日本のエッチな漢文の話②「鉄槌伝」
(前半に訓読文、後半に現代語訳と簡単な注釈です。)
書き下し文(書き下し文の()内は本文では小字で書かれた注です)
鉄槌伝
羅秦
前の雁門の太守
予は雁門の散吏にして過舎に閑居す。目を縑緗に寓し、心を文籍に遊ばしむ。鉄処士、名有りて伝無し。処士薬を嵩高に採り(嵩高山は仙霊神草多し)、身を袴下に潜む。老病痿躄にして出仕を好まず。是を以て前史欠きて録さず。夫れ以へらく我を生育する者は父母、我を導引する者は鉄槌なりと。陰陽の要路、血脈の通門なり。吁嗟吾が生に因りて出づる所なり。予見開を綴集し粗ほぼ行事を叙ぶ。自記に備ふるに非ずして以て盧胡を資けんと云ふ。
鉄槌、字は簡笠、袴下毛中の人なり。一名に磨裸。其の先は鉄脛より出づ。身長七寸、大口にして尖頭(相経に云はく狼口と鯖頭と有りといふ)頸下に附贅有り。少き時に袴下に隠れ処て、公主頻りに召せども起たず。漸くに長大するに及びて、朱門に出仕す。甚だ寵幸せられ、頃之擢でて開国公となす(国は当に黒の字に作るべし)。性甚だ敏給なり。能く賦枢を案ふ。夙夜吟翫し、切磨して倦むこと無し。琴絃麦歯の奥、究通せざること無し(琴絃麦歯は賦数の篇の名なり)。為人勇悍なり。能く権勢の朱門を破る。天下号けて破勢と曰ふ。少き時の名は卑微なり。同じ郡の人両公、之と友善し。朝夕相随ひて、敢へて離弐せず。召されて門下の掾と為る。身は脂膏の地に居り、潤沢の多きに居る。外の交有りと雖も、内の利を倶にはせず。故に号けて不倶利と曰ふ。一名に下重。常に沈痾に嬰れども、能く予め風雨の気候を知る。時の人之を謂ひて巣処公と為す。鉄槌が子は汲水。汲水が子は哀没。哀没が子は走破勢。走破勢が嗣は衰。鹿猪代りて立ち、淫溺益ます盛りなり。然も猶ほ偶人のごとし。
論に曰はく鉄処士は袴下毛中の英豪なり。動くに常度無く、行くに必ず矩歩す。観ひみれば夫れ一いは剛く、一いは柔く、陰陽の気候を体す。或いは出でて或いは処り、君子の云為に類ふ。況んや復た淫水を治めて功有り。熱湯を掬ひて傷無し。太階の升平に属り、元気の精液を吐く。此の時に当たり偃側房内の術、窮施せざること無し。人倫大道の方、斯に備はれり。蓋し六籍欠きて談らず。先聖得てして言ふこと靡し。余がごとき者、十分にして未だ一端を得ず。故に略ほぼ其の梗概を挙ぐと云ふ。
論に曰はく鉄子は木強にして能く剛く、老いて死なず。屈して更に長く、已に陰徳を施す。誠に摩良と号す。精兵暁に発ち、突騎夜に忙し。長公主を襲ひ、少年娘を破る。紫殿長へに閉ぢ、朱門自ら康し。腐鼠搖動し、鴻雁翶翔す。骨にも非ず肉にも非ず、彼の閨房に親しぶ。鉄槌が妻は同じ郡の朱氏が娘なり。好みて啼粧を為す。閨門の内、軌儀脩まらず。天下を遊行し、常に産業を事とす。初め彭祖に就き、龍飛虎歩の術を学ぶ。切磨未だ畢らざるに、殆ど教ふる所に過ぎたり。容色漸くに衰へ、是に袴下に居、終に鉄槌と同穴の義を結ぶ。吁夫婦の愛は天然の至性なり。鉄槌の老いたる容を見る毎に、未だ涕を流して悲しび偲ばざること無し。後に朱門落魄し、一端の犢鼻を著く。年五十に及び、門を杜し人事を処せずと云ふ。
論に日はく朱門扃さず、白日闌入す。日と火とは陰なり。陰地一夫の程に非ずと雖も、月
と水とは陽なり。陽泉能く万人の敵を陥る。於戯、昆石高く峙てば、望夫の情禁め難く、琴絃急かに張れば、防淫の操脩まらず。況んや亦ーいは浅く一いは深く、法を龍飛に取り、或いは仰ぎ或いは臥し、術を蝉附に施すをや。彼の犢鼻夜湿り、雁頭気衝くに至り
