インプット・ルーティン

最近『インプット・ルーティン 天才はいない。天才になる習慣があるだけだ』という本を読んだ(副題のせいで買うのがちょっと恥ずかしかった)。著者の菅付雅信氏は雑誌編集の他、大御所写真家達の写真集の編集もやっている人。内容を簡単に言うとその菅付氏が一流のアーティスト達と接してきて、彼らが共通して持っている習慣やスタイル、自身の経験も踏まえたノウハウなんかをアーティストやクリエイター向けにまとめた本である。

この本のメッセージは割とシンプルで、インプットからしか新しいモノは生まれないから普段から凄いものに接しておきなさい、というものだ。アーティストは心の内側から湧き起こったものを作品にすれば良い、そもそもアーティストって凡人と違って何もしなくてもセンスがあったり「降りてくる」んじゃないの?という意見もあるかもしれない。しかし筆者はそんな意見に対して「否」をつきつける。インプットが多くないとセンスも良くならないし「降りて」も来ない、という事らしい。時々若いアーティストが現代的な感覚で斬新な作品を作ったりする事もあるが、それをずっと持続させられる人はほとんどいないと筆者は語り、インプットし続ける事の重要性を主張する。

ジャンルに関係なく読書や美術、写真、映画、音楽などに触れた方が良いというのはまあ分かる。驚いたのはその中に「食べ物」も含まれていること。とにかく食べ物を含めて自分を賢くするもの以外自分の中に入れない事を推奨していて、スマホなどで暇潰しの為に時間を使う事に警鐘をならしている(ちなみに今日の昼、まるでエサのように味気ないカップ麺を食べてしまった…)。

僕は割と本は読む方かなと思っているが、自分でも笑ってしまうくらい読んだ側からキレイサッパリ忘れてしまう(だから時々同じ本を2回買うという愚行を犯してしまう)。僕のような愚民のために筆者は本のメモ法やスキャニングなどによる情報管理を勧めているが、これは難しそうだし多分やれなそうだなー(めんどくさくて出来ない)。

また音楽の重要性についても多く語られていた。筆者曰く一流クリエイターは間違いなく抜群に音楽のセンスが良いという。そして音楽をやっている人じゃなくても音楽に興味がないクリエイターに人の心を動かす事は出来ないと断言している。これは僕が良いと思う作品を作る人に音楽をやっていたり音楽にこだわりがあったり、音楽通が多いので腑に落ちる所はある。

印象に残ったのが村上春樹と小澤征爾の対談からの引用で、村上春樹が、自分は文章を書くことを誰かに教わったことがないが、言葉や文章のリズムを音楽から自然に学んだというような事を書いていて目からウロコが落ちたような気がした。

センスが良いかは別として僕も音楽は一般的な中年男性に比べると結構聴いてきた方だと思うし、暗い青春時代も音楽の力で何とか乗り切ってきたのは間違いない。偏愛しているミュージシャンもいるし若い頃に衝撃を受けて、今だにずっと聴き続けているアルバムもある。しかし耳が良いかどうかは自分ではわからない。読書と同じく右から左に通り抜けている可能性は高い。ただこの本を読んで、音楽に対する興味がまた俄然強くなった。音楽はメロディだけで楽しい気分にさせたり、逆に悲しい気分にさせたり理屈じゃなくダイレクトに人の心を動かすことが出来る。絵画や写真で感動している時は音楽で心を動かされているのと同じように心が働いているのかよく分からないけど何らかの関係はあるのではという気がする。

この著者の言う音楽の重要性は、モーツァルトを聴けば頭が良くなる的な事ではなく、良い音楽をちゃんと聴けば、自ずと自分の血肉となっていくという事なんだろうけど、僕がこれまで聴いた音楽は、果たして村上春樹の文体のように自分の作品で何かの役に立っているのだろうか?今の所自分ではよく分からない。

この本を読んでから一つ実行した事がある。音楽をスマホのヘッドホンではなく、ちゃんとコンポのスピーカーから聴くようにしたのだ。そんなに高級な機材ではないのだけど、ヘッドホンで聴くのと全然違う。スピーカーから音を出すと今更ながら音楽って空気の振動なんだなと改めて痛感した。

この筆者が言っている事は、以前瀬戸正人先生が「芸術には共通の言語がある」と言っていた事に通じると思う。ここ数年、僕の心にその言葉がずっと引っかかっていたのだが、そのことを分かりやすくまとめたのが本書だと思った。

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