短編小説「偽りの私」
私は噓つきだ。
誰にも私の本心は言わない。
これからもずっと、言うつもりもない。
そして、言えない。
特に家族には。
私は学校でいじめられている。
それがいつ始まったのかも、覚えていない。
もう、何年も前のことだから。
ほら、この鏡の中の暗い表情も私以外は誰も知らない。
「いってきます」
玄関を開けて出る、自分とは思えない明るい声。
完璧な偽りの私だ。
電車の中で、制服のボタンを一つだけ外す。
私はあるとき、完璧でいなくてはならない。
でも、またあるときは完璧でいてはいけない。
そして私は自分でも、本当の自分がわからなくなってしまうほどに、私は自分を偽っている。
私は、”学校での自分”が嫌いだ。
「ありがとう…」
ほら、
「そうだね…」
まただ、
「いえ、何もありません…」
私は一つ、また一つと嘘を重ねている。
ただ唯一、私が本心でいられる瞬間がある。
それは、本を読むこと。
その時だけは、本当の自分に立ち会えている気がする。
だから私は放課後、誰もいない図書室で新しい自分を探している。
今日、何気なく手に取ったのは『素直』という本だった。
『知ってか知らずか、この本を手に取ったあなたは、何か悩みがあると思います。筆者の経験も交えながら、その解決を考えていきましょう』
私は前書きの時点から、その本に魅入っていた。
その本は私に向けているのではないかと錯覚するぐらい、今の私に必要なことばかりだった。
『今悩みのあるあなた方の中には、誰にも相談できぬまま、自分だけで苦しんでしまっている、という人もいるでしょう。つらいですよね。苦しいですよね。わかります。過去にいじめを受けて、一人になってしまった私―筆者だからこそ。
本書のような類の本では、”自分で抱え込まないで、人に相談しよう”や、”自分が強くなるしかない” といった、綺麗事や少々強引なものまで様々あると思います。しかし、筆者はそうは考えません。そんなことは周囲からごまんと聞いてきているはずです。でも行動できないのです。
だからこそ、筆者の私から一つだけ、あなたに知っておいてもらいたいことがあります。それは、” 素直”になることです。それは何にだっていい。誰にだっていい。逃げ出すことだっていい。せめて、自分自身にだけは嘘偽りのない”素直な自分”でいてあげて欲しいのです。』
ああ、そうなんだ。
私って、もっと素直になってもいいんだ。
自分を偽る必要なんてないんだ。
私は本を閉じて、図書室を飛び出した。
周りに遮るもののない学校の屋上では、西日が眩しく輝いていた。
なぜだろう、あんなにも胸の奥に重くのしかかっていたものが、嘘かのように澄みわたっている。
こんなにも簡単なことだったんだ。
私の体は、もう迷うことなく動く。
そして、いとも簡単に安全用フェンスを越えた。
「私にもこんな力があったんだなぁ。」
屋上のへりに立っても、私の気持ちは揺らぐことがなかった。
うん、大丈夫そうだ。
私は、体を空中に預けた。
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