Hiroshi Ozawa ,KOUBUKAN

明治24年(1891年)創設の東京都中野区にある剣道場「盈進義塾興武館」小澤 博館長のコラムや論文、著書を紹介いたします。

Hiroshi Ozawa ,KOUBUKAN

明治24年(1891年)創設の東京都中野区にある剣道場「盈進義塾興武館」小澤 博館長のコラムや論文、著書を紹介いたします。

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  • 松籟庵便り

    盈進義塾興武館ホームページで連載している、館長小澤博の風まかせ筆まかせ読み切り剣道コラムのアーカイブスです。

最近の記事

その33:海外剣道交流(3)

樫の木剣友会との27年2⃣ 1990年6月、日本から野間道場の先輩蓑輪勝先生が一週間滞在して一緒に稽古をしたことがあった。「形」の稽古で蓑輪先生が打太刀、マンディが仕太刀をした。小太刀2本目の残心で蓑輪先生の頬がポーッと赤くなって目を伏せた。後で聞いたら、見詰められて恥ずかしくなったと言った。トレバーとも形を行った。普段は優しい目をしたトレバーだったが、瞬きをしないし、目を離さないでジーッと見る目が怖かったとも言った。蓑輪先生と知り合ってからもう50年以上過ぎたが、この話題に

    • その32:海外剣道交流(2)

      樫の木剣友会との27年 1⃣ 樫の木剣友会のリーダーで剣友のトレバー・チャップマンは、不治の病を患い丸2年間病と闘ったが、平成29年(2017)10月19日、60歳になる直前に亡くなってしまった。時間が経つのは本当に早い。私よりも10歳位若いのに本当に残念でならない。イギリスとの剣道交流はほとんど樫の木剣友会を中心としたものだった。そういう意味でトレバーの存在が大きい。           *  40歳の時、大学のサバティカルリーブ(研究休暇)でイギリスに長期滞在した。形

      • その31:海外剣道交流(1)

         昭和44年(1969)、19歳から始まった海外との剣道交流は、私にとって好奇心を強く刺激されるものだった。初めての時のことは鮮明に覚えている。夏休みが始まって直ぐにハワイへ3週間。他の島は別にして、オアフ島での宿泊は従姉夫婦の家に居候して島内にある剣道場で一日置きに稽古をした。  昭和30年代の海外旅行は仕事や視察、留学というはっきりした目的があっての旅行のみで、しかも特定の認可が必要だった。自由に海外旅行ができるようになったのは、昭和39年(1964)からで年一度と決め

        • その30:克堪克忍(よくたえ よくしのぶ)

           令和3年(2021)3月末、縁あって群馬県前橋市在住で大学の先輩鈴木孝宏先生から、今まで見たこともないほど大きな扁額を預かった。明治・大正・昭和の剣道界を代表する高野佐三郎範士が揮毫した額である。寄贈して下さった方は、群馬県高崎市に住む荒木流学心館岡田道場の五代目岡田素教氏である。将来、我が国剣道界のために尽くす学生や剣友会会員のために、この扁額を日体大の剣道場に掲げることが目的である。           *  岡田家では運搬の際に、どこかにぶつけて破いたり傷をつけた

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        • 松籟庵便り
          34本

        記事

          その29:始まり

           4月は新年度が始まる月である。入学式、入社式、そして新学期というようにすべて新しく始まる。誰もが希望に燃えている。しかし、昨年から始まったコロナ禍の影響で、今年も静かな始まりとなってしまった。昨年度、大学はオンライン授業で、一年間キャンパスに足を踏み入れる事が出来なかったところもあったようだ。今年はどうなるのだろうか。  剣道界も大変だった。多くの行事は中止や延期で慌ただしく過ごした。さらには昨年延期になった東京オリンピック・パラリンピックもどうなるか分からない状況だ。

          その29:始まり

          その28:女子剣道再考(下)

           女性に考えてもらいたい事(参考) 50年くらい前、女子剣道の指導者は試合に勝つことしか考えない人が多かった。これではいけない、身体を壊してしまうと思って、昭和56年(1981)、『コーチ学女子剣道編』(逍遥書院)を出版した。沢山の人から批判されたが気にしない性格なので、誠におこがましいことだが、今回も余計なこととは知りながら最後に提案して置こうと思う。  その前にもう一度考えたが分からないことがあった。それは私が男だからだ。「松籟庵便り(26)」で、父が書いた言葉の中にあ

          その28:女子剣道再考(下)

          その27:女子剣道再考(中)

           昭和27年(1952)年10月、全日本剣道連盟が発足して女性の剣道愛好家が少しずつ増えてきた。それでも戦前から高野佐三郎先生の修道学院で修行した高野初江先生が、女性で初めて七段に合格したのは昭和41年(1966)11月(47歳)である。  戦後の女子剣道発展を昇段状況に限ってみてみると、高野初江先生の後25年経過して平成3年(1991)5月、小林節子先生が2人目の七段に合格した。次に平成6年(1994)堀部あけみさんが3人目、翌平成7年(1995)桜木はるみさんと根本道世

          その27:女子剣道再考(中)

          その26:女子剣道再考(上)

