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偶然にも人生の分岐点を決めたのは友達の小さな片思いだったりした。

通称「女ラグ」の女子ソフトボール部のわたしたちにも片思いの相手がいた。というのはずいぶん昔に書いたのだけれど続きを書く余裕がなく放置していた。

申し訳ない。

念のため、「女ラグ」の話にリンクを貼っておきます。読まなくてもこの記事だけでわかる内容になっています。

世を忍ぶ仮の名前をつけた恋

恋と言っても、今の高校生とはずいぶん違っていて、単純に好きな先輩を見つけてはコソコソと教え合うようなものだった。

例えばMは男子ラグビー部のくま先輩が好きだった。もちろんくまは熊のことで、見た目が似ているという理由だった。

お断り:もし「先輩・後輩」という言葉が嫌いだとしたら、ごめんなさい。この文章には今後やたらと出てくるので、その点はご容赦ください。

恋はサッカー部にあり

一番人気のある部はサッカー部だった。ここには二人も憧れの先輩がいた。ひとりはKさん、もうひとりがシロクマさんだった。

Dが好きだったKさんというのは名前のイニシャルで、サッカー部にKのつく人はひとりしかいなかったのでバレバレなのだが、わたしたちだけの間で使う呼び名だったので問題はない。

Rが好きなシロクマさんは、サッカー部だというのに色が白いからシロクマさんになった。熊には似ていないのだけれど、白いものと言えばシロクマくらいしか思いつかない語彙力のなさで、シロクマさんになった。

シロクマさんがエッセイ書いた

ある日わたしは、家の近くの小さな本屋さんで、文庫本の棚を眺めていた。至福の時間だった。単行本は高くてお小遣いでは買えないので、もっぱら文庫本の棚の前にいた。すると。

ん?

一冊の背表紙に目が止まった。その本の背表紙には「秀俊」と書いてあった。「ひでとし!」と叫びつつ本棚から引っ張り出した。パラパラとめくっていたら面白くて、今度はグイグイとこちらが引っ張られた。

「秀俊」というのはシロクマさんの本名だった。もちろん名字は違うのだけれど、同じ「秀俊」だったので目に入ったのだ。

考え方を考えること

ひでとしの本、こと、加藤秀俊『生きがいの周辺』(文春文庫)は、エッセイ集だった。

この本には、たくさんのモノを考えるヒントが詰まっていた。一番印象に残っているのは「『が』の論理と『で』の論理」について書いた文章だった。

要約すると、何かごちそうするよと言ったら「カレーいいです」と誰かが言った。「カレーいいです」と言った人のほうが好ましい、という話だ。

この一冊は、カレーを巡る話のように、身近な事柄を違った視点でとらえていた。「言われてみればそうだな」と思うことがたくさん書かれていた。

これをきっかけに加藤秀俊さんの本をいろいろと読んでみた。

「社会学」というものがあるらしい

当時、加藤さんは学習院大学の教授だった。よく知らないけれど「社会学」という学問の専門家らしかった。

昔からわたしは「なぜ差別があるのか」「どうすればなくなるのか」ということをぼんやりと考えていた。ぼんやりと生きていた高校2年生のわたしは、「これだ!社会学を学べばきっとわかる」と直感した。気づいたら勢いで社会学の門を走り抜けていた。

もちろん門までの道は平坦なものではなく、わたしにとってはかなり厳しい道だったのだけれど、それはまたの機会に。


次はなるべく早く書きたいと思っています。反省しています。



【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。



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