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あーあーあー、わたしが一番しょうもない。

昨日、母とケンカしたことを怒りにまかせて書いて投稿して、それでもおさまらないから妹にLINEして愚痴って、それでもおさまらず夫にぶつけて。わたし何してんだろう、と今立ち止まってる。

母とわたしはよく似ている。顔もメンヘラ・ヒステリック具合も、偏見のなかみも。それは、子どもの頃からわたしが母を愛していたから、母に必要とされるために、母をよく観察したりその考え方が正しいんだと、自分に取り入れたからだと思う。母のようになりたかった。

でも、母とのすれ違いはたくさんあって。小学生の頃、母の日にお金がないからと折り紙で作った花束をあげたけど、翌日ぐしゃぐしゃになっているのを見て泣きそうになったこともあるし、買い物に行く約束を『疲れているから明日にして』といわれ、次の日に行こうというと『しつこい人は嫌われるよ』って怒られたり。もう、挙げだしたらキリがない。

もちろん、愛情を感じられる場面もたくさんあったし、常に子どものためにと考える人だったからお金で不自由したことはなかった。歌手になりたいから就活しないなんて言葉を最終的には応援してくれた恩もある。



だからぐちゃぐちゃなんだ。彼女が困っているなら助けてあげたい、解決してあげたい。でも彼女のせいで傷ついて取り戻せない痕も残っている。最終的に分かり合えない部分があってぶつかってしまう。



20年前に義父からいわれて嫌だった話を毎日聞かされたり、父とのケンカを愚痴られても、彼女が動かない限りはわたしが何をいってもどうにもできない。彼女が望むように、地元へ帰ることはできないし、3人目を産むこともきっとない。でも、彼女の孤独やトラウマを想像してしまうから、できるだけ寄り添ってあげたい。でも、やっぱり願いを叶えてあげられない。と堂々巡りをしている。


結局わたしは、薄情で中途半端で意地悪で一番しょうもない。優しい言葉をかけてあげることも、厳しく突っぱねることもできない。地元に戻った姉や妹に家のいろんなことを任せて、自分は好きな時に帰るだけなのに少しのあいだ愚痴を聞くことさえできない。



こんなこと書いてたって。
わたしは何も変わっていない。
今でもずっと自分のことがだいっきらいだ。

そう考えている。


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