#3 新入社員歓迎会 〜猛者達の宴〜
入社初日の定時を告げるチャイムが鳴り、周りが慌ただしく帰り支度を始める様子をオフィスの一角にある会議室の中で感じる。
今日はこの後、たった1人の新入社員である僕の歓迎会が行われる……
本来、飲み会は好きで楽しみにしていたが、今回は違う。ありがた迷惑なことに、人事担当の田代さんは今日の歓迎会に会社の幹部を招集した。
僕の社会人として最初の飲み会がいきなり会社のお偉いさん相手になるとは…
まったく気の抜けない状況が続く。
少し席を外していた田代さんが僕のいる会議室に勢い良く入って来た。
「お待たせしました。それじゃ!行きましょーか。」
(いやだ!はー……いやだー)
心の中では、まったく行く気にならない。
しかし、新入社員らしく僕は返事をした。
「はい!お願いします。」
田代さんに連れられ会社を出た。
会社のあるビジネス街から少し歩き、細い道を進んでいくと、多くの飲み屋が軒を連ね、平日の夕方にも関わらず既に賑わいをみせる飲み屋街が広がっていた。
その飲み屋街を横目に更に進み、少し閑静な雰囲気が漂い始めた所で田代さんの歩みが遅くなった。
「今日はあそこです!」
田代さんが指差す方に目をやると、そこに1軒のお店があった。
いかにも都会のオシャレなイタリアバルといった雰囲気で、少なくとも学生時代には入ったことの無い種類の大人なお店だった。
恐る恐る中に入ると店内は薄暗く、少し高い天井から吊り下げられたオシャレな照明が等間隔に並んで必要最低限の光を放っていた。
壁にはワインセラーが埋め込まれ、所々にもう一生読まれることはないであろう英字の本や店内の暗さで何が描かれているかよくわからない絵画が綺麗な額に納められ飾られている。
店員さんに案内され、席に向かうと既に2名の方が先に着いていた。
「すみません。遅くなりましたー」
田代さんは先に着いていた2人に声をかけたが、開始予定の時刻よりも早く着いていた。
「長浜さん矢口さんはまだみえられてないですかね?」
田代さんのこの言葉で今日は既に着いていた2人と田代さんと僕と、後から来る長浜さんと矢口さんという人の6人であることを把握した。
入社式に参加して人数よりも少なくなった事に少しだけ安心した。
田代さんは残りの2人が来るまでの間を当たり障りのない会話でつないだ。
その間にメニューを渡され、「頼みたいものがあったら頼んでいいよ」と言われたが、社会人としての初めての飲み会、しかもお偉いさん達との飲み会で一発目に何を注文したらいいのか、まったく検討がつかなかった。
(こーゆー時、ある程度注文する方が良いのか?とりあえず、最初は遠慮したほうが良いのか?でも、何も提案しないのもかえって困らせるか?)
メニューに目を通すとお店の雰囲気通りの高めな価格設定が更に判断を狂わせた。
(ちょっと高いな…)
(オリーブ、ピクルス、ナッツで900円……)
(サラダにしたって『ナチュラルグリーン』とか『フレッシュグリーン』とか結局なんのサラダかよく分からないのに聞いたことないドレッシングかけて1,500円以上する…)
(それより、カプレーゼの1,800円……
トマトとチーズを交互に置いただけでなんでそんなする??)
