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海外のミュージシャンが日本の歌手に提供した楽曲・80年代編②

80年代以前から海外の著名な歌手やミュージシャンが日本の歌手に楽曲提供するパターンは存在していましたが、それが本格的に多くなったと感じるのが海外レコーディングも浸透しつつあった80年代。今回はそんな時代の「外国製邦楽」とも言える楽曲を5曲+α取り上げてみる第二弾です。

海外のミュージシャンが日本の歌手に提供した楽曲・80年代編①

1.ジョージ・マイケル(ワム!)→木村一八「心のドアを叩け」(1986)

漫才師・横山やすしさんの息子、木村一八さんのファーストアルバムに収録されたワム!ジョージ・マイケル提供の爽快感溢れるミドルテンポの一曲(日本語詞は松尾由紀夫さん)。どういう経緯で楽曲提供に至ったかは全くの不明ですが、一八さんのニックネームでもありアルバムタイトルの「KAJA(カジャ)」はワム!と同時期のイギリスのグループで一八さんが大ファンであるグループ、カジャグーグーの名前が由来と言われ、グループこそ違えど本人の音楽的嗜好故に実現したものと捉えて良いのかもしれません。

2.ゲイリー・ムーア→本田美奈子「the Cross -愛の十字架-」(1986)

イギリスのギタリスト兼ボーカリストでハードロックグループのシン・リジィ出身のゲイリー・ムーアが提供した哀愁漂うバラード(日本語詞は秋元康さん)。まだデビューして1年程の本田さんに既にキャリアを確立していた海外のミュージシャンが楽曲提供した点も含め本田さんの歌唱力の高さが伺える曲となっており、演奏にも参加したゲイリーさんのギターも大きくフィーチャー。また、この曲は翌87年には「Crying In The Shadows」というタイトルでゲイリーさんにセルフカバーされています。

加えてほぼ同時期のアルバム「CANCEL」にもゲイリーさんはアルバムタイトルの曲に演奏で参加、他の収録曲の中にはクイーンのベーシストのジョン・ディーコンカジャグーグーのベーシストのニック・ベッグスと当時既に脱退していたもののボーカルだったリマール、R&B寄りではスモーキー・ロビンソンら提供のものも(機会あれば取り上げます)。

3.ブライアン・メイ(クイーン)→本田美奈子「CRAZY NIGHTS」(1987)

「the Cross -愛の十字架-」の翌87年、アルバム「キャンセル」でのジョンさんの楽曲提供が布石だったかの如く、本田さんはクイーンのギタリスト、ブライアン・メイから楽曲を提供されます(ギターとコーラスもブライアンさんが担当し、日本語詞はこちらも秋元康さん)。本田さんの歌唱だけでなくコーラスのリフレインも映える華やかな一曲となっており、動画ではショートカットでイメチェンを果たした本田さんも印象的です。B面の「GOLDEN DAYS」もブライアンさん提供で、イギリスとフランスでは英語版がA面として発売(下記のDiscogsのページでは本田さんのファッションとポーズと違和感が有るいかにもオリエンタルなジャケットも確認出来ます)。

また、「GOLDEN DAYS」は2015年にブライアンさんはミュージカル女優で映画「レ・ミゼラブル」にも出演していたケリー・エリスとのコラボでこの曲をカバーしており、ブライアンさんの下記Twitterにはレコーディング時と思われる本田さんとの写真が投稿されています。

ブライアンさんと本田さんのレコーディング当時のエピソードはこちらのサイトにも詳しく書いてあります。

4.ハワード・ヒューイット(シャラマー)&ジョージ・デューク→西城秀樹「NEW YORK GIRL」(1987)

第一弾で取り上げたバリー・マニロウに続くヒデキと海外のミュージシャンとのコラボ。今回はソウル・ディスコグループのシャラマー出身のボーカリストで当時ソロ活動中のハワード・ヒューイットと同時期の彼のソロアルバム「I Commit to Love」のプロデュースを担当していたジャズ・フュージョン系キーボーディスト、ジョージ・デューク提供の当時のR&B(ブラックコンテンポラリー)色強めの洗練された一曲(日本語詞は秋元康さん)。ジョージさんと秀樹さんはこのシングル発売の87年、昭和記念公園で開催されたチャリティライブのジャパンエイド2ndで共演、下記の動画終盤のインタビューではジョージさんの方からの誘いでライブに参加した事が分かります。

5.デビー・ギブソン→栗原冬子「LOST LOVE」(1989)

80年代後半に曲も書けるティーンアイドルとして人気を博していたデビー・ギブソン羽鳥慎一アナウンサーの前妻でも知られる栗原冬子さんに提供した豪華でダンサブルなデビューシングル(カップリングの「夢だけじゃ悲しい~ Another Saturday Night」も提供で、日本語詞は原真弓さん)。英語詞が数多く含まれている点から、デビーさんが作詞した原曲の歌詞をそのまま採用しているのではないかという推測も出来ます。ちなみにデビーさんは90年には山下達郎さん作曲の曲(後の「さよなら夏の日」)に英語詞をつけた「Without You」という曲を日本のみで発売しヒットしています。


第三弾もそのうちやります。

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