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最近、私の若い頃を知る人には信じられないほど早起きになり、小野鵞堂先生の『三体千字文』を手本に手習いをしていた。その中にこんな文章があった。 「索居閑處 沈黙寂寥 求古尋論 散慮逍遥」(p.127) 訳すと以下の通りになる。 「自分からタイミングよく勇退した後、閑静なところに移り住み、毎日を物静かに暮らして世の中のことにあえて口に出さず、穏やかに過ごしている。古書を繙いて、昔の人の残したよい事をあれこれ論じたりして、煩わしい世事から心を解き放し、山野をさまよい歩きなが
令和3年(2021)3月末、縁あって群馬県前橋市在住で大学の先輩鈴木孝宏先生から、今まで見たこともないほど大きな扁額を預かった。明治・大正・昭和の剣道界を代表する高野佐三郎範士が揮毫した額である。寄贈して下さった方は、群馬県高崎市に住む荒木流学心館岡田道場の五代目岡田素教氏である。将来、我が国剣道界のために尽くす学生や剣友会会員のために、この扁額を日体大の剣道場に掲げることが目的である。 * 岡田家では運搬の際に、どこかにぶつけて破いたり傷をつけた
4月は新年度が始まる月である。入学式、入社式、そして新学期というようにすべて新しく始まる。誰もが希望に燃えている。しかし、昨年から始まったコロナ禍の影響で、今年も静かな始まりとなってしまった。昨年度、大学はオンライン授業で、一年間キャンパスに足を踏み入れる事が出来なかったところもあったようだ。今年はどうなるのだろうか。 剣道界も大変だった。多くの行事は中止や延期で慌ただしく過ごした。さらには昨年延期になった東京オリンピック・パラリンピックもどうなるか分からない状況だ。
女性に考えてもらいたい事(参考) 50年くらい前、女子剣道の指導者は試合に勝つことしか考えない人が多かった。これではいけない、身体を壊してしまうと思って、昭和56年(1981)、『コーチ学女子剣道編』(逍遥書院)を出版した。沢山の人から批判されたが気にしない性格なので、誠におこがましいことだが、今回も余計なこととは知りながら最後に提案して置こうと思う。 その前にもう一度考えたが分からないことがあった。それは私が男だからだ。「松籟庵便り(26)」で、父が書いた言葉の中にあ
40年近く前、ドイツ人の若者が1ヶ月間道場に滞在して稽古したことがあった。とてもまじめな青年で一生懸命稽古していたが、初めての日本で慣れないせいか稽古以外はつまらなそうな顔をして過ごしていた。3・4日して彼は私に質問してきた。 「剣道修行で一番大切なことは何ですか」と。まじめな男だなと思ったので以下のように答えた。 「はるばる日本に来て、しかも道場に寝泊まりしているのだから教えてあげよう。一番大事なことは、君が修行する道場の床を拭くことだ。しかも心を込めて磨くこと。
私達は10代の半ばか遅くとも終わり頃には、自分の才能を見出し、それを磨きながら人生を送ろうとする。しかし、人の一生は何が起きるか分からない。一つの才能を見出して、それを基に一生を送ることができれば幸せな人生だ。 しかし、順風満帆な人生などあり得ない。どこかで挫折することもあるし、病気や怪我をすることだってある。窮地に追い込まれて身動きが取れないこともあるかもしれない。そういう時、どう対処したらいいのだろうか。これはその人の人生観が大きく左右すると思う。私はすべて剣道理論
私は70年の人生の大半64年間剣道を修行した。そのことによって人生の意義をかなり大きなものにした。剣道そのものは、『松籟庵便り(15)』で説明したように、日常生活とは大きく掛け離れた動きの連続で、教えて貰わなければ生涯使うことがない動きである。礼儀作法以外は、今の時代に生きるために必要なことだとは決して言われないものだと思う。それを何十年も修行しているのは、端から見れば異様なことと言っても不思議ではない。そういうことを64年間続けて来て一番幸せに思うことは「友」を得たことで
