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書評やエッセイなど

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記事一覧

【240604追記】選択と偶然:サイコロを振ったら文系博士

マイナビ×noteの #あの選択をしたから という企画への記事です。 たぶん文系博士の記事は少数…

近藤秀将『アインが見た、碧い空。』書評

行政書士の小説 アインが見た、碧い空。: あなたの知らないベトナム技能実習生の物語  本書…

イソップのコウモリと、「社会学は弱者の味方」という誤解

よくある感想 2年前から縁あってとある私立大学で社会学の入門・概説的な講義を行っている。…

『アンダー・ザ・シルバーレイク』――陰謀論卒業のすすめ(2018/10/XX)

 『リング』(1998 / 監督は中田秀夫)って僕は何度観てもすげー怖いんですけど、それって貞…

空転する「Why」、あるいはテッド・バンディ

『テッド・バンディ』(2019年、アメリカ) 1970年代のアメリカ各州で30人以上の女性を殺害し…

僕は朝井リョウが読めない

特別な作家僕は朝井リョウの作品を読んだことがない。短編、長編に限らず一作もない(『桐島、…

読書会の愉しさと意義についてのメモ

先日の4月2日(土)、自分が主宰している読書会が3回目を迎えた。その日は、奥村隆著『社会学の歴史I』(2014、有斐閣アルマ)のK・マルクスの章を読んだ。理論的な説明が多い章なので少し心配をしていたが、杞憂に終わった。年齢も職業も性別も異なる、少し前には初対面だった人たちが、「疎外」という概念からの連想や疑問を小一時間話し合うような様子は、非日常的な経験である。とても楽しい時間だった。 「言語ゲーム」という考え方読書会のレジュメの準備をする際、柄谷行人『マルクスその可能性の

【お知らせ】エッセイを寄稿しました

こんにちは。佐藤です。 蒸し暑い日々が続き、とてもしんどいですね。 さて、本日もお知らせで…

【お知らせ】コラムを寄稿しました

テクノロジーと身体についてのコラムを寄稿 こんにちは。佐藤です。 掲題にありますように、…