           2021年2月中旬、イギリス在住の松田和世さんが『世界のファインレディース剣道』(FINE LEDIES KENDO WORLDWIDE)という雑誌を発刊した。年間2・3回発行するという。創刊に当たって何か書いてほしいというメールを頂いたので、「松籟庵便り」に掲載する予定でまとめていたものの中から引用して送った。その全文を3回に分けてお便りする。           *  令和2年(2020)1月、全日本剣道連盟による剣道人口の調査結果が月刊『武道』に掲載された。それに

          その26:女子剣道再考(上)

          その24:初心と生涯剣道

           大学を卒業した当初の稽古は、月水金の盈進義塾興武館と週一・二度程度の野間道場が主だった。本物の剣道を志すと心に誓って大学を卒業したが、大学院そして理科大就職、さらに29歳の時父が脳血栓で倒れ20代は何かと忙しかった。30代からは山内先生と師弟関係を結んで、腰痛症を患った50歳まで週二・三度定期的に野間道場に通った。55歳から復活したが、最近はコロナで通えなくて残念でならない。           *  野間道場では稽古以外にも良い思い出がある。朝稽古が終わり、風呂から上

          その24:初心と生涯剣道

          その25:新型コロナウイルス感染症1周年

           昨年の2月26日、イギリス・ノッティンガムからマーク・タッカーとダニエルが来日し久し振りに稽古をした。彼らは翌日から数日京都と大阪方面を観光し関西空港から帰国した。感染者がそれほど多くなかったから外国人旅行者も沢山各地にいたと思う。そういう意味ではマークとダニエルは、記念すべきギリギリの日本旅行だったと言ってよい。以来コロナ禍は丁度丸1年過ぎた。  3月1日から2週間の休館措置を取り、その2週間は稽古を再開した時のために、防具を持ち帰って綺麗にする期間に当てた。しかし、3

          その25:新型コロナウイルス感染症1周年

          その23:心が動く

           閑雲野鶴(かんうんやかく)という諺がある。「『閑雲』は大空にゆったりと浮かぶ雲。『野鶴』は野に気ままに遊ぶ鶴。何物にもしばられない自由な生活のたとえ」とある。  東京は政府が発令した緊急事態宣言中で、当初2月7日までだったがさらに1ヶ月延びて3月7まで不要不急の外出は自粛である。しかし規則さえ守っていれば、「閑雲野鶴」の言葉通りだ。71歳だから用事もないので自由気ままである。その様な中、のんびり生活しているが年を重ねた今、私たちが修行していた若い頃の剣道が懐かしくなって、

          その23:心が動く

          その22:心を磨く

           40年近く前、ドイツ人の若者が1ヶ月間道場に滞在して稽古したことがあった。とてもまじめな青年で一生懸命稽古していたが、初めての日本で慣れないせいか稽古以外はつまらなそうな顔をして過ごしていた。3・4日して彼は私に質問してきた。  「剣道修行で一番大切なことは何ですか」と。まじめな男だなと思ったので以下のように答えた。  「はるばる日本に来て、しかも道場に寝泊まりしているのだから教えてあげよう。一番大事なことは、君が修行する道場の床を拭くことだ。しかも心を込めて磨くこと。

          その22:心を磨く

          その21:剣道観=人生観

           私達は10代の半ばか遅くとも終わり頃には、自分の才能を見出し、それを磨きながら人生を送ろうとする。しかし、人の一生は何が起きるか分からない。一つの才能を見出して、それを基に一生を送ることができれば幸せな人生だ。  しかし、順風満帆な人生などあり得ない。どこかで挫折することもあるし、病気や怪我をすることだってある。窮地に追い込まれて身動きが取れないこともあるかもしれない。そういう時、どう対処したらいいのだろうか。これはその人の人生観が大きく左右すると思う。私はすべて剣道理論

          その21:剣道観=人生観

          その20:三つの宝(2)

           私は70年の人生の大半64年間剣道を修行した。そのことによって人生の意義をかなり大きなものにした。剣道そのものは、『松籟庵便り(15)』で説明したように、日常生活とは大きく掛け離れた動きの連続で、教えて貰わなければ生涯使うことがない動きである。礼儀作法以外は、今の時代に生きるために必要なことだとは決して言われないものだと思う。それを何十年も修行しているのは、端から見れば異様なことと言っても不思議ではない。そういうことを64年間続けて来て一番幸せに思うことは「友」を得たことで

          その20:三つの宝(2)

          その19:謹賀新年 -令和三年元旦-

          盈進義塾興武館々員の皆様、明けましておめでとう御座います。 今年もどうぞよろしくお願い致します。  昨年令和2年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、2月中旬から感染が拡大し始め、第一波・第二波そして第三波と次第に拡大し、令和2年の大晦日に東京では1000人を超える勢いで感染者数が増大しました。そのため剣道界はこの一年、稽古・試合・審査・その他等の行事を含めて中止または延期という措置を取らざるを得ない事態になりました。令和2年は、昭和27年(1952)、全

          その19:謹賀新年 -令和三年元旦-

          その18:三つの宝(1)

           10年以上前に購入した本を引っ張り出して久し振りに読んだ。元慶応大学塾長小泉信三先生の著書『練習は不可能を可能にする』である。私自身は剣道をただ一生懸命励んできただけだったので気が付かなかったのだが、「スポーツが与える三つの宝」を読んでまさにその通りだと思った。ここでは、剣道はスポーツか、武道かということは、またの機会にして、先生の文章を要約して記して行くことにする。           *  三つの宝の第一は、練習によって不可能だと思うことを可能にすることができると言

          その18:三つの宝(1)