(お肉の盛り合わせは圧巻の5,800円……)
(こーゆー時は皆で食べれそうなもを注文するべきだろうが、そもそもおじさん達はどーゆーのを好んで食べる生き物なのかもよく分からん…)
結局考えがまとまらないまま、暫くして残りの2人が到着し、いよいよおじさん5人対新入社員1人のアンバランスな飲み会の火蓋が切って落とされる。
「とりあえず、ビール」と言う、社会人としてお決まりのファースオーダーに続けて、僕に頼みたいものあったら頼んで良いと言ったことが、完全に無かったことの様に田代さんが適当にいくつか注文した。
ビールが来るまでの間、「このお店知らなかったなー」「すぐ場所わかりました?」など、再び当たり障りのない会話で場を繋ぎ、遂にビールが届いて乾杯の準備が整った。
おもむろに田代さんが仕切りを始める。
「それでは、皆さん、今日は澤村君の歓迎会ということで、お集まり頂きありがとうございます。早速ですが、乾杯を長浜さん!お願いしてもよろしいでしょうか。」
この時はわからなかったが、社会人の飲み会では、その場にいる偉い人に乾杯の音頭をとってもらい、また最後に別の偉い人に締めの挨拶にお願いするのがマナーらしい。
「じゃぁ手短に!」
そう言って長浜さんはグラス片手に話し始めた。
「えー、澤村君、入社おめでとうございます。今年の新入社員は澤村君1人でなにかと大変かと思いますが、入社式での立派な立ち振る舞いを見て、感心しました。澤村君ならたくましく成長してくれると期待しております。これから社会人として第一歩を踏み出すということで不安もあるだろうし、仕事をしていく中で大変なこともたくさんあると思います。でも、その分、達成感や充実感、また大切な人との出会いや経験という財産を得ることができるとと思います。
だから、粘り強く頑張って下さい!
それじゃ、乾杯!!!」
入社式でのズラ社長よりもまともな人だと思った。
ビールをひと口飲むなり、田代さんが再び仕切りとなり、改めて今日の歓迎会の参加者を紹介してくれた。
取締役常務の長浜さん
背が高く、割腹の良い、声も低くていかにも貫禄のある雰囲気。
執行役員の矢口さん
背は低く、優しそうで、物腰の柔らかい印象だが、頭の良さそう雰囲気。
統括部長の東山さん
背が高く、痩せ型で、矢口さんと同様に優しそうで物腰の柔らかい印象だが、頭の良さそう雰囲気。
技術部長の野中さん
野中さんとは就活の2次面接で1度会っていた。その時は堅そうな人、厳しそうな人といった印象だったが、今は飲みの場というのもあってか柔らかい雰囲気だ。
参加者の紹介が終わる頃には少し料理も出始めて、テーブルの上は飲み会らしくなってきた。
「澤村君は今何歳?」
ふいに矢口さんが聞いてきた。
「22歳です。」
答えた瞬間、おじさん達は皆、大小それぞれに驚きのリアクションをとった。
「いやーー若いねーー!」
「ここにいる皆、澤村君が生まれる前から仕事してるよー」
衝撃を受けた。
考えてみればそうだ、多くの人は20歳前後で社会人になる。ここにいるおじさん達は皆、40代後半から50代となると、社会人歴だけで、僕のこれまでの人生以上の歴史を経ている。
僕にとっての22年間はとてつもない長いものであり、記憶にない赤ん坊から現在に至るまでの全てである。
僕が「おぎゃー」と産まれたその時には既にこの人達は仕事をしてる……
しかも、その中でも群を抜いて優秀だったからこそ、現在、幹部として会社の上層部に君臨している。
そんな猛者達と今日入ったばかりの新入社員が1つのグループなるのが会社というものなのかと不思議に感じた。
それと同時に人間として生きてきた時間に果てしない差がある人との飲み会で何を話せば良いのか、まったく検討がつかなくなった。
そんな事を考えてる間にも猛者達だけで会話は進み、それぞれが新人時代にどんな仕事をしてたという昔話に花が咲いていた。
しかし、業界の専門用語と思われる言葉が飛び交い、なんの話をしてるのかさっぱりわからなかった。
そうかと思うと、僕の年齢から産まれた年を勝手に割り出して更に話が盛り上がる。
なぜならその頃はサラリーマンにとっての一大事、バブル崩壊の真っ只中。
目に見えて変化する時代に、あの時は大変だったと言う苦労話で盛り上がり始めた。
そして、話は更にその前のバブル絶頂期に遡り、あの頃は本当に良い時代だったと、
その時に手かげた大規模なプロジェクトや豪華な会社イベント、飲み会のド派手さといった話が盛り上がっていた。
気が付くと1時間以上、猛者達の話で盛り上がり、僕が喋ったのは年齢だけ。
(……え?今日は僕の歓迎会だよね?こんなに主役をほっといて自分達だけで盛り上がるか?
