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【意外と知らない?】応募した作品がどのように審査されるのか、調べてみました!(2015年12月号特集)
作品はこうして審査される
予選
一次選考や二次選考など、本選までの過程を予選と言います。
予選は主催者だけで行う場合もありますが、専門性の高いジャンルや応募数が多い公募では、予選は外部スタッフに委託されます。
1次予選を通過するのは応募数のおよそ1割で、そこからさらに絞り込まれ、本選に残るのは全体の1%程度です。つまり、99%が予選で落ちることになります。
本選
ネーミング公募やアート系公募、フォトコンテストなどは、最初に、明らかに見劣りするものを落とし、あとは一気に本選になるものもあります(一気というのは、ある程度の数になるまで絞り込みをし、一日で各賞を決めるという意味です)。
文学賞やシナリオ公募の場合、応募要項に記載された選考委員は、最終選考に残った5編程度の作品しか見ません。
予選委員に聞きました!傑作を発掘するのが何よりの喜び
Q:下読みを始めたきっかけは?
書評を書いていた雑誌の出版社から依頼を受けました。6年くらい、1次選考と2次選考に関わっています。
Q:審査について指示はありますか?
基本的な文章表現力や構成力、人物造形力など、いくつかの項目について3~5段階で評価し、その上で、賞にふさわしいかどうか最終評価をします。評価した理由、評価しなかった理由は文章でコメントしなければいけないので、手を抜くことはできません。
Q:応募者に言いたいことは?
似たような作品が多いなといつも感じます。「いま流行の文章」や「直前の受賞作」に影響され、お手本にしてしまう人が多いのでしょうね。
直前の受賞作を読んだら「まったく別のものを書こう」と考えるべき。
求められているのは、いつだって新しい才能なのですから。
Q:選考のつらいところは?
最初から誤字脱字が続くと、読む気持ちが失せてつらいです。自分で推敲していない作品を人に読ませるのか、と怒りがわいてきますよ! 面白くない作品は途中で投げ出したくなることもありますが、最後まで読まないとわからないぞという思いで読み切ります。どうすれば面白くなるだろうと考えながら読むと、少し楽しくなってきますね。応募者に伝えられないのが残念ですが。
Q:逆に面白いところは?
新しい才能を感じる作品に出会えると、ものすごくうれしくなります。コピーして配りたくなりますね! やりませんけど(笑)。
選考は誰がするのか? 名前がない場合は?
文章ものの公募は審査に時間がかかります。良しあしが一目ではわからないからです。文章は、書き出しから結末まで、一定の時間をかけて読んでいき、その内容を理解します。絵画のように一目で全体を見渡すことはできません。複数の作品を一瞬で見比べるようなこともできません。
一方、絵画や写真の場合、会議室などに100点もの候補作を並べ、5〜6人の選考委員が同時に見ていくことも可能です。文章もののように事前に原稿を渡し、何週間もおいてから選考会をする必要はなく、だいたいは1日で決まります。
作家修業として、文学賞の予選委員をやらされる新人
文学賞の予選は、主催する雑誌の編集部のほか、受賞経験者、文筆業など日頃から小説に関わっている人が審査をします。
「そして出来の悪いつまらない小説を山ほど読むことによって、出来の悪いつまらない小説とはどういうものであるか、身に滲みて学んだ」
主人公の天吾は、小説を学ぶために下読みのアルバイトをさせられます。ひとつの作家修業としてやっているわけです。小説の中の話ですが、作者自身の実体験、もしくは身近な人に取材して書いた部分ではないかと思われます。
Column:応募者としての学び
選考会あるあるをひとつ。選考会は揉めることもありますが、そんなときに結果を左右するのが、声の大きさと説得力と言われています。
声だけ大きくても仕方ありませんが、自信を持って「これがいい」と言われ、その理由を論理的に説明されると、定見のない人は流されます。
議論をリードする人がいなかったり、小粒の作品が揃ってしまったりして、意見がまとまらないときもあります。そのようなときはなぜか減点法になってしまい、「Aはここがだめ、Bはこれが難」となり、もっとも無難なものが採用作になりかけますが、たいがいはここで「この作品は大賞にするにはおとなしい」といった意見が出て議論がふりだしに戻り、「欠点はあるけど個性的なこれ」となります。結局、独創性が鍵ですね。
そして、いよいよ結果発表
表彰式をやるかどうかは、イベント性があるかどうか
アンケートの結果、表彰式を実施する71%、しない29%でした。
