noteは忘れていた感情をたくさん教えてくれた。
私はnoteで、書くことの奥深さと難しさ、底知れないおもしろさを知った。そして、夢を描く力をもらった。
「noteでよかったこと」について考えながら、自分の過去のnoteを読み返す。なんども読み返しながら投稿した内容はよく覚えていて、とても愛着がある。書いた日のことを思い出したりなんかして。
あぁそんなことあったなぁなんて、懐かしく思う。
その時感じたことを書きとめたり、モヤモヤする想いと向き合ったり。
noteで文章を残すことは、今の自分のあたまの中を真空パックして保存するような感じだ。エッセイでも日記でもショートストーリーでも。
特にエッセイは、その人自身を残しているような気がする。過去の投稿は、まるで自身の抜け殻のようだ。そんなエッセイの良さを教えてくれたのは、亡くなったさくらももこさんだった。
いつか記憶を失くしても、命尽きようとも、自分の生きた足跡が記されている。noteを開くと、たくさんの人生が詰まっている。
書くことで想いを昇華し、消化し、また明日を生きる。
ふと振り返り、過去の自分の言葉に励まされたり救われたり。
書くことの奥深さや難しさを知り、書くことの面白さに虜になる。
旅する日本語では、400字で綴る難しさと面白さにドキドキした。難しい、けれど面白いという、ワクワクドキドキする気持ちに久しぶりに出会えた。noteでこの企画に参加しなければ味わえなかったものだ。
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何より、noteを通じて出会えた方々がいる。これは本当に貴重だ。住んでいる場所も仕事も年齢も関係なく、noteが好きな人の集まり。文章でしか知らない人に会った時の不思議な感じ。初めましてなのに、初めましてな気がしない。もっと、いろんな人に会ってみたくなる。あなたはどんな人なんだろう?
最後に、noteは夢を見させてくれた。夢なんか失くしてしまっていたけれど、夢見ちゃってもいいかな、30歳だけど、また夢を描いてみようかな、とワクワクが小さく小さく湧き上がってきた。
noteは、書き記す尊さのある場所。自分と向き合える場所。新たな発見ができる場所。暖かい人が集まる場所。そして、夢を描く力をくれる場所。
noteの良さはまだまだたくさんあるけれど、これが私にとってのnoteで良かったこと。