、私たちの心はフワフワと別の考え事を始めたり、周囲の些細な刺激(例えば壁のシミを眺めるなど)に逃げ込んだりしますよね。これは、現在の活動に注意を向け続けることが困難で、注意の行き場を失っている状態とも言えます。
また心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した**「フロー理論」も飽きとの関係でよく引き合いに出されます。フロー状態とは、人が課題に没頭し充実感を感じている状態ですが、これを達成するには課題の難易度と自分のスキルレベルが釣り合っていることが必要です。課題が簡単すぎる(自分の能力に対して刺激が弱すぎる)場合、人は退屈を感じてしまいます。逆に難しすぎる場合は不安やストレスになります。つまり退屈は「その人の能力に対して課題が易しすぎる」サインでもあり、もっと難易度を上げるか新しい挑戦が必要だと心が知らせている**のです。例えばゲームでも、簡単すぎるレベルだとすぐ飽きてしまいますよね。私たちの脳は適度な刺激やチャレンジを求めており、それが欠如すると集中力が続かず飽きを感じるわけです (Are you a fan of being bored? Would you like to become one? It is ...)。
人によって違う「飽きやすさ」
同じ状況でも、すぐ飽きてしまう人とそうでない人がいます。「飽きっぽさ」には個人差があり、心理学では「退屈傾向(ボアドム・プロネス)」として研究されています。退屈傾向が高い人は刺激の少ない状況で耐えられる時間が短く、常に何か新しいことを求める傾向があります。一方、退屈傾向が低い人は単調な環境でも工夫して楽しみを見いだしたり、あまり退屈を感じずに過ごせたりします。
この違いには性格や生まれ持った気質も関係します。例えば刺激追求型の性格(いわゆる「スリル好き」)の人は、日常的な環境では飽きやすく、退屈を感じやすいと言われます。逆に慎重であまり刺激を求めない人は、静かな環境でもそれほど退屈しません。またADHD(注意欠如・多動症)の傾向がある人は注意の持続が難しいため退屈しやすいとも言われています。
しかし環境要因や取り組み方次第で、この**「飽きやすさ」は変化させることも可能**です。例えば単調な作業でも目標を設定したりゲーム性を持たせたりすると、退屈が和らぎ集中が続くことがあります。また休憩を適度に入れメリハリをつけることで、再び同じ作業に向き合ったときの飽きにくさが違ってきます。要は、誰にとっても退屈は感じうるものですが、その感じ方や頻度は工夫によってコントロールできる部分もあるということです。この「飽きやすさの調整」については、第6章で詳しく触れていきましょう。
なお、心理学の研究では退屈にも実は様々な種類があることが示唆されています。例えばある研究者たちは、退屈を感じているときの感情状態によって**「無気力型の退屈」や「苛立ち型の退屈」など五つのタイプ**に分類できると報告しています。何もする気が起きずボーッとしてしまう退屈もあれば、出口のない状況にイライラする退屈もあるということです。それぞれ微妙に心理的特徴が異なりますが、いずれも根底には「今の状況に満足できない」という共通点があります。
以上のように、第1章では退屈という感情の基本的な特徴を見てきました。「飽きる」とは心が今の活動に価値や刺激を見出せなくなったサインであり、注意力の低下や欲求不満と結びついた状態でした。では、そんな退屈を感じているとき、私たちの脳内では一体何が起こっているのでしょうか?次の章では、神経科学の視点から飽きについて探ってみたいと思います。
第2章 脳内の化学反応 〜飽きと神経伝達物質の関係〜
脳が退屈を感じるとき
退屈や飽きを感じているとき、脳の中ではどんな変化が起きているのでしょうか。最新の神経科学の研究によれば、退屈を感じる状態は脳にとって一種のストレス反応であることが示唆されています (Neuroscience reveals that boredom hurts - Kappan Online)。集中すべき対象がない、または集中することが難しいとき、脳は「やることがなくて困ったぞ」とでも言うように、不安定な状態になります。
脳の部位で見ると、退屈なときには前頭前野(ぜんとうぜんや:おでこの裏側あたりにある、計画や意思決定を司る領域)の活動が低下するという報告があります (Neuroscience reveals that boredom hurts - Kappan Online)。前頭前野は人間の高度な認知機能を担う部分ですが、退屈時にはこの部分があまり活発でなくなり、代わりに原始的な脳の領域(例えば扁桃体と呼ばれる情動を司る領域など)が相対的に活動を増すそうです (Neuroscience reveals that boredom hurts - Kappan Online)。言い換えると、退屈でぼんやりしているとき、人の脳は「考えるモード」から「感じるモード」へシフトし、暇を持て余してストレスを感じ始めるというわけです。
この状態になると、体内ではストレスホルモンがじわじわと増えてくることもあります。何もしていないのに妙に疲れたように感じたり、ソワソワと落ち着かなくなるのは、脳が小さなストレス反応を起こしているからかもしれません。面白いことに、「退屈すぎて辛い」と人が感じるとき、脳は軽い苦痛を覚えているという指摘すらあります。例えば退屈しのぎに人が無意識に爪を噛んだり髪をいじったりするのも、この不快な状態をなんとか紛らわせようとする自己刺激行動と考えられます。退屈で体を揺すったり足踏みしたりしてしまうのは、脳に小さな刺激を与えてドーパミンを出そうとする生理的な工夫だとも言われます (Ask Dr. Universe: Why do we get fidgety when we're bored?)。後述するドーパミンという物質は脳の「やる気」や「快感」に関与しますが、退屈なときにはその放出が減るため、人は刺激を求めて貧乏ゆすりなどをしてしまうのです。
