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9月11日

それはあまりにも突然だった。

退院したと連絡があってしばらくした頃、再び彼女からメールがきた。

しかし、送り主は彼女のお姉さんだった。

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高校3年間、同じクラスでずっと一緒にいたエム。卒業アルバムの最後のページ、その真ん中には、エムからのメッセージ。

"エムの高校生活=コウ
コウの高校生活=エム
ってくらい一緒に過ごしたね。"

というメッセージが、彼女の中でも特別に思ってくれていたんだ、と嬉しかったのを覚えている。

卒業後、エムは病が発覚し闘病していた。打ち明けてくれた日のことを、私は一生忘れないと思う。少し震えた声で話してくれた、あの日を。明るく振舞おうと笑ってくれた優しさと、その強さを。

その数年後、私が通院したり手術したり不安な日々を過ごしていた時、一番共感して寄り添ってくれたのはエムだった。本当に、どれほど勇気づけられたことか。

私が人生で初めての手術を受ける前、こんなメールをくれた。

「コウの手術が終わって、私の病気が治ったら、二人で祝勝会しようね!」

けれど、その日が訪れることはなかった。

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エムから退院したと連絡を受けた少しあと、彼女に近況報告のメールを送ろうとしたが、バタバタしていて文がうまくまとまらず、下書き保存にして送らなかった。

休みの日にゆっくり書いて送ろうと、後回しにした。

すると、エムからメールが来た。

仕事中にちらっとケータイを見て、

"お!エムからだ!ちょうどメールしようと思ってたんだよね"なんてのんきに思っていたら、冒頭の文に血の気が引いた。目の前が真っ暗になった。

『エムの姉です。本日●時●分、エムが息を引き取りました。・・・・・』

生前の付き合いに対する感謝と、今後の予定に関する内容だった。

・・・・・・・

私は彼女が大好きだった。

信じられなくて眠れなかったあの日の夜、mixiにこう記していた。

"大好きだったとはまだ言えなくて、大好き、エム大好き。大好き。もっと伝えれば良かった。書きかけのメールだけが残っちゃった。なんで送らなかったんだろう。明日やろうは馬鹿野郎だ。本当にバカヤロウだ。あれもこれも、後悔ばかり残してしまった。"

エムのことがあってから、私は友達にも家族にも恋人にも、素直に"大好き"や"ありがとう"を伝えるようになった。誕生日には、"生まれて来てくれてありがとう"と"生きていてくれてありがとう"の気持ちを込めて祝うようになった。誕生日が祝えるだけでも尊いと感じるようになった。

毎年この時期には、エムを含め仲が良かった高校の時の友達と、エムの御墓参りに行く。卒業してからそれぞれの人生を歩む私たちが集まる唯一の日だ。エムが繋ぎ続けている縁のように思う。

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エムは若くしてこの世を去ったけれど、私の記憶の中で、エムはいつも笑っている。私を呼ぶ声が、ついこの間のように思い出せる。

エムはずっと、私たちの心の中で生きている。

エム、私たちもう31歳になるよ。。。



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決して明るくはない話をここまで読んでくださる方がいたならば、とても嬉しく思う。どうかあなたの大切な人に、大切に思っていることを伝えるきっかけになって欲しい。


#エッセイ #日記 #911 #人生 #当たり前のことなんてない #命


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サカエ コウ🌙.+
サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。