その15:基本は同じ。でもなぜ剣風は皆違う?
剣道の基礎・基本は教えられるものである。剣風は自分で作るものであって、教えられるものではない。では、どうやって作るのだろうか。因みに、全日本剣道連盟の調査(令和2年1月9日)によると、日本の剣道人口は、1,942,563名だそうだ。剣風は一人ひとり違うから190万通り以上の剣風があると言ってよいだろう。
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剣道で最初に習うのは、座礼・立礼・蹲踞の仕方、そして中段の構え等である。それらは剣道の伝統的文化と言ってよい。次は、最も大切な基礎・基本の正面素振りとそれに伴う足捌きだ。これが「面に始まり面に終わる」という所以である。だが、面を打つために真っ直ぐ振り上げ、真っ直ぐ振り下ろすことが必要で、それができるようになるまでにはかなり日数が掛かる。何故か?真っ直ぐな面を打とうとすると右腕に力が入ってしまい、どうしても右肩の方に振り上げが偏ってしまうからだ。特に、子供達には難しい。子供達に力を抜くように言っても簡単にはできない。どうしたら力を抜いて振り上げることができるか分からないのである。
そこで最初から竹刀を持たせるのではなく、手に何も持たないで、両手の手のひらを合わせて振り上げ振り下ろしをすると、力を入れずにできるので動機付けとしては良いと思う。しかし、先に始めた人が竹刀を持って稽古をしているので、何となく疎外されているように感じるようである。少し上手くなったら短くて軽い竹刀を持って振ってみるのも良い。重いとどうしても腕や肩、手の内に力が入りギュッと握ってしまうからだ。
次には竹刀の長さが身長によって異なる。竹刀の基準は、「試合審判規則」で決められている通りだが、成長期の子供達の身長は、まちまちだし伸びるのが早い。すぐに大きくなるからと言って、長めの竹刀を使うのは間違いである。目安は床から胸の高さを基準とすると良い。
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面が打てるようになったら徐々に小手打ちと小手から面の連続技、さらに胴打ちを習得する。これは早く打つことを考えず、小手も面も胴も一本一本きちんと打つことを心掛けなければならない。基本技は、「大強速軽」を頭に入れて、大きく振り上げることが大事で、振り上げた両手の間から打突部位が見えるところまでが、「大きく」を目安とすると分かりやすい。「大きく」振り上げて力が抜けていると振り下ろす竹刀に遠心力が加わり「強く」打つことができる。「速く」は振り上げ振り下ろしの力を抜いて腕の振りを速く行うことだ。「軽(けい)」は、「軽く」ではなく、「軽やかに」行うという意味である。ところが、この「軽やかに」が意外に難しい。本人は軽やかのつもりが、竹刀を持つ(握る)手や腕・肩に力が入ってしまっていることが多い。竹刀は「包み込むように持つ」という言い方があるが、なかなか当を得た表現である。ただし「大強速軽」は、言葉は簡単だがいざやってみると案外難しいことが分かる。大人でも意味は分かるのだがなかなかできないものである。
試合に出場するとかなり疲れるのだが、勝ちたいために普段の稽古よりも必要以上に力が入ってしまう。そういう時はおおむね結果は思わしくない。思い通りにできた時というのは力が入っていない時なのである。これを「ユルユルグリップ」と言う。大事なことは、竹刀が触れ合ったらより力を抜いて間合を詰めて行くことなのだ。稽古の時に一度試してみると良い。これができるということは、心に余裕があるということなのである。「手が心に従っている」のである。
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剣道は正しい基本の繰り返しで向上する。初めから上手な人はいない。何故か?剣道の技術は日常生活の中での動きに反しているからである。毎日の生活の中では、歩く時は左右の脚を交互に出して前に進むが、剣道の足捌きの基本は、「送り足」だからだ。その「送り足」で前後左右そして斜めにも移動する。いわゆる「ナンバ歩き」というものである。これは日本の古典芸能の基本動作であり、足は動くが上半身は動かず、上下動もなければ左右の動きもない。歩いている時の腰は床と平行移動だ。剣道の足捌きはそれと同じなのである。この歩き方は、江戸時代まで日本人の歩き方だったと言われている。
この動きはどこから来たのだろうか?日本民族の文化の根元が農耕文化から発生しているからではないか、と私は考えている。話が難しくなったので、このことは別の機会に考えることにする。
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このように剣道の基本技術習得はなかなか難しく時間がかかるという厄介なものなのである。今、活躍している剣士も、過去の名人達人もこの厄介なものを面倒臭がらず、飽きずにコツコツ積み上げてきたのである。そのことを剣聖と言われる持田盛二範士十段は、以下の言葉を私たちに残している。
「剣道は50歳までは基礎を一所懸命勉強して、自分のものにしなくてはならない。普通基礎というと、初心者のうちに修得してしまったと思っているが、これは大変な間違いであって、そのため基礎を頭の中にしまい込んだままの人が非常に多い。私は剣道の基礎を体で覚えるのに50年掛かった」。
気が遠くなるような言葉である。剣聖持田十段をして50年掛かっているのだから、私のような凡人剣士は70歳にして未だ道半ばである。現在の競技剣道はどうしても試合での勝ち負けを争う方に心が転じてしまうが、盈進義塾興武館の皆さんには、試合に挑戦しながらも一人ひとりが自由に、「大志を抱いて、本物の剣道」を追及して頂きたい。
令和2年(2020)11月17日
於松籟庵