ドーパミンと「刺激」への渇望
脳内物質の中でも**「ドーパミン」**という神経伝達物質は、飽きや退屈と非常に関係が深いとされています。ドーパミンは快感や意欲、学習などに関わる物質で、脳が「これは面白い!」「これをやりたい!」と感じるときに多く放出されます。逆に言えば、何かに夢中になっているとき私たちの脳内ではドーパミンが盛んに分泌され、報酬系と呼ばれる脳の回路が活性化しています。ところが退屈な状態では、この報酬系があまり刺激されずドーパミン分泌も低レベルになります。ドーパミンが不足した脳は「もっと刺激をくれ!」と要求するようになり、それが主観的な飽き感につながるのです (The links between Boredom & dopamine - A.B Watson)。
例えば、退屈で授業中に落ち着かない子どもが鉛筆をカチカチ鳴らしたり体を動かしたりするのは、ドーパミン欲しさの行動かもしれません。ワシントン州立大学のDr.ユニバースという子供向け科学Q&Aでも、「なぜ退屈だと貧乏ゆすりしたり体を動かしたくなるの?」という質問に対し、「体を動かすことで脳に少しだけドーパミンが出て、気持ちよくなるから」と回答しています (Ask Dr. Universe: Why do we get fidgety when we're bored?)。確かに手持ち無沙汰なとき、ついペン回しをしたり椅子を揺らしたりしてしまうのは、多かれ少なかれ脳への自己刺激と言えそうです。
現代の私たちはスマホやテレビゲームなど手軽にドーパミンを刺激するツールを持っています。だから少し退屈すると、すぐそれらに手を伸ばしてしまいますよね。通知が来ていないかスマホをチェックしたり、SNSをスクロールしたりするのも、「なんとなく退屈」を感じた脳がドーパミンを求める行動の一つでしょう。しかし常にそれで飽きを紛らわせていると、どんどん脳は**「弱い刺激では満足できない」状態**になってしまいます (Attention Span: Technology – Friend Or Foe? - eLearning Industry)。結果として、いざ何もない状況に置かれると以前にも増して強い退屈感に襲われるという悪循環が生まれる恐れもあります。ドーパミンに慣れすぎると普通の刺激では物足りなくなるため、「刺激への耐性」がついてしまうのです。この点については第4章で現代社会との関係でもう少し触れていきます。
脳の「デフォルト・モード」とマインドワンダリング
脳科学の世界では、人が何もせずぼんやりしているときに活動する**「デフォルト・モード・ネットワーク」(DMN)という脳回路の存在が知られています。退屈で外界への注意が向かなくなると、脳は内的なモードであるDMNを活発化させます (The Surprising Power of Boredom: Unlocking Creativity and ...)。これは要するに、目の前の課題から注意が外れて頭の中で勝手に考え事や空想が始まる状態です。日本語では「マインドワンダリング(心がさまよう)」**とも呼ばれます。
退屈になると多くの人はつい他のことを考え始めますが、それは脳が自動的にDMNをオンにしているからです。興味深いのは、DMNが働いているとき、脳では記憶の整理や将来の計画立案、創造的思考などが進んでいるという研究結果があることです (Why Is It So Important to Be Bored? | Psychology Today)。一見ボーッとしているだけに見えて、その裏では過去の出来事を反芻したり「もし〇〇だったら…」と仮想シミュレーションしたりと、脳は内なる活動にいそしんでいるのです。つまり退屈なとき脳は「何もしていない」のではなく、「別のこと」を活発に行っていると言えます。
例えば電車で窓の景色を眺めながら何気なく将来の夢想にふけったり、シャワーを浴びながら今日あった出来事を振り返っているとき、まさにDMNが働いています。これらは退屈な場面でよく起こる現象ですが、決して無意味な時間ではありません。脳にとっては情報を整理し、新たな結びつきを発見する大切なプロセスなのです。このDMNと創造性の関係については第5章で詳しく取り上げます。
以上、脳内の視点から見ると、飽きや退屈はドーパミンなどの化学物質の動きや、脳の回路の切り替えと深く関わっていることが分かりました。退屈なとき脳は一種のストレス状態に陥り、刺激を求めてソワソワしますが、同時に内なる思考の世界(DMN)が動き出すという側面もありました。では、そもそも私たち人類はなぜこのような「退屈」を感じるよう進化してきたのでしょうか?次の章では進化論の観点から「飽き」の謎に迫ってみたいと思います。
第3章 進化論的視点 〜なぜ私たちは飽きるのか?〜
「飽きる」感情は進化の産物
退屈や飽きは人類だけでなく多くの動物でも見られる普遍的な現象です。では、それは進化の中でどのような役割を果たしてきたのでしょうか?一見無駄に思える退屈という感情も、進化の観点から見ると実は重要な役割を担っていた可能性があります (The science of boredom - The Boar)。
進化心理学の考え方では、我々が感じる様々な感情は生存や繁殖に有利だったからこそ進化的に残ってきたと考えます。たとえば「恐怖」は危険を避けるため、「怒り」は闘争や自己防衛のため、といった具合です。同様に**「退屈」も我々の祖先が環境に適応し生き延びるための一つのメカニズムだった**のではないか、というわけです (Why do we get bored? - BBC Science Focus Magazine)。
