
ぼやき以上物書き未満:附・受験tips
こんばんは🙏
今日は親戚の法事で都内へ出かけました。
法事が終わり、お食事へ移るときにひょんな拍子で御茶ノ水の「山の上ホテル」について短いお話が出ました。
国立病院から私立の病院に転院、終末期で帰らぬ人となった父。その直前に退院した父を伴って、母と叔母が山の上ホテルで食事していたそうです。
ひるがえって私はといえばその頃、2度目の腹水除去で入院していた父を見舞ってから大通り向こうのマックでアフォガートを食べていたことを思い出します。
私はどうしても、某文学賞で有名な山の上ホテルで食事することも叶わず、父が他界した翌日、入院費を払いに単身御茶ノ水へいき、お茶の水スクエアの喫茶店でそそくさと昼食を終えたこともおぼえています。直感で1万円足りないと思い、行きの道すがらATMでお金をおろして間に合ったのもその時でした。その内訳には保険外でブドウ糖注射液も入っていました。
ブドウ糖って口から入れても元気な人でも意識が上がってくる成分です。
御茶ノ水といえば私が高校最後の年と浪人の一年間お世話になった街でもあります。「現役時代」真剣にやっていないと父に強めに注意を受けてショックだったこともよくおぼえています。理系を諦め、文転した挙げ句途中からかじり始めた世界史ばかりが命綱でした。さいわい、英語は構文を学び直すことで成績がアップしたのもおぼえています。
これが、大学も就職先も現在の障害者雇用先も「選べない人生」の始まりでした。高校受験までの勢いはどこへ行ってしまったのか、私は皆目思い出せません。
家柄なのか、家の財産や親のその時の身分次第なのか。年の離れた妹は父が出世の絶頂期にあったこともあるのでしょう、短大卒後は私とはかけ離れたよい家庭生活を送っています。
そうやって自分の出自を疑ってみたことは数限りなくあります。
まあ、ぼやき以上物書き未満なお話です。目を通していただきどうもありがとうございます。
2024/01/13 ここまで