2024/10/13 帝国ホテルのおかわり自由コーヒーに思う
上のリンク、紫藤春香さん(@chuck_abril17)の記事を読んで、まだ良心的な民主主義者がいたと思い、溜飲が下がる。
たしかに、明治維新から敗戦まで、身分制は法文の下には存在していた。
つまり、明治憲法下(明治二十二年発布)では封建社会(正確には明治十四年の政変以降)がお歴々によって蒸し返された格好になっている。
さて、現行憲法では、第十四条に身分制の否定、第四十四条に次の通りある。
(引用部太字 引用者)
第十四条は「基本的人権」のことで、法の下の平等を謳っている。
だが、現実には社会的身分や門地を禁じられているにもかかわらずそれを引きずっている階層が存在することの証左にもなっている。
つまり、実際には法の下の平等が直接与えられているものではなく、それを求める努力が必要だという学説(プログラム規定説)もある。
上に挙げた第四十四条は同じ憲法の中にありながら、矛盾していて整合性がとれていないのでは?と思えたりもする。世襲議員とか身分違いとか、第四十四条は事実を追認しているように思える。
ならば一層、第十四条もまた、身分差を追認しているのではないのか?
たしかに、新憲法(1947年5月3日に施行)まで身分制はこの国でも生きていたことになる。
その日を境に地を掃って一切の身分制がなくなったのだろうか?
答えは、上記のポストにある社会状況を見て察して欲しい。敢えて私の答えは書かないが、代わりに、プログラム規定とは「絵に描いた餅」のようなものだといいたい。
2024/10/13 ここまで
後記
Paris 2024の開会式演出はショッキングでしたね。
むしろ、表面ではなく本質的には、あれこそが民主主義と基本的人権の故郷だと思うのは私だけでしょうか?
あと、ゲーテとベートーヴェンが森の中を散歩していて貴族とすれ違ったとき、ゲーテは深々と頭を下げ、ベートーヴェンはどこ吹く風と歩き続けたというのです。貴族をめぐって昔からこういう違いはあったのですね。
(上記記事「散歩」で引くとエピソードが出てきます。)
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