同じ公募でも、コンクールの意味合いの強い公募イベントは、その一環として表彰式が行われます。もちろん、料理やファッションデザインなど、公開審査自体がイベントの公募の場合、表彰式はつきものです。
一方、公募といっても、投稿に近いようなもの、たとえて言うと公募ガイドの誌上投稿の拡大版のような公募の場合、イベント性はありません。よって表彰式をやる例も少なくなります。
交通費の出ない表彰式は欠席しても大丈夫か
アンケートの結果、交通費を支給する67%、支給しない33%でした。
小さな公募では、交通費がでないものも割とありました。
その場合、遠方の人が「所用があって」と言って表彰式を欠席したとしてもやむを得ません。それは主催者もわかっていますから大丈夫です。
賞金は銀行等から振り込みで、賞状や副賞はあとで送ってくれます。
優秀賞とはどのような賞か
文学賞では、応募要項には「当選作」としかないのに、審査の段階で優秀賞が追加される場合があります。理由は二つあります。
一つは、小説としては優秀賞のほうが面白く、作者の可能性も大きいが、作品がきわもの過ぎて受賞作としての品格に欠ける場合(でも、のちに大出世することがよくある)。
もう一つは、受賞には程遠いが、落選にするには惜しいという場合。
作品としては落選でも、ある一部分は突き抜けていて、大化けしそうな期待が持てるという作品に与える賞で、プロ野球の育成枠のようなもの。
0泊3日で表彰席に出席?!
本誌読者のKさん(福島県在住)は、昨年12月、「うどんで広がるスマイルフォトコンテスト」に入賞。香川県で行われた表彰式に、なんと福島県から車で駆けつけました。
「同僚2人が同行してくれることになり、車で行くことになりました。表彰式は15時からでしたので、逆算して前日の22時頃に出発。高松では有名製麺所でさぬきうどんを楽しみ、表彰式では要潤うどん県副知事から表彰されました。公募を通して、写真を撮る楽しさ、表彰される喜び、現地までの旅を堪能しました。淡路島で大観覧車に乗ったり、瀬戸大橋の夜景を楽しんだり、朝焼けの富士山を見たりと贅沢な0泊3日となりました。なお、交通費+燃料代はETC割り引き等を利用して6万円ほどかかり、大人3人で割り勘にしました」
片道14時間、現地での滞在時間6時間という0泊3日の超弾丸ツアー。皆さんもいかが!
優れた作品、趣旨に合った作品、主催者におもねった作品
表彰式に参加したとき、選考委員の一人に聞いた話です。ある地域(四谷とします)の観光連盟が主催したこのエッセイ公募には約200編の応募があり、それを予選で10編に絞りました。最終選考では、大きな欠陥のある5編がまず落選。残り5編が入選となり、最終的にA、B、Cの3編の戦いとなりました。
文章として一番しっかりしていたのはBでした。審査委員長も学術論文っぽいBのエッセイを推し、Aは創作っぽいと批判的。しかし、この公募の目的は観光振興で、Bでは目的が実現できない。それに対してAは読む人の胸を打ち、四谷に行ってみたいと思わせる力があるという反論がありました。
すると、観光客誘致を目指すなら、むしろCの四谷のグルメリポート的な作品がいいという意見が出ましたが、Cは入賞させてと言わんばかりにおもねっていて品がないと却下され、結局、Aが最優秀賞、Bが優秀賞、ほか3編が佳作になりました。
Aが受賞したのは運もあります。エッセイの質だけを問うコンテストならBが受賞していたかもしれません。主催者側の人が審査に加わっていたのもAには幸いでした。CはA以上に趣旨には合っていましたが、こうすればウケると受賞を狙いにいったのが逆効果でした。
Columun:応募者としての学び
東京で表彰式が行われるとして、東京近郊に住んでいる人であれば、交通費が出なくても表彰式に出席できそうですが、遠方に住んでいる人は考えてしまうでしょう。自費で参加する意味があるのかと。ですので、その場合は不参加でも仕方ないと思いますが、参加するメリットがないかというと、そうでもありません。
まず、受賞者同士、交流したり情報交換したりする機会になりますし、選考委員や主催関係者から貴重なアドバイスをもらえることもあります。表彰式への参加は入賞者だけに与えられた権利で、落選者は出たくても出られません。
表彰式のために交通費を出すという感覚ではつらいかもしれませんが、旅行に行ったついでに表彰式に寄るという感覚ならどうでしょうか。せっかくの機会ですので、入選の記念という意味でも有効に使いたいです。
特集:公募の裏側、大公開!
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※本記事は「公募ガイド2015年12月号」の記事を再掲載したものです。