夫の姓に変えたことを、何度も思い出す。#未来のためにできること
2020年、彼からのプロポーズを受け結婚した。私は”入籍”という形で家族になりたかったので、彼の気持ちに安心したことを覚えている。そして着々と入籍に向けて準備が進んでいく中で聞いた。
「それで、姓はどっちにする?」
正直、彼の姓になるだろうと思っていたし抵抗はなかった。彼の目に驚きとか戸惑いとか気まずさとか、そういう感情が見えたのだけれど、人生において改姓は大きな出来事だからどう考えているのか話し合いたかった。
「今まで、結婚=夫の姓、という考えだったんだけど、私が女だから姓を変えるのが当たり前というのは違う気がする。
手続きとかもやることが多くて、これ全部私だけがやるのかと思うと気が滅入る。
あなたの姓になるのが嫌なわけではないけど、嬉しい!っていう気持ちだけでもないことを知っててほしい。」
そう言って話し合った結果、私が姓を変更することになった。
あれから4年の間に何度も改姓について考えた。そして考え続けて気づいたことがある。私は心のどこかで「彼の意見を尊重して姓をかえて”あげた”」と思っていた。「男女平等が謳われている時代に、やっぱり女の私が姓を変えたんだ」と。
私は“女が故に直面する問題”の当事者になったつもりだった。でもそれは違う。私は”彼から”のプロポーズを待っていたし、私にだけ婚約指輪があった。私はただ、必要な時に女を出し入れしていただけだった。”平等”にはあまりに程遠い姿だった。
世の中の問題について考える時、自分なりに考え行動して答えを持っているつもりでいた。だから彼と改姓の話をした時も、それなりに行動したつもりだった。今となっては彼に選択を投げただけだとわかる。
どうして彼にプロポーズをしなかったのか。
どうして「絶対に私の姓がいい」と言い切らなかったのか。
私の中にまだ、男だから/女だからの役割が残っているからだ。
私が”女が故の問題”に対する主張を鼻息荒くしている話す時、彼はいつも言っていた。
「本当に女性だけなの?男にだって同じことが言えるんじゃない?」
彼は私の矛盾を見つけていたのだと思う。
私は姓を書く度に、自分には他の視点が必ず欠けていると思い出すことにする。そして、想像力が足りていないと自覚しよう。その上で、たくさんの人と時間をかけて多くの視点で話がしたいと思っている。