想像してみてください。大昔の狩猟採集民が常に同じ場所で同じ食べ物ばかり採っていたらどうなるでしょうか?いずれ資源は枯渇し、飢えてしまうかもしれません。しかしもしその状況に**「飽きる」という感情**が芽生えたら、「別の場所へ行ってみよう」「他の食べ物を探そう」という行動につながるでしょう (The science of boredom - The Boar)。これは新たな資源を発見したり環境を変えるきっかけになります。実際、進化生物学者の中には「退屈は探索行動を促すために進化した感情である」という説を唱える人もいます (The science of boredom - The Boar)。退屈という不快感があるおかげで、生物は現状に安住せず新天地を求めるようになる、というわけです。
この説によれば、退屈は一種の原動力なのです。人類が地球上の様々な環境に拡散していった背景にも、「同じ場所に留まっているのに飽きた個体がいたからではないか」なんて考えるとちょっと面白いですね。実際には食糧事情など複合的な要因でしょうが、少なくとも退屈しやすい性質を持つ個体は行動的で、結果的に生存機会を広げるメリットがあった可能性があります (Why do we get bored? - BBC Science Focus Magazine)。そう考えると、「すぐ飽きる人」はひょっとすると進化の英雄?!かもしれません。
動物も退屈を感じるのか?
人間以外の動物にも退屈は存在するのでしょうか。実は研究者たちは動物の退屈行動にも注目しています。ペットや動物園の動物を見ていると、何もすることが無いときに落ち着きなくうろうろ歩き回ったり、柵を噛んだり、あるいは延々とあくびを繰り返したりする様子が観察されます。これらは人間でいう「退屈のしぐさ」と共通するものがありますよね。単調な環境に置かれた動物は、明らかに「飽きた」ような行動を示すことが多いのです。
例えば、檻の中の虎が行ったり来たり同じ経路を歩き続ける様子や、オウムが退屈になると自分の羽をむしってしまう行動などが報告されています。これは「常同行動」といって、刺激が少ない環境下で動物が示す反復行動です。一種のストレス反応とも言えますが、根底にはやはり退屈から来る欲求不満があると考えられます。野生では広大なテリトリーを動き回る動物も、狭い檻の中では刺激が足りず、退屈を紛らわすように歩き回るのでしょう。
また、ラットなどを使った実験では、環境に変化や遊び道具がないときのラットは刺激を求めてレバー押しを頻繁に行う(レバーを押すと少しだけ光がつく装置などで確認)という結果があります。刺激の少ない環境では動物も積極的に「何か起きろ!」と行動し、それが得られないときにはストレスを感じるという点で、人間の退屈と通じるものがあります。
こうしたことから、退屈を感じやすい性質は人間だけでなく動物一般に備わっており、それ自体が進化上有利に働く場面があったことが推察されます。飽きやすい動物ほど新しい餌場を探したり、新しい刺激を求める行動を起こし、その結果生存や繁殖に有利になったかもしれません。 (Why do we get bored? - BBC Science Focus Magazine)実際、自然界でも新奇性を求める行動は資源獲得や学習において重要であり、退屈はそのトリガーとして機能していた可能性があります。
進化から考える退屈の意味
進化論的視点からまとめると、退屈(飽き)とは生物に「新しい行動を起こせ」と促す内的な動機付けシステムだと言えそうです (The science of boredom - The Boar) (Why do we get bored? - BBC Science Focus Magazine)。現状に満足し停滞しているとき、不快な飽き感が生じることで、結果的に私たちは環境を変えたり何か学習したりする行動に出ます。これは長い目で見れば種の適応力を高める方向に作用したでしょう。人間がここまで科学や文化を発展させてきた背景にも、「同じ状態に甘んじず改善や探求を繰り返してきた」こと、言い換えれば退屈をバネに創意工夫してきた歴史があるのかもしれません。
もちろん退屈だけが進化を駆動したわけではありませんが、少なくとも飽きっぽさは「常に現状を点検し、より良いものを探し求める」性向としてプラスに働く場面があったはずです。逆に言えば、まったく退屈を感じない生物は環境の変化に対応できず淘汰されていった可能性もあります。そう思うと、「退屈」とうまく付き合うことは現代を生き残る私たちにとっても大事な知恵と言えるでしょう。
進化の視点から退屈を肯定的に捉えてきましたが、現代の私たちの日常では必ずしもそのメリットばかりではないかもしれません。次の第4章では、情報とテクノロジーにあふれる現代社会において退屈がどのように変容しているのか、そして私たちの集中力や精神にどんな影響を与えているのかを見ていきましょう。
第4章 現代社会と飽き 〜テクノロジーと情報過多の影響〜
情報過多の時代に加速する「飽き」
私たちが暮らす現代社会は、文字通り情報であふれています。スマートフォンを開けば常に新着のニュースやSNSの更新、動画コンテンツが押し寄せてきます。便利で刺激的な時代ですが、その一方で人類史上もっとも退屈しにくい環境にいるはずの私たちが、実は逆に「飽きやすく」なっているという皮肉な指摘もあります (知らないとヤバい⁉飽きの影響と対策3つのポイント - note)。
どういうことでしょうか?理由の一つは、情報過多による注意力の低下です。膨大な情報に常に晒されていると、人間の脳は注意の持続が難しくなります。次から次へと新しい刺激がやってくるため、一つの物事に集中する前に別の物事に意識が移ってしまうのです。その結果、少しでも単調な瞬間があると「はい次!」とばかりに飽きてしまうようになります。例えば動画視聴でも、面白くなる前に数秒見てつまらないと感じたらすぐ別の動画にスワイプしてしまう、といった行動が典型でしょう。現代人は注意力が続かないため、刺激の展開が遅いものや情報量が少ないものに対して耐えられず飽きやすい傾向があります (知らないとヤバい⁉飽きの影響と対策3つのポイント - note)。