ては、此は是れ淫奔なれ。誰か矩歩と称はんやと。
現代語訳(現代語訳での()は訳者が加えた注釈です。原文での小字の注は引用句的に訳しています。)
鉄槌伝(鉄槌は鉄の槌、ここでは男性器を指し、以降は擬人化された男性器の話が展開していく)
羅泰 作(「羅」は「マラ」、「泰」は「大きい」の意味)
前の雁門の太守(「雁門」は中国の地名だが、ここでは男性器の「雁首」を暗示。「太守」は地方長官。)
(鉄槌伝作者の)私は雁門の暇な役人でカタツムリのような小さな家で隠居している。目は書物によせて、心は書物に遊ばせている。かつて鉄処士(鉄槌のこと)というものがいたが、伝記はなかった。処士は薬を嵩山(河南省の山)で採り、嵩高山には霊妙な薬草が多かったそうだ、その身を誇の下に潜めていた。体は年老いて、病があり、足は萎えてしまっていたので(インポテンツの暗示)、出仕を好まなかった。このために伝記は欠けていて記されなかった。そもそも思うに私を育てた人は父母であるが、私を導く者は鉄槌であり、女と男を結合する重要な道で、血管の通る門である。ああ私の生まれたところはここである!そこで私は鉄槌についてのことを収集し、おおよその行動を記す。自分のために書いておくのではなく、人を笑わせるためである。
鉄槌は、字は藺笠(男性器を藺草で編んだ竿で例えた)、袴の下の陰毛の中に住む人である。別の名前ではマラという。その先(男性器の先っちょと先祖をかける)は鉄のように固い脛から出ている。身長は七寸で大きな口に、尖った頭をもつ、相経という書によると狼のような口と鯖のような尖った頭が有るという。脛の下にはいぼ(陰嚢のこと)ある。若い時に袴の下に隠れ住んでいた。その頃、皇帝の娘がしきりに鉄槌をお呼びになるが立つことはなかった。次第に大きく成長していき、朱門(朱の門は貴族の家だが、女性器の暗喩)に出仕した。鉄槌は大層寵愛され、しばらくして開国公となった(国は黒の字が適当である)(「開黒公」となり、「陰を開く」の暗示と思われる)。性格は大層俊敏で(頭の回転が速い意味だが、早漏の暗示と思われる)、医学書の記述を考慮して行動できる。朝から晩までその医学書を読み、切磋琢磨し、もてあますことがなかった。それゆえ、琴絃と麦歯(どちらも女性器の比喩)の奥(奥義と女性の奥をかける)を極めないことはなかった。人となりは勇ましく、権力のある(簡単になびかないの意味)朱門(女性器)を破ることができた。世の中の人々は鉄槌を破勢(男性器の呼び名)と呼んだ。若い時の名は卑微(若くて身分が卑しいという意味)である。鉄槌と同じ郡で生まれた両公(陰嚢のこと、二つあるので「両公」)という人と仲がよかった。朝もタも一緒にいて、進んで離れることはなかった。両公は召されて門下の地方官となった。身は体から脂がでるところに居て、潤沢(利益と体の湿りをかける)の多い場所であった。外と交わりはあるが、その地の利益を分け合うことはなかった。そのために世の中の人は「不倶利」(「利を同じにしない」と陰嚢を意味する「ふぐり」をかけた)と呼んだ。またの名を下重(「そひふぐり」という陰嚢が腫れる病気の略)といった。常に重い病気にかかっていたが、事前に天気を知ることができた。時の人は両公を巣処公(巣という名の仕官をしないもの、の意味)といった。鉄槌の子は汲水(意味は未詳)。汲水の子は哀没(意味は未詳)。哀没の子は走破勢(意味
