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家でじっと

彼女は活発に動き回っている。
まさに縦横無尽に世界を駆け回っていた。家の中で。

体を置き去りにして内に内に、文字を通して頭の中で、心は揺れ動く。
傍に置いたメモ書きのための白い紙には取り止めのない単語や本の一節が乱雑に、文脈を持ったり。ふと彼女が目を落としてそのメモを見ても、その内容にはあまり意味がなかったりする。その証拠に、積み上がっている紙の1枚を抜き取ってもそれがなんだったのか思い出すまでしばらくかかったりする。

自分はどこに行ってしまうのだろう。
この行動の先にはなにがあるのだろう。なぜ私の心はそれを求めるのだろう。
ただただ不思議で不安にすら思うほどに、彼女は本を読んでいた。
50年以上前に書かれた小説や、最新の学術書。それぞれの本の内容に関連性はない。彼女の心の赴くままに興味を持って手に取り見つけた本だった。

とてつもないものだ。
それぞれの本の内容への関心は独立しているものであっても、読み進めていくうち、不意にそれぞれの関連性が見えてくる。見えてくるというより、彼女の心の中で見出してしまう。それは無意識的であって、本を読んでいる最中の彼女にはそう言った目的はないのである。
そうしたとき、見出したとき、無常の悦びと表現してもいいような得体の知れない感情に満たされる。とてつもない。

疲れる。
たしかに疲れるけれど、疲れたら休めばいい。
家にいるのだから。

立ち上がって、固まった体をほぐすためによくわからないステップを踏んで関節をほぐす。音楽を聴いて気分転換しようと、ヘッドフォンをつける。音楽を聴きながらしばらく体を揺らしていると、お茶が欲しくなる。薬缶に水を入れ、火にかける。音楽は鳴り止まず、依然として体は揺らしたまま、ガス火がお湯を沸かすのを眺める。薬缶の口から蒸気が噴出しはじめ、ほうじ茶の茶葉を入れた急須にお湯を注ぐ。沸騰したお湯はしゅっしゅっしゅと勢いよく口から飛び出して置いてあったフライパンに水がかかる。ほうじ茶の茶葉がお湯に満たされ心地よい匂いがたちこめる。

入れたばかりのお湯は熱過ぎてとても飲めない。
少し冷めるまでそのまま置いておいて、再び本を読みはじめる。

もうすぐ今年が終わる。彼女は家でじっとしている。

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