さらに、情報発信側も「飽きさせない」工夫を過剰なまでに凝らすようになりました。テレビ番組やYouTube動画はテンポ良くカットを割り込み、SNSのタイムラインは延々とスクロールできるように設計されています。こうした環境に慣れた脳は、穏やかなペースの現実に戻ったとき物足りなさを感じてしまうのです。一昔前なら退屈しなかったはずの日常のシーンでさえ、今の私たちはすぐスマホに手を伸ばしてしまうほど、「飽きへの耐性」が下がっているのかもしれません。
テクノロジーが奪う集中力
スマホやインターネットが私たちの集中力を奪い、飽きを助長していることは、多くの専門家が指摘しています。例えば人間の平均注意持続時間(何かに集中できる時間)は年々短くなっているというデータがあります。よく引き合いに出されるのが「人間の平均注意持続時間は金魚より短い」という話です (Attention Span: Technology – Friend Or Foe? - eLearning Industry)。これは多少誇張もありますが、実際にスマホ時代の現代人の集中持続時間は約8秒程度とも言われ、2000年代初頭に比べ大幅に短縮したという報告があります (Attention Span: Technology – Friend Or Foe? - eLearning Industry)。注意が持たないということは、それだけ飽きやすくなることを意味します。
また常時SNS等で他人の情報に触れていると、「もっと刺激的なことが他にあるのでは?」という感覚が常につきまといます。結果として目の前の活動に深く没頭できず、上の空になりやすいのです。例えば勉強中についSNS通知が気になって集中できない、仕事中でもスマホをチラ見してしまう、なんてことはありませんか?そうすると今やっていること自体がますます退屈に思えてきてしまいます。
情報過多は脳に疲労ももたらします (若者の情報収集の手段は何?若年層のSNS・ネット利用状況関連 ...)。大量の情報処理で**「脳疲労」が起きると、注意力や判断力が低下し、何に対しても意欲や興味が湧きにくくなります (若者の情報収集の手段は何?若年層のSNS・ネット利用状況関連 ...)。要するに心がぼんやりしてしまい、「なんだか何をしても面白くない」という飽きた状態に陥りやすくなる**のです。情報を摂りすぎると思考停止してボーッとしてしまう、という経験はないでしょうか。それは脳が疲れてしまい、一種の防御反応としてシャットダウンしかけているのかもしれません。その状態では本来興味深いことさえも頭に入らず、「退屈だ」と感じてしまう可能性があります。
「常時接続」の落とし穴
現代社会ではスマホによって誰もが常に繋がり、常に何かしらの刺激を受け取れる状態です。一見退屈しのぎには理想的ですが、これには大きな落とし穴があります。それは「慣れ」と「依存」です。前述の通り、脳は強い刺激に慣れると弱い刺激では満足できなくなります。常時接続で強い刺激を受け続けていると、いざネットが使えない状況や手持ち無沙汰な時間が来た途端に、猛烈な退屈感や不安感に襲われるかもしれません。常に刺激に浸っていると、ほんの少しの静けさでも退屈で耐えられなくなるというのは皮肉ですが現実的な問題です (Attention Span: Technology – Friend Or Foe? - eLearning Industry)。
また、SNSなどはしばしば**「FOMO(見逃すことへの恐怖)」**という心理状態を引き起こします。常につながっていないと世の中の動きや友人の活動から取り残されるのではないか、と不安になるのです。その結果としてスマホを手放せず、暇さえあればタイムラインをチェックするという行動に駆り立てられます。しかしこのFOMOに駆られているとき、人は実はあまり楽しめていません。ただ「退屈を感じたくない」「取り残される不安を紛らわしたい」との思いでスクロールしているだけで、得られる充足感は薄いのです。そして画面を閉じた後にはまた虚無感や退屈感がぶり返す、という悪循環に陥りがちです。
さらに、テクノロジーによって**「ながら作業」が増えた**ことも集中力低下と飽きに関係します。テレビを見ながらスマホ、勉強しながら音楽、と複数のことを同時にこなすのが当たり前になると、一つひとつの刺激から得られる満足度が下がり、結果として常にどこか物足りなさ(飽き)を感じてしまうのです。脳は一度に多くのことを処理できませんから、マルチタスク状態は実は効率が悪く、注意も分散しています。注意が分散した状態は、集中しているときに比べて主観的な退屈度が高まりやすいとも言われます。「何かしていないと落ち着かない」現代人の習性が、かえって深い充足感を得にくく飽きやすさを生んでいるわけですね。
こうして見ると、現代社会は便利さと引き換えに私たちから「じっくり何かに向き合う時間」と「何もない静かな時間」を奪いつつあるようです。その結果、皮肉にも我々は以前にも増して「退屈だ!」と感じる瞬間に敏感になり、耐性が下がっていると言えるでしょう (知らないとヤバい⁉飽きの影響と対策3つのポイント - note)。しかし、一方で現代社会だからこそ得られる退屈のメリットもあります。それが次章で述べる創造性やセルフケアの側面です。大量の情報に疲れたからこそ、あえて退屈な時間を持つことが見直されつつあります。第5章では退屈のポジティブな面に目を向け、創造性との関係やマインドワンダリングの価値について語ります。
第5章 退屈のポジティブな側面 〜創造性とマインドワンダリング〜
退屈は創造の母?
