#9 合同新入社員研修 〜ムカつく女〜
目の前に現れた全面ガラス張りの巨大なビルは日の光に照らされ輝きを放ち、圧倒的な存在感で僕の前に立ちはだかる。
子会社である自分の会社が入っているビルもそれなりに立派なものだが、別格だ。
さらに会社の敷地内に入ってもなお、指定された研修会場まではしばらく歩いかされるほどに広大な土地を所有している。
(こ、これが親会社の実力か……)
親会社の建屋と敷地面積で圧倒的な差を見せつけられた気がした。
今日から2週間、グループ会社全体での合同新入社員研修がいよいよ始まる。
研修会場に近づくにつれて、駅から押し寄せたサラリーマンの群衆は減っていき、新人の雰囲気を纏った若い人達が続々と姿を現し、緊張感が高まる。
なぜ緊張するのか僕は理解している。
各グループ会社からそれぞれ大勢の新入社員が参加する中に僕は1人で飛び込んでいかなければならないという不安と恐怖。
それに加えて、ここに集う新入社員と僕との間には大きな格差があるという意識。
前述した通り、競争率の高い親会社を含むグループ会社の厳正な審査にふるいにかけられ、選び抜かれた先鋭達と全く人気の無かったところにつけ込んで狡猾に入社した僕とでは入社した段階で歴然とした差がある。
その後ろめたさからか、同期という言葉から連想される仲間意識のようなものは微塵もなかった。
指定された研修会場は「Symposium Hall」と表され、立派な体育館程の大きさであった。
(で、で、でかい!!し、し、しかも!シ、シ、シンポジウム??)
シンポジウムの意味はわからなかったが、少なくともうちの会社にはないやつだ。
(しかも、会議室とかじゃなく、ホールかよ!)
いちいち凄味を醸し出す親会社が若干鼻につく。
そのホールの中に入って会場内に目をやると正面に立派な舞台があり、その舞台に向かってサイドデスク付きのイスがズラリときれいに並べられていた。
既に会場内には先に到着している新入社員達が前方半分程の席を埋め尽くしている。
それぞれの話し声は決して大きくは無いものの、無数に飛び交う私語が大きな喧騒となって耳に届いた。
グループ会社専用の受付を済ませ、到着した者から前に詰めて座るよう指示される。
僕はちょうど中央付近に座ることになった。
今思えば、ここで中央に座ったのも神のいたずらか…
全てのイスには資料が置かれており、席につくなりそれを手に取り中身を確認する。
そこにはグループ会社全体での合同新入社員研修の全体スケジュール表と今日、この後に行われる研修の教材、連絡事項等のいくつかの資料がまとめられていた。
そして、その資料に混じって、僕にとって不都合な書類が1枚。
(こ、これは……良くないでしょ……)
その紙には研修に参加するグループの全会社名とその横の欄に各会社からの参加人数が記載されている。
親会社を筆頭に参加人数は188名、86名、63名……と参加人数の多い順に上から列挙される。
そうなると当然、最後の最後に僕が所属する会社名が記載されており、その隣に「1名」という文字が寂しそうに記載されていた。
(ひどい…ひどいよ…ひどいじゃないか!!)
不安と孤独感に苛まれ、微かに胸が痛む。
必要な情報展開資料であると分かっていながらも、僕にはこの大人数の中で「お前は1人ぼっちだ!」と改めて突き付けられている気がした。
周囲のざわめきが、「1名」の参加者がどこのどいつだと、あたかも、犯人探しをしているように聞こえて来る。
僕の会社の1つ上の行に記載された会社からの参加者は4名と他のグループ会社に比べて明らかに浮くほどの少数ではあったが、僕の「1名」に皆の注目が集まり、きっとホッとしてるのだろう。
(命拾いしたな!!)
訳のわからない八つ当たりをまだ見ぬ、その4名にぶつける。
全体の参加人数はおよそ400人で事前に鈴木さんから聞いていた300人を大幅に上回っていたが、今更300人が400人になったところで何が変わる訳でもない。
続々と新入社員達が席を埋め尽くす。
不意に僕の隣に座っていた女性から話しかられた。
「おはようございます!」
「あ、おはようございます。」
「所属はどちらですか?」
当然の質問だが、思わず構える。
1人しかいない会社の所属であることを公表することに抵抗感はあるものの、ここで嘘をつくわけにもいがず、勇気を出して自分の会社名を名乗る。
「え……あ……お1人のところですか……」
嫌な間を入れながら返される。
(まーそーゆー反応にはなるわな…)
思わずバレてしまったという気になった。
「そうです…1人なんです…よろしくお願いします。」
すると、彼女は社交辞令のような笑顔と軽い会釈だけを返し、正面を向き直って、早々に僕のとの会話を切り上げた。
(え……?)
