うつ病とのたたかい
今朝もおでんのブログを見ていただき、ありがとうございます。
今日は少し長めの話になりますが、ぜひお付き合いください。
・うつ病からの回復
実は、私のうつ病は、主治医の言うことに素直に従って、奇跡のように快復しました。63歳でうつ病になり、主治医から「3年かかるから辛抱して」と言われ、本当に3年間通院しました。
・最初の頃
最初の頃は何が起きているのか全くわからず、午後になると無性に眠くなり、椅子に座っていることすらできませんでした。
こっそり隠れて居眠りをすることもありましたが、快復の兆しは見えませんでした。
2日続いたので、思い切って精神科の病院に行くと、いきなり「うつ病」と診断されました。
その日のうちに証明書が発行され、「この証明書を見せれば、どの病院でも診療費が1割になります」と言われた時は、かなり衝撃的でした。
自分がうつ病になるなんて、信じたくなかったのです。
・病院を探す
納得できずに「睡眠外来」にも行ってみました。ここでも1週間の検査入院があり、結果は「睡眠時ミオクローヌス」とのこと。うつ病よりはマシな気がしたので治療を始めましたが、日中の症状は改善しませんでした。
冬になり、現場がなく事務所で書類をしている日々。寝ても良いのに、皆の前で眠るわけにはいきませんよね。ついに会社に病気休暇を申請しましたが、1ヶ月経っても全然良くならず、思い切って退職届を出すことに。
・極貧生活
この後の生活は本当に苦しかったです。給料がなくなり、社会保険や税金は働いていた時と同じ額を支払わなければならず、アパート代や病院の治療費もかかります。雇用保険からそれらを支払うと、食費が1万円を少し割る額に。友人の現場のホームページを作ったりして小銭を稼いでいましたが、夜間の賞味期限切れの特売品ばかり買う生活でした。玄米や味噌、塩、きな粉をベースにし、保険が出た時には賞味期限切れの野菜を買うという生活が3年間続きました。だからこそ、今は3食満足に食べられることが最高の幸せです。
薬は悪名高い「パキシル」を飲んでいました。減薬の時が大切だと言われ、先生の指示を守りながら、最後はカッターで半分にしていたこともありました。その時は「ワイパックス」も飲んでいたと思います。お決まりの「マイスリー」なども併用していました。薬をやめる時には頭痛がひどく、「ロキソニン」のお世話にもなりましたが、すべて医師の指示通りに飲んでいました。
・副作用との闘い
この間、副作用かうつ症状かわからない厄介な症状にも悩まされました。まるで鎧を着ているような感覚で、動きがぎこちない。でも、閉じこもっていてはいけないと指導され、川や湖、海に歩いて行くようにしました。自然の環境が近くにあったのは、本当に助けになりました。
何と言っても、主治医に恵まれたおかげだと思います。パキシルを飲んだのは残念でしたが、元気になった今、自分に合った薬だったのだと思っています。
・明るい兆し
この頃の記憶は曖昧ですが、65歳から年金を受け取ることにした今、苦しくても将来を考えるとかなり有利です。借金が膨らんで生活費のやりくりに苦しみましたが、Excelで管理して返済していました。ついには回らなくなり、個人年金を解約して借入を一本にまとめました。
先の明るい未来まで書こうとしましたが、少し疲れてきました。続きはまた明日書きますね。