盈進義塾興武館々員の皆様、明けましておめでとう御座います。 今年もどうぞよろしくお願い致します。 昨年令和2年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、2月中旬から感染が拡大し始め、第一波・第二波そして第三波と次第に拡大し、令和2年の大晦日に東京では1000人を超える勢いで感染者数が増大しました。そのため剣道界はこの一年、稽古・試合・審査・その他等の行事を含めて中止または延期という措置を取らざるを得ない事態になりました。令和2年は、昭和27年(1952)、全
10年以上前に購入した本を引っ張り出して久し振りに読んだ。元慶応大学塾長小泉信三先生の著書『練習は不可能を可能にする』である。私自身は剣道をただ一生懸命励んできただけだったので気が付かなかったのだが、「スポーツが与える三つの宝」を読んでまさにその通りだと思った。ここでは、剣道はスポーツか、武道かということは、またの機会にして、先生の文章を要約して記して行くことにする。 * 三つの宝の第一は、練習によって不可能だと思うことを可能にすることができると言
刊行早々の宮城谷昌光著『孔丘』(文藝春秋)を一気に読んだ。名作と言われる小説の中には名言が書かれているものだと思う。たぶん作家の思いがその一言に込められているのだろう。感じ方は人それぞれ違うと思うが、私はこの一言にドキッとした。 「大いなる時代遅れは、かえって斬新なものだ」(pp.359) 興武館で稽古している古流の稽古は、今の「競技剣道」から見ればまさに「時代遅れ」そのものだからである。 * 30代の頃、父と食事をしている時によく古流の話
通常は、「勝って反省、負けて工夫」と言われているが、私は「負けて工夫、勝っても工夫」と思っている。剣道を志す人にとって、試合や審査はそれまで鍛錬したことがきちんとできているかを確認する絶好の機会である。試合には勝ち負けが付きものだから、何故勝てたのかを反省すると良いのだが、勝った時は嬉しくてあまり反省しない。負けた時は、どこが悪くて負けたのかを反省し、次に繋げる工夫をする機会になる。勝った時こそ反省し、さらに工夫する良い機会なのだが……。それが未来に挑戦するための手段だ。「
剣道の基礎・基本は教えられるものである。剣風は自分で作るものであって、教えられるものではない。では、どうやって作るのだろうか。因みに、全日本剣道連盟の調査(令和2年1月9日)によると、日本の剣道人口は、1,942,563名だそうだ。剣風は一人ひとり違うから190万通り以上の剣風があると言ってよいだろう。 * 剣道で最初に習うのは、座礼・立礼・蹲踞の仕方、そして中段の構え等である。それらは剣道の伝統的文化と言ってよい。次は、最も大切な基礎・基本の正面
「打った!」と思った瞬間に応じられた経験が私には三度ある。20代、30代、50代にそれぞれ一度ずつだ。20代と30代は山内冨雄先生、50代は西善延先生である。 * 26歳で六段に昇段し、スピードとパワーは伸び盛りというより発達曲線のグラフを見るとまさに充実期だ。前年に興武館は改築され杉の床板がいい匂いだった。週に一度水曜日に、山内先生はお出でになり私は必ず稽古をお願いした。一度目のその時は、皆は周囲で正座して見ていた。5分くらい経過した頃、私は捨身
かなり前のことになるが、6歳年上の人が八段に合格した時のこと。「あの状況の中で(二次審査の二人目)、素晴らしい面でしたねえ」と言ったら、「あの面は神様が背中を押してくれたように感じたよ」と言った。私はこの一言にちょっと違和感を覚えた。「神」とか「神様」というと、まず「神様は存在するか」という疑問だ。「神様とは何だろうか」、「誰だろうか」という疑問である。しばらく考えてみたが埒が明かない。少々理屈っぽくなるので、手っ取り早く理解するために、かつての同僚で哲学担当のSさんに尋ね