猛者達からすると、吹けば飛ぶような新入社員は相手にしないってか??
そもそも、バブルを知らない世代の僕の目の前で、よくもまー、あの時代が良かったと言えるな!
まるで、今の世代が蔑まれてるみたいだ!
今の景気が停滞してるのを他人事みたいに言ってるが、考えてみれば、あんたらの世代がもっと頑張っればよかったんじゃないか!!!???)
相手にされていない孤独感から微かな怒りが込み上げ、猛者達の話を聞きながら思考は愚痴をこぼしていた。
(あーやっぱりだわ…思った通り、つまらん…)
置いてきぼりになる新入社員にやっと気づいたのか、突然、長浜さんから質問された。
「そうだ!澤村君の出身は?」
(急に来たな!!そして「そうだ!」ってなんだよ!完全に忘れてたじゃん!!)
「あ、東京です。」
「東京ね、シティーボーイだねー…」
東京というあまりに王道な出身地にはあまり食いつきが良くない様子で、すぐに猛者達の出身の話になった。
(もうそっちのターンですか!!)
またも、出身地を答えただけで僕のターンは終わった。
猛者の出身地が一通り紹介されていったが、他の誰にとっても所縁が無く、他の誰にとっても特別知る出身地は出なかったようで、この話題は手短に終わった。
そして、今日が僕の歓迎会だということをようやく思い出したかのように、新入社員に対してのアドバイスを語る流れが始まった。
「若いうちに、とにかく挑戦していっぱい失敗したほうが良いよ!」
というアドバイスから、世紀の大発見をするまでの科学者の逸話を語るかのように猛者達はそれぞれに自らの経験談を自慢げに話し始めた。
「若くてエネルギーある時に色々経験して、苦労した方が良いよ!」
というアドバイスから、長時間残業の経験を勲章のように掲げ、厳しい訓練に耐え抜き先鋭となった軍人の軌跡を語るかのように猛者達はそれぞれに自らの経験談を声高らかに話してくれた。
「若いうちに、率先して矢面に立たったほうが良いよ!」
というアドバイスから、弓矢の降り注ぐ、戦場を勇敢に立ち向かった戦士の伝説を語るかのように猛者達はそれぞれに自らの経験談を誇らしげに話した。
どうやら猛者達の気分が良くなり、アドバイスという入口を抜けた先にある経験談を語りたいだけの流れであったように思えた。
僕は矢継ぎ早に飛んでくるアドバイスと称した自慢話のような経験談の矢を
「はい。」「なるほど。」「そーなんですね。」「すごいですね。」
この4語だけの盾でしのいでいた。
そういう意味では入社初日から矢面立っているとも言えるのかもしれない。
すると突然、店員がやって来た。
「失礼します。間もなく、お席のお時間になります。」
(ありがとう!!!店員さん!!その言葉を待ってたよ……)
薄暗い店内でその店員さんだけは神々しく輝いて見えた。
そして、その店員さんは「よく頑張りました」と言っているような表情で僕に微笑みかけてくれた。気がした。
だから、僕も「ありがとございます」という表情で返した。
そして、いよいよ!
僕の歓迎会がお開きになる。
場の雰囲気を見て田代さんが最後の仕切りで話し出す。
「宴もたけなわになりましたので、最後に矢口さん、締めていただいてもよろしいでしょうか。」
(やっと終わる……てかっ、えんもたけなわって本当に言うんだ!てかっ、しめってなに??なんかすんの?)
当然の流れであるように矢口さんが話はじめた。
「じゃぁ、改めて澤村さん!入社おめでとうございます。
えー澤村さんの今後の成長と!それからご健勝とご多幸を祈念しまして!