「必要は発明の母」と言いますが、「退屈こそ発明の母」であるという言い回しを聞いたことがあるかもしれません。何もすることがなく退屈だったからこそ、人は遊びを考案したり新しい挑戦を始めたりしてきました。実際、歴史上の偉人たちにも「退屈な授業中に空想を広げて素晴らしいアイデアを思いついた」なんてエピソードが残っていたりします。
科学的な研究でも、退屈な状態は人の創造性を高め得ることが示されています。イギリスの心理学者サンディ・マン博士らの研究(2013年)では、被験者にまずとても退屈な作業(電話帳の番号を書き写す作業など)をさせた後、その後で創造的思考を要する課題(例えば日常物品の新たな使い道を考える)に取り組んでもらいました。その結果、退屈な作業を経た人たちの方が、そうでない人よりも多様で独創的なアイデアを生み出したことが報告されました (Boredom at Work May Lead to Creativity | PLANADVISER)。退屈な時間が頭に「白紙のスペース」を与え、その後の発想を豊かにしたと考えられます。
別の研究でも、つまらない会議に出席した後の方が頭が勝手に空想を始め、その後の仕事でクリエイティブな解決策が出やすくなったという結果があります。退屈だと感じている間、人の脳は別の何か面白いことを探そうとして想像力を巡らせているため、アイデアの種が生まれやすいというわけです (Boredom at Work May Lead to Creativity | PLANADVISER)。たしかに、日常生活でもシャワー中や散歩中など退屈とも言える時間に、ふと妙案が浮かんだ経験はないでしょうか?「Eウレカ!(わかった!)」の瞬間は、机に向かって必死に考えているときよりむしろぼんやりしているときに訪れるものです。
退屈は決して無意味な時間ではなく、創造性のための“準備体操”のような役割を果たしているのかもしれません。常に刺激で埋め尽くされている脳には新しい発想が入り込む余地がありませんが、退屈でぽっかり空いた心のスペースには突拍子もない連想や発想がひょっこり顔を出す余地があります。退屈を前向きに捉え、「今自分の頭の中で何か熟成されている時間なんだ」と思えば、その不快感も少し和らぐかもしれませんね。
マインドワンダリングが生むひらめき
第2章で触れた**マインドワンダリング(心がさまよう状態)は、退屈時によく起こる脳のデフォルトモード活動でした。このマインドワンダリングこそが、創造性や問題解決にとって重要だと考える専門家も多いです。なぜなら、意識的に集中しているときには直線的・論理的な思考になりがちですが、心がさまよっているときには普段結びつかないような脈絡のない連想が生まれやすいからです (The Surprising Power of Boredom: Unlocking Creativity and ...) (Why Is It So Important to Be Bored? | Psychology Today)。これが「ひらめき(Insight)」**に繋がることがあります。
例えば、仕事で行き詰まった課題があっても、一旦休憩してお茶を飲みながらぼんやり窓の外を眺めていると、突然解決策が浮かぶことがあります。これは、頭を休ませている間に無意識下で脳が問題を咀嚼し、マインドワンダリングの中で新たな視点を生み出した結果と考えられます。脳のデフォルトモード・ネットワーク(DMN)が活性化しているとき、過去の記憶や知識が自由に組み合わされ、創造的なアイデアの種が形成されるというのです (The Surprising Power of Boredom: Unlocking Creativity and ...) (Why Is It So Important to Be Bored? | Psychology Today)。
ある心理学者は「人が退屈しているとき、脳はしばしば過去と未来を行き来し始める。それはまるでタイムトラベルしているようなものだ」と表現しました。確かに退屈な授業中につい昨日の出来事を思い出したり、明日の予定に思いを馳せたりすることはよくありますよね。この時間的・空間的な飛躍こそが新しいアイデアの源になるわけです。
マインドワンダリングは一見すると「注意散漫」で悪いことのように言われがちですが、実は適度なマインドワンダリングは創造性や精神の健康にとってプラスであることがわかってきました。常に一点集中では心が窮屈になってしまいます。ゆるやかにさまよう時間を許すことで、心はリラックスしながらも自由な連想ゲームを繰り広げるのです。その結果、思いもよらないアイデアや、自分が本当に望んでいることへの気づきが得られることがあります。「ぼーっとする時間を毎日〇分持つと良い」などと言われるのは、科学的にも理にかなっているのですね。
「何もしない」ことの効用
