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【懐疑】論理的思考に対する感情的思考の矛盾
『話にならない』
そんなふうに思ったことはありますか?
例えばですよ
私はスヤ太のホッペを叩くことがあります
それはスヤ太の未来を思ってのことです
と主張するとしよう
それに対して
『暴力は絶対ダメ!』と反論される
理由が乏しい、詳しい根拠も無く
『暴力は絶対ダメ!』だからだ
暴力がダメな理由を聞いても浅い
なぜならやはり『それは暴力だから!』と言う
議論とは、論理的に解釈し、同じステージで会話をすることだ
私が嫌いなのは『多くの人がそう思っていて、その人たちが味方になってくれるから、こう言っておけば間違いない!』という保身だ
しっかりと考えて
同じステージで議論をして
相手も自分も疑って
『本音』を伝えるべきだ
そこにおいて
『かわいそう』とか
『悲しい』みたいな
感情は立つに値しない
相手以上の根拠に基づいた説明ができていないのであれば
背中にある世論の支えがあって発言している人は多いと思いますが
発言に説明と責任を持たなければこれからの時代は
TVに代わるSNSと
宗教に代わるインフルエンサーが影響力を増す時代に
結局同じように飲み込まれて
誰かを叩いて傷付けた結果
自分で自分が分からないし納得できない
あぁ、死にたい
という誰も幸せになれない不幸な結末に成り兼ねません
あ、これは自慢ですが
中学生時代にディベートの授業が何度かあって
既成概念に囚われる相手に対して
無敗でした