【Interview02】あなたは好きを突き詰められていますか?
昔、好きだったことを今も続けていますか?
続けることを辞めた理由は何だったのでしょうか?
こんにちは、小梅はるです!
好きなことをしている人にインタビューをする「SUKINKAKOTO」企画。
第2回目のインタビュー記事を公開しました!
今回は、ヨガインストラクター・セラピストとしてご自身のスタジオを経営する森諒結子さんにお話を伺いました。
サーフィンにスノーボード、ヨガ……と、好きなものを突き詰めて辿り着く場所はどこなのか。その過程まとめたインタビュー記事の全文をnoteにも掲載させていただきます。
なお、Webメディア「SUKINAKOTO」では、写真付きでインタビュー記事をご覧いただけます。
<Webメディア「SUKINAKOTO」>
▶第2回インタビュー記事はこちら
あなたの好きを突き詰めるヒントの詰まったインタビュー記事となっております。よろしければ、ご一読ください。
幸せは人任せにしちゃいけない
インストラクター・セラピスト
森諒結子さん
「自分にできることと、できないことが明確だった」
進学校の高校であったため、卒業後すぐに就職する人はいない。けれど、勉強は苦手。昔から将来の夢はスポーツ選手だった。時間があるときには、大好きなサーフィンとスノーボードがしたい。休暇期間があることを魅力に感じて、専門学校の保育課に進学を決めた。
しかし、目標や夢がともなわないため、勉強に身が入らない。卒業に必要な単位を1つだけ取得することができなかった。もう1年勉強して、幼稚園教諭免許を取得するかどうか考えた時に「幼稚園の先生にならない」と決める。
専門学校を辞めて、大好きなスノーボードのアルバイトを始める。インストラクターになり、スノーボード三昧の毎日。けれどレッスン続きの日々で、自分は自由に滑ることができなかった。そんな時、一緒に働いていた友人が、海外に半年間スノーボードをしに行くという。
「なんじゃそりゃ! 私も行く!」
夏の間に100万円を貯めて、半年間、国内外で山ごもりをすると決めた。費用を稼ぐため、アパレルの営業事務として派遣社員で働き始める。個性豊かなスタッフと働くことで、自分の世界が広がった。「山ごもりから戻ったら、また戻ってきていいよ」と応援してくれる温かい職場に恵まれた。
そこから、半年間働いて、半年間スノーボードのため山ごもりをする生活が3~5年ほど続いた。プロを目指しながら、アマチュアのスノーボード選手としてハーフパイプ競技の大会でも活躍。スイスやオーストリアで友達と家を借りて毎日スノーボードができる充実した日々を送った。しかし、ケガが多い危険なスポーツを長く続けられるだろうかと不安が芽生えた。もっと自分の体を大事にしようと考え、結婚を機に選手引退を決める。
結婚後「次は何をしようか?」と考えて、長く働ける場所を探しているときに「お姉ちゃん絶対好きなやつだよ」と妹からホットヨガを勧められ、体験レッスンに参加。「これは私が教えるほうだ!」と思い立ち、すぐに面接を受けた。ヨガインストラクターとして研修を受けながら働くことになる。
「母親になったら、絶対に周りに迷惑をかけちゃいけない」
「さあこれからインストラクターとしてやっていこう」という時に、子供を授かった。一度、落ち着いて子育てに専念しよう。見たら行きたくなってしまうと思い、サーフボードやスノーボードを全て押し入れにしまって自分を封印。子育ては完璧にやり遂げなくてはならない。そう覚悟を決めた。
しかし、家計のことや人間関係のことなど、1つ、また1つと身の回りでうまくいかないことが増えていく。自分が働けない分、自由に使えるお金も少ない。誰も頼ることができず、1人で子供を育てる毎日。
気づいた時には自分が自分でなくなっていた。その影響は身体にも現れ、原因不明の咳がずっと止まらない。咳のし過ぎで、肋骨には常にヒビが入った状態。呼吸困難で死を身近に感じた。2歳の子どもを育てながら、病院に通う日々。薬の数はどんどんと増えていく。
その時、以前に通っていたフラダンス教室の先生から「1回来なさい」と連絡があった。教室に行き、音楽に揺られているうちに身体が喜んでいるのが分かった。私は今、間違った方向に進んでる。そう気が付き、大好きだったサーフィンをしに行こうと思い立つ。
子供と夫が寝ている夜中のうちに、友人と海にサーフィンをしに行くことにした。海に入った瞬間、自分を封じ込めていたものが全て解けて、「もう大丈夫」だと分かった。何度かサーフィンに行くうちに、肋骨のヒビが徐々に回復し、元気も戻っていた。
「好きなことをやっているときが一番健康」
家族も「好きなことをして、笑顔でいる姿が良い」と言ってくれた。育児も家事も自分1人の力だけではなく、家族に頼って乗り越えていく。
これからは好きなことをして生きていくと決めた。
幸せは人任せにしちゃいけない
ママ友からの勧めで、フリーのヨガ教室インストラクターとして活動を始めた。しかし、コロナ禍に見舞われて対面での活動が難しくなったことでストレス過多になっていることに気が付き、メインで活動していた場所を辞める。
「このままでは終わりたくない」と思い、長年の夢であるスタジオ設立を決意した。その時に、家族と目指している方向性が異なっていることに気が付く。自分のやりたいことを何かのせいにして諦めたくない。家族会議の結果、全員が自立してそれぞれの道を歩む決意をする。
「自分が生きたい方向に自己責任で進んで行く」
ヨガ、ピラティス、空手……これまで多くの経験を積んできた。けれど、誰か他の人のやり方を取り入れることには違和感がある。
「100%自分のエッセンスでやりたい」。自分の目指す方向が決まった。
「やってみよう!」。いつもここからだった。最初は思っているようには進まない。それでも、絶対大丈夫と楽観的に考えた。これは自分に向いていることだし、私にしかできないことだ。それを信じていれば、自分を追い込まなくても実現できる。
自分を待っていてくれている人もいた。以前働いていたスタジオから、参加してくれているお客さんだ。最初は1人、2人からでもいい。応援してくれる人がいればモチベーションになる。だんだんと活動を発信していたSNSからも問い合わせが入るようになった。徐々に口コミが広がり、同じ思いを抱く人たちが集まってきた。
その中でも、運命の出会いがあった。イベントに参加していたお客さんの1人がハワイ式マッサージ「ロミロミ」の講師だったのだ。「ロミロミ」がどういうものか話を聞くと、すぐに「私がやることでしょ!」と思い立つ。最後のパズルの1ピースがハマった瞬間だった。
「イメージして、思いを伝えることで叶えられる」
ヨガ、ピラティス、空手にロミロミも加わり、世界で1つしかないトータルボディメンテナンススタジオ”R's room”が完成した。心と体と魂を整える場所を求めて、今日もお客さんが集まる。
この先も、幸せへの道のりはまだまだ続く。
「海や山にみんなが集まれる家を作り、ヨガやロミロミなど、好きなことをできる花園を作る」
これが次の目標。もうイメージはできている。
後はその道を信じて突き進んでいくだけ。
文・インタビュー/ 小梅はる
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
あなたが好きなことをして生きていけますように。