忙しい現代人にとって、「何もしないでいる時間」を確保するのは逆に難しいかもしれません。しかし意識的にそうした時間を作ることは、創造性だけでなくメンタルヘルスにも良い影響を与えます。脳は常にフル稼働していると疲弊しますが、何もしない時間にDMNが活躍するとき脳全体のネットワークバランスが整い、ストレスの解消や記憶の整理が進むと考えられています (Boost your brain with boredom - Mayo Clinic Health System)。瞑想やゆったりした散歩が心に良いのは、過剰な刺激を遮断してデフォルトモードに身を委ねる時間を作っているからとも言えます。
また、退屈な時間は自己洞察にも繋がります。刺激が無いとき、人は否応なく自分の頭の中に目を向けます。普段忙しくしているときは気づかなかった悩みやアイデア、本当の気持ちがふと顔を出すかもしれません。退屈な時間は自分自身と向き合うチャンスでもあるのです。実際、哲学者や宗教家の中には「退屈こそ人間が自己を見つめ直すために必要な時間だ」と語っている人もいます。
クリエイティブな面でも、精神的な面でも、退屈は決して悪いことばかりではありません。むしろ現代のように情報と刺激が過剰な時代においては、「意図的に退屈になる時間」を作ることが推奨されるくらいです。最近では**「デジタルデトックス」や「ぼんやりタイム」**といった言葉も聞かれるようになりました。スマホやPCをあえてオフにして何もしない時間を作ったり、自然の中でただ過ごすようなリトリート活動が注目されたりしています。これらはいずれも、強制的に退屈な状況を作り出すことで心身のリセットや創造性の刺激を図る試みと言えるでしょう。
第5章では退屈のポジティブな側面として、創造性や内省に役立つことを見てきました。退屈との上手な付き合い方次第で、それは心の敵ではなく味方にもなり得るということですね。では最後の第6章では、具体的に私たちが日常生活で飽きや退屈をコントロールし、うまく活用していくにはどうすればいいのか、その方法やヒントをまとめます。
第6章 飽きをコントロールする 〜退屈を味方につける方法〜
「退屈」と上手に付き合う心構え
ここまで見てきたように、退屈や飽きといった感情は決して一面的な悪者ではなく、私たちに行動を促したり創造性をもたらしたりする両刃の剣です。第6章では実践編として、日常生活で飽きをコントロールし、必要に応じてその力を利用する方法について考えてみましょう。
まず大前提として、「退屈を感じるのは悪いことではない」と受け止めることが大切です。飽きっぽい自分を責めたり、退屈をすぐ埋めようと焦ったりするのではなく、「あ、今自分は飽きているんだな」と客観視してみましょう。そうすることで冷静に対処策を選べるようになります。飽きを感じたらそれは**「何かを変えるタイミングだ」という心からのメッセージ**だと捉えてください (Out of My Skull: The Psychology of Boredom - Amazon.com)。そのメッセージに正しく応えることができれば、退屈は次の行動への原動力に変わります。
具体的には、退屈を感じたときに取れる行動は二つあります。一つは「状況を変える」こと、もう一つは「捉え方を変える」ことです。前者は例えば今の作業を中断して別の有意義なことを始めてみる、新しい趣味を探してみる、人に会いに行く、といった環境や行動の変更です。後者は、今やっていること自体に新たな目標設定をしてみたり、ゲーム性を持たせてみたりして、退屈な状況を別の角度から捉え直すことです。どちらのアプローチにせよ大事なのは、退屈を放置せず何らかのアクションにつなげること (5 Strategies for Overcoming Chronic Boredom | Psychology Today)。漫然と退屈な状態に留まっているとネガティブな思考に陥りがちなので、「よし、じゃあ○○してみよう!」と自分に提案してみるのです。
生活に刺激と変化を取り入れる
飽きを感じにくくする基本は、日常生活に適度な刺激と変化を取り入れることです。とはいえ、大それた冒険を毎日しろという訳ではありません。ちょっとした工夫で新鮮さを演出するのです。例えば:
新しい趣味や学習を始めてみる: 何か興味のある分野のオンライン講座を受けてみる、新しい楽器に触れてみる、行ったことのない場所へ出かけてみる。小さなことで構いません。新規性は脳にとってご馳走なので、日常に新しい要素を加えると飽きにくくなります。
日々のルーチンに変化をつける: 通勤経路をたまに変えてみる、ランチで行く店を開拓する、部屋の模様替えをするなど、いつもと違うことをしてみましょう。小さな環境の変化でも脳は刺激を感じ、退屈のマンネリを打破できます。
