診断名の変わった日。神経症のうつ傾向から、非定型精神病になった。
あんなにひどいうつ状態だったのに、一錠のお薬で躁状態になってしまって、しかも記憶がないというのは不思議なことでした。
主治医の診断ミスとも言えるけれど
最近知ったことなのだが、(最近知ったことが多いな)主治医は初診でわたしの病気を躁うつ病だとは思わなかったらしい。だから躁転(うつ状態から急に躁状態になること)して本当に驚いただろう。
母に「こんなこと初めてです」と言ったらしい。
この主治医の言葉を母は誤解していて、わたしは丁寧に解説した。
今まで先生が見てきた患者さんは、だいたい統合失調症でどうしようもない症状になって担ぎ込まれてくるか、うつ病とかでどうしようもない症状で連れてこられるかで、うつみたいな症状で来た神経症患者が躁転するということがいままでなかったという意味で「初めて」という表現を使ったのだ。
解説を聞いた母は、それならわかるわ、と言った。
さらに、躁状態の記憶がないことと症状から判断して、診断名も双極性障害より重い(?)、非定型精神病というものになった。
この診断名は日本独自のもので、躁状態の時に統合失調症の症状が出るということらしい。少ないけれどたまにいるらしい。
最近、「非定型うつ病」というものが出てきて、なんだか似ているのだが、実情は全く違う。ややこしい話だ。
記憶がないのは二週間で
この初めての躁転の後、わたしは何度か激しい躁状態になり、毎回記憶をなくしている。
でもなぜか期間は二週間と決まっている。
初めて躁状態になったわたしは外出すると何をするかわからないということで家に閉じ込められた。
家から出ようとすると父に怒鳴りつけられた。
父と母が交代で会社を休んで、わたしに張り付いていた。
ここに来てわたしは、初めて、父と母が離婚していなくて良かったと思った。
躁状態のわたしをどちらかひとりでみることは不可能だった。しかし、二人でみることも不可能に近いことだった。
なんだかマヌケな親なのか
二度目の躁状態になった時、主治医は出張で遠くにいた。母が電話すると、どんなお薬が手元にあるか全部集めてくださいとまず指示した。
お薬を集めて電話すると、主治医はどの薬を飲ませるかを指示して、これだけあれば十分だと言ったらしい。きついお薬を頓服で出されていたことが今ならわかる。
ところがわたしは薬を飲まなかった。手に持たされたら投げるし、口に入れたら吐き出すし。母は工夫してなんとかわたしに薬を飲ませたらしい。
一方、父はといえば、わたしが訳の分からないことをブツブツと言い続けるのをカセットに録音していた。
普通、録音するか?
平常心に戻ってからこのことを知ったわたしは驚いた。
けれど、躁状態の中にいる時には気にとめることもなく、ひたすらブツブツと話し続けた後、逃走した。
家から出ていくと困るからと玄関に出る引き戸には釘を打たれていた。
だからわたしは裏窓から外に飛び出て逃走したのだ。
しかし二人ともわたしが逃走しても近所にいないので諦めて、明日には帰ってくるだろうと言って寝たらしい。
すごいな。
【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。
性被害に遭った話について、振り返って書くことを心配してくださった方がいらっしゃいました。
とてもありがたく、嬉しかったです。
このシリーズを書くこと自体、自分にとっていいのかどうか、わからなくなってきているところがあります。
少なくとも最近のことはあまり書かないでおこうと思います。書かないでおく、などという以前に、書けるようなことが何もないという方が正しいかと思います。
書けるようなことがないことが幸せなことかもしれないのですが。