急にはしごを外された気分がした。
(普通こうゆう時、何回か会話のラリーするでしょ!!そもそと名前は??せめて聞いたんだから、自分の所属は言うのが礼儀だろ!!)
彼女の横顔はたった1人しかいないような会社のやつと会話なんかできるかと言っているようだった。
そう思うとプライドの高そうな嫌な女に見えてきた。
(嫌な感じだな……)
定刻となり、いよいよグループ会社全体での合同研修が始まる。
最初の研修カリキュラムは、若手ながら親会社で活躍している先輩社員の話。
3名の社員が登壇し、順々に話をしていく。
1人は世界に広く展開するビッグプロジェクトに関わった話。
1人は僕でも知るようなビックネームのプロジェクトに関わった話。
1人は普段、海外に常駐しており、海外での仕事ぶりについて語った。
絵に描いたようなエリートエピソードが披露されて行く中で思う。
(これを子会社の僕は、どう聞けばいいんだ…?)
輝かしい業務や所属している花形の部署は親会社のものであり、僕には到底及ばぬ世界。
ファンタジーを聞かされているようで、憧れの類はまったく湧かなかった。
(はい!はい!すごい!すごい!)
だんだんと自慢話を聞かされている気がして不貞腐れていくのを感じる。
ふと先程の女性に目をやると瞳を輝かせ羨望の眼差しで食い入るように先輩社員の話を聞いていた。
(あーやっぱか…そーゆータイプね…)
僕はこの女に対して苦手の烙印を押した。
昼休みとなると、皆、当たり前のように社員食堂へ向かって行ったが、僕は初めて場所で社員食堂のシステムも分からず、それを聞く人もいない。
なにより、皆が楽しく食事をする中で、僕1人で食事する風景が目に浮かんでいたので、会社を出て近くの定食屋を見つけ、そこで昼食を1人でとった。
昼休憩を終え、元いた席に戻ると また、あの女が話しかけてきた。
「お昼はどうされたんですか?」
(うわ!話しかけてきた!!)
「えー、外に食べに行きました。」
「そうですか」
彼女はそう言ってまた前を向く。
(……え?うそでしょ??)
もう話は終わりましたと言う雰囲気で、女は澄ました顔をしている。
(どーゆーつもりでその質問した?)
シンプルに同期が1人もいない奴が今日どこで昼を食べたのかが知りたかったと言うのか。
(まさかとは思うが……意地悪でその質問したんじゃないだろうな?)
しかし、よく考えてみる。
(もしかしたら、これが彼女なりの好意の示し方なのかもしれない!でないと、わざわざ昼どうしたなんて、どうでもいいこと聞いてくるはずがない!)
僅かな希望から今度はこちらから話しかけた。
「先輩の話すごかったですね!海外での仕事とか格好いいですよね」
「英語話せるですか?」
(なんでーー??なんでそうなる??話飛んでない?)
僕の問い掛けに対して、なぜその質問で返されるのか繋がりが理解できない。
頭の良い人とは会話にならないと聞いたことがあったが、まさに今がそうなのかと思った。
「いえ…話せないですが……」
「私は帰国子女で、英語と中国語のトワイリンガルです。」
(はーーー?そんなん聞いてないわ!何だこいつ!)
「へー……すごいですねー…」
私はお前なんかとは出来が違うと言わんばかりに乱暴にシャッターを降ろされた気がした。
(帰国子女だか、トリンドルだかなんだか知らんが、言葉を喋れてもアンタとは会話にならんわ!)
それ以上話す気にはならなかった。
そして、ようやく午後の研修が始まる。
その研修では先輩社員の自慢話とは打って変わって、大きな会社に入ることで得られるメリットを微かに感じることとなる。
しかし、そのメリットをひねり潰すほどの辱めを食らい、僕は親会社からの悍しい洗礼を受けることになるのだ。
つづく