目標やチャレンジを設定する: 例えば「今日は◯◯を◯回やってみよう」「週末までに△△に挑戦してみよう」という具合に、自分なりのゲームを作ります。意味のないように見える作業でも、ポイント制にして競ってみると急に面白くなったりします。ゲーム化(ゲーミフィケーション)することで、退屈な作業にも目的意識が生まれ、飽きにくくなるのです。
他者と関わる: 一人で延々とやっていると退屈なことも、誰かと一緒なら楽しめる場合があります。友人と勉強会をする、オンラインで進捗を共有するなど、社会的な要素を取り入れるとモチベーションが維持され、退屈さを感じにくくなります。
要は、退屈だと感じる根本原因である「単調さ」「目的の欠如」を取り除いてあげることがポイントです。もちろん毎日をスリリングに生きる必要はありませんが、少しの変化や挑戦をスパイスとして振りかけるだけで、飽きの感覚はかなり和らぐでしょう。
デジタルデトックスで「飽き耐性」を鍛える
第4章で触れたように、現代人の多くは常時接続の生活によって飽き耐性が弱まっています。そこで意識的に**「デジタルデトックス」**の時間を取り入れてみることをおすすめします。デジタルデトックスとは、スマホやPCなどデジタル端末から離れる時間を設けることです。初めは落ち着かず退屈に感じるかもしれませんが、それに慣れてくると逆に心地よくなってきます。
例えば毎晩寝る前の一時間はスマホを見ない、週末の半日はネット断ちしてみる、といった風にルールを決めます。最初はソワソワしてしまうでしょう。しかし**「何もしない退屈」に少しずつ慣れていくと、脳は次第に低刺激の環境でも安定していられるようになります**。これは飽きに対する抵抗力、いわば飽き耐性を鍛えるトレーニングです。デジタル刺激に慣れすぎた脳をリセットし、シンプルな状態でも満足できるよう調整するわけですね。
デジタルデトックス中はぜひマインドワンダリングを楽しむよう心がけてください。ぼんやりと散歩したり、ノートに思いつくことを書き出してみたり、特に目的のない時間を過ごします。最初は退屈かもしれませんが、そのうち頭が冴えてきて色々なアイデアや考えが浮かんでくるかもしれません。 (The Surprising Power of Boredom: Unlocking Creativity and ...) (Why Is It So Important to Be Bored? | Psychology Today)それこそがDMNが活発化して創造性が動き出したサインです。デジタルに頼らず自分の頭だけで過ごす時間は、現代人にとって貴重なセルフケアでもあります。意図的に退屈な時間を作り出すことで、かえって日常全体の充実度が増すという逆説的な効果をぜひ体感してみてください。
マインドフルネスで退屈を味方に
もう一つ、飽きや退屈と上手に付き合う方法としてマインドフルネスの実践があります。マインドフルネスとは瞑想に由来する心のトレーニングで、「今この瞬間に意識を向ける」ことを重視します。一見、退屈とは正反対の「集中」を要求するように思えますが、実はマインドフルネスを習慣づけると退屈への耐性が上がり、むしろ退屈を味わい尽くす余裕が生まれると言われます。
例えば何もない静かな時間に、呼吸に意識を集中してみる瞑想を行うとしましょう。最初は雑念が湧き、「つまらないな」「早く終わらないかな」と飽きが顔を出すでしょう。しかしその飽きの感情自体を客観的に観察し、「今、自分は退屈だと感じているなあ」とただ認めます。評価も反応もせず、飽きという現象をありのまま眺めるのです。すると不思議なことに、その退屈感は次第に薄れていきます。これは退屈に対して抵抗せず受け入れたことで、心の中で膨らまなくなるからです。
マインドフルネス瞑想は、退屈と上手に付き合う練習とも言えます。長時間何も刺激がない状態にじっと座る瞑想は、ある意味究極に退屈な行為ですが、それに耐え注意を向け続けることで心の筋力がつきます。日常でもちょっとやそっと何も起きない時間があっても平気になり、むしろ心の静けさを楽しめるようになるかもしれません。結果として、小さなことにも気づきや味わいを見出せるようになり、「退屈な状況でも得るものがある」と感じられる心の余裕が生まれるでしょう。
退屈を創造と成長のチャンスに変える
最後に総合的なアドバイスですが、発想の転換で「退屈をチャンスに変える」ことを意識してみましょう。退屈を感じたら「また飽きてしまった…自分はダメだ」と捉えるのではなく、「今が新しい何かを始めるチャンスだ!」と思ってみるのです。あるいは「ここで踏ん張って工夫すれば成長できるぞ」とゲーム感覚で捉えてもいいでしょう。実際、退屈は進化の章で述べたように変化の原動力であり、創造性の章で述べたようにアイデアの源泉でもあります。退屈が訪れた瞬間こそ、何か面白いことが始まる予兆なのだと考えれば、少しワクワクしてきませんか?