は未詳、男性器を意味する「はせ」と関係あるか)。走破勢の嗣は衰といった。しかし衰に代わって鹿猪(男性器が衰え、鹿や猪の角で作られた張り形を用いた意味か)が立ち、淫事に耽っていた。その様はちょうど人形のようであった。
論によれば鉄処士は袴の下の陰毛の中の天下の逸物である。動いていて一定の法則が無いようだが、行動は必ず法則にかなっていた。思うにそもそも固くなったり、柔らかくなったりして陰陽の気候にならって行動していた。出たり留まったりする様子は君子の行動に類似している。それだけではなく、加えて、あふれ出る精水を治めた功もあり熱湯をくみ上げても傷が無かった。天下が太平な時となり、万物の根源の精液を吐いた。此の時に当たりて横たわって寝室で行う技はことごとく行った。人倫大道の方法(セックスの方法)は彼に備わっている。思うに六経にはこのことは欠けていて書かれていない。かつての聖人はなにも語らない。私のようなものは、十分の一も理解できていない。そのために彼のおおよそのあらましをあげたのだ。
論によれば鉄槌は素直で、もちまえが剛直で老いて死ななかった。 縮んだと思うと長くなり、既に隠れた善徳を行っていた。その行動から摩良(「摩」は磨く、「良」は良いの意味)と号していた。えりすぐりの兵士は暁に発ち、敵軍に突撃する騎兵は夜に忙しい(兵士は鉄槌、つまり男性器の比喩)。長公主(皇帝の娘)を襲い、若い娘を倒す。宮中の門はずっと閉ざされているが、朱門(女性器のこと)は自然と柔らかくなり、性技を行い、快楽を感じさせ、性交に親しむ。鉄槌の妻は同じ郡の朱氏の娘(朱門、すなわち女陰の擬人化)である。白粉を目元だけぬぐい、涙がでているようにみえるお化粧を好んだ。寝室での素行は収まらない。天下を歩きまわり、常に体を売っていた。初め彭祖(尭から殷の末まで700年ほど生きた人)とつきあい、龍
飛虎歩(体位の呼び名)の術を学んだ。技の伝授が終わらないうちに殆ど教えることはなくなるほど才能があった。美貌はだんだんと衰え、袴下に住み、しまいに鉄槌と深い夫婦の契りを結んだ。ああ夫婦の愛は天然の良い真実の愛である!鉄槌の老いた姿を見るたびに、涙を流して悲しみ偲ばないことはない。後に朱門も落ちぶれて、一片の下着を着る。年が五十歳に及び、門を閉ざして性行を行わなくなったという。
論によれば朱門は閉ざさず、日の光が乱入する。日と火とは陰である。陰の場所(陰部を指す)は男ひとりが踏破する路程でないが、月と水は陽事である。陽泉は何万もの敵を陥れることができる。ああ、女性器が高くたっと、夫を思う心は抑えがたく、女性器が急に張れば、性行を止めようという節操は抑えられない!ましてや浅く、もしくは深く、性行の技に龍飛(体位の名前)を取得し仰いで、もしくは臥して、蝉附(体位の名前)を施すだろう。その下着は夜に湿り、雁頭(男根)がうごめくときには、これはみだらな行為があろう!誰か正しい歩み方と言おうか、いや言えない。
補足
「鉄槌伝」は『本朝文粋』に収められた漢文で、はっきりとした作者は不明ですが、『新猿楽記』の本文との共通点から恐らく『本朝文粋』編者の藤原明衡と考えられています。
おまけ 「鉄槌伝」の人々の系図