関東一本で!締めたいと思います。」
(めっちゃくちゃ堅い挨拶だ…、これが社会人なのか…、そんなことより!関東一本ってなんだ??)
最後の最後で現れた聞き慣れない言葉に一気に緊張が走る。
「じゃぁ皆さん立ちますか!」
(えっ!立つの??なんで?なにが始まる??関東??一本??なに??)
おじさん達が一様に掌を上に向け、両手を前に出したので、僕もとりあえず、真似して手を出した。
「よろしいでしょうか!」
(なにが??よろしくないよ!!)
「よーおっ!」パンッ!!!
矢口さんの掛け声に合わせ、皆が一回、手を叩いた。
僕も少し酔っていたが、なんの説明もなく行われる関東一本で締めるという行為に遅れをとりたくない一心で、目の前にいる田代さんの挙動に集中し、手を叩こうとする動作に反応して、ほとんどズレなく手を叩いた。
いわゆる、一回だけ手を叩いて締める一丁締め、またの名を関東一本締めだ。
知らなかった。社会人の飲み会の最後に手締めが行われてることを。
幼い時に町内の祭で子供お神輿を担いだことがある。お神輿を担ぎ終えたあと、最後に皆で手締めをしたことがある。
僕の記憶ではそれ以来、1度も手締めをする機会はなかった。
それほど、僕の人生にとっての手締めは無縁の存在であった。
(これが社会人の普通なのか…?)
洋式のオシャレなお店でおじさん達が立ち上がって、一丁締めをする姿は異様であり、滑稽でもあるように思えた。
(この人達は恥ずかしくないのか??)
そんなことを考えてるうちに周りを身支度を始め、僕の歓迎会は終わりを迎えた。
率直に疲れた……
やっと終わったんだ。長い長い1日が、僕の入社初日がようやく終わる。
お店を出て、幹部の4人は別の駅から帰ると言って暫くして、別れた。
今思えば、話の合う猛者達だけで2次会にでも行ったのだろう。そう言う意味では初日の飲み会で僕は猛者達にハマらなかったのだと思う。
しかし、そんな事に悔しがる余裕はなく、田代さんと2人になって駅に向かう状況にホッとした。
駅に着いて、改札を入ったところで田代さんとは方向が違うと聞いて、更にホッとした。
早く1人になりたかった。
「じゃ!澤村君!お疲れ様。」
「ありがとうございました。」
「全然酔っ払ってないね!強いんだね!」
(あんな緊張する飲み会で酔えるか!)
「そんなことないです。でも、なんとか大丈夫です!」
「楽しめたかな?」
(楽しめるかーー!!その場にいたよな?途中、完全に置いてきぼりになってたよな??楽しんでるように見えたか??)
「はい!皆さん優しい方で色々話も聞けて楽しかったです。」
「よかったー!迷ったけど、こうゆう飲み会して正解だったね!」
(思っっっきり不正解だわ!!!!)
「そうですね。ありがとございました。」
「じゃぁー!明日からは新入社員研修だなら頑張ってね!!」
(明日の事はどーでもいい!早く1人にしてくれ…)
「はい!頑張ります!」
「じゃぁ!田代はこっちだから!また明日!」
「はい!お疲れ様です!ありがとうございました!失礼します!」
(やっと…1人になれた……)
その瞬間、一気に疲れが押し寄せた。
そして、歓迎会を振り返り思う。
肩書に緊張し、萎縮していたが蓋を開ければ空気の読めないただのおじさんじゃないか。
街にあふれるそこらのおじさんとなんら変わらないただのサラリーマンじゃないか。
そう考えると緊張していたのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
ただ、もし仮に、自分が偉くなった時には、あんな空気の読めないおじさんにはなるまいと強く思った。
今日の朝、期待と不安が入り混じった特別な感情で、社会人生活の第一歩を踏み出すことにワクワクしていたのが、遥か昔のように感じた。
そして、いよいよ、明日から新入社員研修が始まる。
つづく
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「#4 新入社員研修 〜無慈悲な前触れ〜」