【考察】好きを仕事にすることが正しいのか
私自身はそんなことをこれまで思うこともなかったのですが、思うところがあったので綴ってみます。
これまで何度か言われたことがあるのですがこの仕事をしていると『ものづくりが好きなんですね』と思われることがあります。
特に嫌いではないのかも知れないけど、ものづくりが好きだからものづくりを仕事にしているわけではない、という自覚が私にはあります。
遡ってみましょう。
中学時代の授業で『インダストリアルデザイナーになるためには』という本を選んだ。
高校時代、担任の先生に造形大学への進学を勧められた
大学時代は音楽に没頭。デザインのプレゼンで発表者に選出されたが、その題材すら音とデザインについて、だった。
希望の東京の会社にはどこも受からず地元のデザイン事務所に勤めた。それもそのはず、アプローチした東京の企業は全て求人募集をしていなかったから。
正社員になるも、病気の父の意志を聞き家業を継ぐことを決意。この時26才
継いですぐ父が59才で他界。負の遺産放棄する選択もできたが、借金まみれになっていた家業を継ぐ道を選んだ。若さと勢いです。
できることは全部やろうと思った。死にたいと思ったことは無いが死んでも仕方がないという覚悟で仕事をした。家族の死は与える影響が大きい。
30代前半、絶賛未来の種まき中に出店先のイベントで何度も箸置きを選ぶためにウロウロしている客に会う。後の妻である。私はとても不健康な顔色をしていたらしい。
結婚後、リクルートに勤めていた妻の成績が優秀で勧誘。3年以内に軌道修正できなければOLに戻るという約束のもと手を組み尽力。今思えば経費削減を主にした夫婦の貧乏生活は楽しく、第2の青春だった。
業績が安定し始める。人を増やしより私がコアな仕事に着手できるようになる。
2019年、妻の行動力により眠ったままだった『おなまえ積み木』の販路を開拓。このチャンスを逃さずリサーチを続けることで販売数を安定させ、向こう5年間で20000セットを販売し、現在も売り上げの主軸となる。
妻の壮絶な不妊治療の末、39才で長男が生まれる。育ってくれた優秀なスタッフたちと共に会社を守る。
そして現在に至ります。
ほら、これまでをザックリお伝えするだけでこんなに長くなってしまったでしょ。
一つ一つ切り取っても残したい言葉が溢れるのですが主題に戻ります。
結論
『私は好きを仕事にしていないが好きで仕事をしている』
本当は2行で終わっていました。
ただし、厳密には学生時代にやりたかったことを仕事にしていたのだと後で気づくことになるのです。
インダストリアルデザインという規模ではないですが、自分がデザインした製品で多くの人に喜びを与えることができています。
DTPデザイナー時代よりもずっと私はイラストレーターとフォトショップを活用しています。
これは意図したものではなく、自ずと原点に回帰しているのだと思います。
未来のことを言うと、私は出産祝いの積み木だけでなく、仏壇製作所がやるべき家族への想いを向ける祈りの空間を提案し、その分野を伸ばします。
たぶん10年以上前ですがYouTubeの広告で『好きを仕事にする』みたいなコピーありましたよね。
まったく否定しません。
ただ、選びすぎて、こだわりすぎて、大してやってもいないのに結論を出すのは非常にもったいない。
本気なら遠回りでも近づいていくでしょう。
本気なら協力者が現れるでしょう。
本気で進んでいるうちに当初と違う結果だったとしても納得できるでしょう。
いや、満足しているかもしれません。
誰かのせいにしたらそこで、計画は終了です。
社会のせい。企業のせい。友人のせい。家族のせい。
実際にはそうだったとしても、そこからノビシロは削られます。
ここまで伝えましたが、職業柄『好きを仕事にしている』方々は結構いて、作家さんや職人さんなど充実している方々には感心させられるし、見ていて気持ちいいです。
ちなみに私はいつもものづくりをしている時、常に次と次の次にやるべき仕事のことを考え一時間単位でタスクの優先順位を切り替えているセワシナサ
根がせっかちですからね
最後に声を大にして言いたいのは『自分を信じてほしい』ということ
信じた通りにはならなくても信じたことに意味があるし、信じたことを後悔しない自分は未来の自分が決めるのだから、未来のことはワカラナイということ
ググれば誰かの結果が出てきてその時点で諦める
便利だけど虚しい昨今
どうか若い子たちには納得のできる選択をしてほしいです