『日本書紀』から学ぶ漢文
日本史を学ぶ際には、当然漢文の知識が多く求められます。しかし日本史が好きな人にとって、中国の古典を読むのは易いとは言えない人もいるでしょう(というか自分がそれなので…… )ということで、日本で書かれた漢文から文法を学び、読解できるようになれればと思い、『日本書紀』の本文に沿って、漢文の文法の解説をまとめてみました。また文章がどんな中国の古典に拠っているのかと、補足情報を簡単に加えてあります。
『日本書紀』神代巻上
古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其清陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定。然後、神聖生其中焉。故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。号国常立尊。至貴曰「尊」。自余曰「命」。並訓「美挙等」也。下皆效此。次国狹槌尊。次豊斟渟尊。凡三神矣。乾道独化。所以、成此純男。
訓読
古きに天地未だ剖れずして陰陽分れざりしとき、混沌たること鶏子のごとし。溟涬にして牙を含めり。其の清陽たるは薄靡して天と為り、重濁たるは淹滞して地と為るに及びて、精妙なるの合ふは搏り易く、重濁なるの凝ることは竭り難し。故に天先づ成りて地後に定まる。然る後、神聖、其の中に生まる。故曰はく開闢の初めに、洲と壞との浮き漂ふこと、譬へば猶ほ游魚の水上に浮くがごときなり。時に、天地の中に一物生まる。状、葦牙のごとし。便ち化して神と為りて、国常立尊と号す。至りて貴きを「尊」と曰ひ、自余を「命」と曰ふ。並びに「美挙等」と訓むなり。下皆此に効ふ。次に国狹槌尊。次に豊斟渟尊。凡そ三神なり。乾道独り化す。所以に此の純男を成せり。
文法
①否定形 「古天地未剖、陰陽不分」
動詞の否定にはふつう副詞「未」「不」が用いられます。ここでは「未剖」「不分」がそれにあたります。「不」が一般的な否定の副詞なのに対して、「未」は時間の観念を含んだ表現で、「まだそうなっていない」というニュアンスを含みます。訓読では「不」は打消の助動詞の「ず」、「未」は再度文字として「未だ~ず」と読みます。
②文末助詞(語気助詞)「神聖生其中焉」「洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也」「凡三神矣」
文章の文末には、その文章に何か感情などを加えるために助詞を置くことが、あり、それをとりたてて「語気助詞」と呼んでいます。漢文でよく用いられるものには、「也」「矣」「焉」「乎」「哉」「耳」「云」などがあります。白文を読むときには、これらの助詞が文の切れ目を探すための目印にもなるかと思います。
「也」→判断、確認の意味を加える。「A(者)B(也)」の形で、名詞述語の判断文で用いられる他、形容詞、動詞述語文にも付く。訓読では「なり」と読まれることが多い。
「矣」→行為、変化の実現(実現への近づき)、また性質、状態の確認、肯定の意味を加える。
「焉」→「於之」が組み合わさって、一語にした言葉と考えられており、「於之」の意味を表すこともある。また文の述語の表す行為や状態を聞き手に再提示するニュアンスを加えると考えられている。
③存現文 「天地之中生一物」
漢文は基本的には「主語+述語(+目的語)」という語順ですが、物の存在、あるなしや自然現象を表すときには「(主語、場所や時間など)+述語(有、無、多、少など)+目的語(意味上の主語)」となります。
④構造助詞 之 「洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也」
構造助詞「之」は有名な用法として修飾語と被修飾語の間に入れて「~の」という意味を表します。例えば「邯鄲之夢」という風な使い方です。一方、上記の例文では主語と述語の間に「之」を容れることで、その句の独立性を低くします。つまり「主語+之+述語(+目的語)」とすることで、それ自体が名詞のように文章の主語や目的語を構成したり、他の句の前において「~したならば」「したとき」の意味を付け加えたりすることができます。ここでは「猶」(ちょうど~のようである)という動詞の目的語に、「之」が入ることで名詞のようになった「游魚(主語)之浮(動詞)水上(目的語)」が来ているという構造です。
(文法については戸川芳郎監修 第四版『漢辞海』の巻末を主に用い、宮本徹、松江崇『漢文の読み方―原典読解の基礎―』を参考に用いた)
文章の内容
本文は『日本書紀』の冒頭、天地が生まれ、初めて神々が誕生された場面です。漢文は古典を模範して文章を作りますが、ここも例に漏れず、古くから出典が挙げられています。
(「書紀本文」→『出典』「引用文」)
「古天地未剖、陰陽不分」→『淮南子』俶真訓「天地未剖、陰陽不判、四時未分、万物未生」
「渾沌如鶏子、溟涬而含牙」→『芸問類聚』所引『三五歴紀』「天地混沌如鶏子」
「其清陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地」→『淮南子』天文訓「清陽者薄靡而為天、重濁者凝滞而為地」
「故天先成而地後定」→『淮南子』天文訓「故天先成而地後定」
(出典については坂本太郎ら校注『日本書紀』岩波書店,1994年,を参考に用いた)
『日本書紀』のこの場面は平安時代、『日本書紀』の講義後に開かれた祝宴の場(これを「日本紀竟宴」と言う)で、和歌のテーマにも使われています。延喜6年の竟宴和歌では大学頭の藤原朝臣春海が「葦芽の 波の萌しも 遠からず あまつひつぎの 始めと思えば」と詠んでいます。江戸時代にはこの場面は川柳の世界で卑俗化され、『誹風末摘花』では「せんずりを国常立の尊かき」(男女一対の神様ではないので、せんずりをかく他ないだろう)という句が見えます。