読書【死の壁】感想
『死の壁』完読。
養老孟司のベストセラー『バカの壁』の続編。
解剖学者の視点から【死】について語った本。
人間の致死率は100パーセント。
ガンの生存率が何パーセントだとかSARSの死亡率が何パーセントだとか世間では騒いでいるけど、その比ではない。
死んだら自分の死を確認することはできない。
他人の死しか認識できない。
つまり【自分の死】は存在しないに等しい。
だから自分の死について、あれこれ思い煩うことは無意味である。
中世に描かれた【九相詩絵巻】
この絵巻には死体が少しずつ腐っていく様、朽ち果てゆく様が極めてリアルに描かれている。
『バカの壁』を読んだときは凄く一方的な意見が鼻についた。
正論かもしれないけど極論が過ぎる気がした。
「一元論の思考がバカの壁を生む!」という決めつけからして一元論的じゃないか。
と言いたくなるくらい。
続編の『死の壁』も相変わらず極論が見え隠れする。
けれど面白かった。
どうして『バカの壁』は鼻について『死の壁』は面白く感じたんだろう。
「日々変化する自分とは反対に、変わらないのが【情報】。情報が変化するというのは勘違い。人間は変化しつづけ情報は変わらないというのが本来の性質」
と養老先生は仰っている。
ああ、そうか。
僕の方が変わったのか。
僕の方が変わった。
君はそう言ったね。
あんなに優しかったのにどうして?って。
あんなに穏やかだったのにどうして?って。
どうして殴るの?
どうして蹴るの?
どうして首を締めるの?
そう言いたげな君の瞳は見開いたまま光を失っていった。
残念だけど僕は変わってはいないよ。
初めから、こうするつもりだったんだ。
君を、こうするつもりだったんだ。
九相詩絵巻を見たのは12歳の夏だった。
凄く蝉の鳴き声がうるさかったのを覚えている。
知っているかい?
九相詩絵巻の事を。
奈良時代に日本に伝わった仏教絵画でね。
色白で長い黒髪の女の人の死体が少しずつ腐っていく様子を描いているんだ。
亡くなったばかりの新鮮な死体の様子から始まってね。
黒ずむ皮膚の様子。
ガスが溜まって膨らむ屍肉の様子。
皮膚が破けて腐った内臓があらわになる様子。
死臭に誘われてやってきた獣に喰われる様子。
ばらばらに散った白い骨に変わり果てた様子。
そういった死体の変化を九段階に分けて描かれているんだ。
初めて九相詩絵巻を観たときの衝撃。
魂の鼓動。
君には想像できるかい?
夏が来るたびに心臓が疼くんだ。
蝉の叫びを聞くたびに疼くんだよ。
九相詩絵巻を描きたい、って。
だから君なんだ。
だって蝉が鳴いたときに君と目があったんだから。
君の死体を写真に収めてあげるよ。
変わってゆく君の姿を九枚の写真に。
僕は変わってはいないよ。
変わるのは。
君の方だ。