例えば休日退屈でゴロゴロしているとき、「そうだ普段やらない料理に挑戦してみよう!」と思い立てば新しい得意料理が増えるかもしれません。仕事で単調な作業中に退屈を感じたら、「どうすればこの作業をもっと効率化できるか?」と考えて工夫を凝らすチャンスです。それが発明につながることもあり得ます。飽きは現状への問題提起でもあります。その問題をクリエイティブに解決しようとすることで、人は成長できるのです (The science of boredom - The Boar)。
大切なのは、退屈を感じた自分を否定しないこと。そしてその感情をうまく次の行動につなげることです。退屈と創造性はコインの裏表だということを思い出してください。飽きを敵視するのではなく、「お、きたきた」と受け入れて、それをエネルギーに変えていく。これが退屈を味方につける極意と言えるでしょう。
終わりに
「飽きる」というとマイナスのイメージばかりが先行しがちですが、本書を通じて、その裏側には意外な心理のメカニズムやポジティブな役割が隠れていることを感じていただけたでしょうか。退屈は決して単なる怠惰や欠陥ではなく、人間の心に備わった大切なシグナルです (Out of My Skull: The Psychology of Boredom - Amazon.com)。それは時に私たちを新たな行動へ駆り立て、創造力を引き出し、さらには自分自身を見つめ直す機会さえ与えてくれます。
現代のように刺激が洪水のように押し寄せる時代だからこそ、私たちは逆説的に退屈と上手に付き合う術を身につける必要があるのかもしれません。常に飽きないようにと娯楽や情報で埋め尽くすのではなく、あえて何もしない瞬間や単調な時間を受け入れてみる。最初は落ち着かないかもしれませんが、その中にこそ心を耕し豊かにする養分が含まれているはずです。
本書で紹介したように、心理学や脳科学、進化論の知見から見ると、飽きとは「もっと成長したい」「もっと学びたい」といった私たちの根源的な欲求の表れとも解釈できます。ですから、その声に耳を傾け、時には退屈をバネに新しい一歩を踏み出してみましょう。また逆に、敢えて退屈な時間を楽しむことで心身をリセットし、明日への活力を養うこともできます。退屈をコントロールすることは、自分の人生を主体的にデザインすることにもつながります。
最後に、読者の皆さんが次に「退屈だな」「飽きてきたな」と感じたとき、本書の内容を少し思い出してもらえれば幸いです。飽きに隠された心理サインを読み解き、そのエネルギーを前向きな方向へと転換してみてください。退屈な時間は決して人生の無駄ではなく、創造や発見のタネをまく貴重なひとときです。飽きと上手に付き合えば、私たちの毎日はもっと創造的で実り豊かなものになるでしょう。 (Out of My Skull: The Psychology of Boredom - Amazon.com) (Boredom at Work May Lead to Creativity | PLANADVISER)
その瞬間瞬間を大切に、飽きる自分も丸ごと受け入れて、ぜひ充実した日々を送ってください。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
参考文献
心理学的な退屈の定義 – ScienceOpen 「Boredom–understanding the emotion and its impact on our lives: an ...」より、退屈は興味・刺激・挑戦の欠如した主観的状態であると定義 (Boredom–understanding the emotion and its impact on our lives: an ...)。
退屈と注意・欲求の板挟み – The New Yorker(Danckert & Eastwoodの見解)「What Does Boredom Do to Us – and for Us?」より、退屈は「何かしたいが今できることには興味が持てない」という欲求のジレンマ状態だという指摘 (What Does Boredom Do to Us—and for Us? | The New Yorker)。
退屈時の脳活動(前頭前野の低下) – Kappan Online 「Neuroscience reveals that boredom hurts」(Judy Willis)より、退屈になると前頭前野の活動が低下し原始的な脳領域の活動が増えるとの報告 (Neuroscience reveals that boredom hurts - Kappan Online)。
退屈とドーパミン – Washington State University (Ask Dr. Universe)「Why do we get fidgety when we’re bored?」より、退屈なとき体を動かすと脳に少量のドーパミンが分泌されるため、貧乏ゆすり等が起こるとの説明 (Ask Dr. Universe: Why do we get fidgety when we're bored?)。
進化論的に見た退屈の意義 – ScienceABC「What Is The Evolutionary Purpose Of Boredom?」より、退屈は進化的に新たな環境や資源を探索させる動機づけとして有利に働いた可能性がある (The science of boredom - The Boar) (Why do we get bored? - BBC Science Focus Magazine)。
情報過多と飽き – note.com「飽きの影響と対策3つのポイント」より、インターネットやSNSによる情報過多の現代では飽きが加速し、集中力の低下や飽きやすさが指摘されている (知らないとヤバい⁉飽きの影響と対策3つのポイント - note) (若者の情報収集の手段は何?若年層のSNS・ネット利用状況関連 ...)。
注意持続時間の低下 – TIME「You Now Have a Shorter Attention Span Than a Goldfish」より、現代人の平均注意持続時間が数秒程度まで短くなっているデータに言及 (Attention Span: Technology – Friend Or Foe? - eLearning Industry)。
退屈と創造性の研究 – ScienceDaily「Being bored at work can make us more creative」より、退屈な作業を行った後の被験者の方が創造的発想課題でより多くのアイデアを出したというマン博士らの研究結果 (Boredom at Work May Lead to Creativity | PLANADVISER)。
マインドワンダリングと創造性 – Psychology Today「Why Is It So Important to Be Bored?」より、退屈時に働くデフォルト・モード・ネットワークが創造性と関連し、内的な思考が新たな発見をもたらすと解説 (Why Is It So Important to Be Bored? | Psychology Today)。
飽きを行動変容につなげる – Psychology Today「5 Strategies for Overcoming Chronic Boredom」より、退屈を感じたらそれを問題提起として捉え、環境を変えるか捉え方を変えることで対処することの重要性が述べられている (5 Strategies for Overcoming Chronic Boredom | Psychology Today)。
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チエロ
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