マガジンのカバー画像

詩経

15
『詩経』に関する記事をまとめています。
運営しているクリエイター

記事一覧

自分の漠然とした気持ちに形を与えてあげよう(『詩経』毛詩大序)

今回取り上げるのは『詩経』毛詩大序からの言葉。 詩はその人の志が表面化したものである、という意味。 儒教の経典の一つにもなっている『詩経』ですが、そのとある序文の中で述べられている言葉になります。 「詩とは何か?」というお話。 なかなか奥深いですね。 『詩経』は中国最古の詩集。 古代中国における各国の民謡や祭祀の言葉、周王朝の宮廷で用いられた歌などが収録されている古典です。 伝承としてあちこちで伝わっていたものを、孔子が一冊の本の形に編纂したと伝わっています。

その発言、誰かを傷つけるものになっていませんか?(『詩経』大雅・抑篇)

今回取り上げるのは『詩経』大雅・抑篇からの言葉。 白く清らかな玉が欠けたのならば、磨き直せば良い。しかし、発した言葉が失敗すると、もはやどうにもならない、という意味。 つまり、失言を無かったことにするのは不可能なので、発言するときは慎重に行いなさい、ということですね。 「圭」は、諸侯などが持っていた玉のこと。 非常に高価なものではありますが、多少欠けたとしても、もう一度磨き直せば元の輝きを取り戻すことができます。 しかし、人の発言はそうではありません。 一度口から

歴史からの学びが未来の自分の助けとなる(『詩経』大雅・文王篇)

今回取り上げるのは『詩経』大雅・文王篇からの言葉。 殷王朝の歴史をしっかりと鑑みるべきだ、運命を知ることは容易ではないのだから、という意味。 駿命とは天命のこと。 現代的には運命と捉えて良いでしょう。 つまり、運命を予測するのは難しいので、過去の歴史から成功や失敗を学びなさい、ということですね。 『詩経』は中国最古の詩集で、おおよそ周王朝のはじめから戦国時代半ばくらいまでの詩が収録されています。 殷王朝を打倒して周王朝が始まるのは前1046年頃、そして戦国時代は前5

いつの時代も甘い言葉には注意しないとね(『詩経』小雅・巧言篇)

今回取り上げるのは『詩経』小雅・巧言篇からの言葉。 悪意のある者の言葉はとても甘く聞こえるものだ、という意味。 現代でもよく言われることですが、甘い言葉には騙されるな、ということですね。 最近、銀行から「詐欺に注意してください」という内容のメールやお知らせをよく見かけます。 今年は銀行の特典制度を利用した、いわゆる銀行ポイ活が流行ったこともあり、銀行が標的の詐欺が多くなっているようです。 私たちも十分注意しなければならないのですが、最近の手口は巧妙化していて見破るの

重要で難しい問題だからこそ、早めに片付けることが大事(『詩経』小雅・魚麗篇)

今回取り上げるのは『詩経』小雅・魚麗篇からの言葉。 苦心しながら取り組むことに始まり、心穏やかな状態で終わる、という意味。 名君とされる周公の政治を称えた詩になります。 つまり、重要な問題は最初に片付けてしまうことが大事、ということですね。 周公とは、孔子も憧れた大政治家である周公旦(しゅうこうたん)のことです。 周公は兄の武王を補佐して殷王朝を打倒、兄の死後はその子である成王の摂政として活躍しました。 まさしく周王朝の基礎を作り上げた人物です。 孔子はそんな周

「他山の石」の誤用を他山の石として、言葉は正しく使っていきたい(『詩経』小雅・鶴鳴篇)

今回取り上げるのは『詩経』小雅・鶴鳴篇からの言葉。 他国の山の石であっても、玉を磨くのに使うことができる、という意味。 もともとは、国を治める方策について語った言葉です。 つまり、他国の優秀な人間は、たとえ身分が低くても積極的に登用すべきだ、ということですね。 今ではそれが転じて、他人の誤った言動を自分の修養に役立てる、といった意味になっています。 いわゆる「他山の石」というやつですね。 現代でも時々使う慣用句だと思います。 そういえば、ネットで見たのか、直接耳

自分の言葉に責任を持って行動できていますか?(『詩経』正月篇)

今回取り上げるのは『詩経』正月篇からの言葉。 人々は皆、「自分は優れている」「自分は行いは正しい」などと言っているが、誰がカラスのオスとメスを区別することができるだろうか、という意味。 カラスを見てオスメスを判別することができる方はいらっしゃいますか? 少なくとも私はできません。 仮にカラスと意思疎通ができて、「ボクはオスだよ」と教えてくれたとしても、私にはそれが本当かどうか見分けがつかないと思います。 どのカラスも(私にとっては)見かけ上は同じカラスに見えるからで

飲み会は大事かもしれないけれど、自分の健康の方がもっと大事(『詩経』小雅・鹿鳴篇)

今回取り上げるのは『詩経』小雅・鹿鳴篇からの言葉。 鹿が互いに呼び合って、仲良く野のヨモギを食べている、という意味。 「呦呦」というのは鹿の鳴き声のこと。 人々が大事な人と互いに談笑しながら楽しく飲食する様を表した例えです。 この鹿鳴篇は、天子が臣下や客を招いてご馳走を振る舞う様子を歌っています。 天子とは古代中国における支配者のことで、天帝から地上の支配を任された王様のような人のことです。 有名な「鹿鳴館」もこの篇が名前の由来になっています。 各国の賓客を招い

VUCA時代に求められるスキルは中国古典で学ぼう(『詩経』邶風・匏有苦葉篇)

今回取り上げるのは『詩経』邶風・匏有苦葉篇からの言葉。 川が深いときは衣全体をまくり、川が浅いときは裾だけをまくって渡る、という意味。 歴史や時代の流れは川に例えられますが、川を渡るのにも色々な方法があります。 深ければ服が濡れないように気をつけなければなりませんし、浅ければ靴を脱いで裾をまくるだけで良いかもしれません。 いつの時代も、その時々の流れに応じた在り方というものがあります。 つまり、世の中の変化に合わせて適切な態度を取りなさい、ということですね。 今の

自分の心に映る他人は虚像に過ぎない(『詩経』邶風・柏舟篇)

今回取り上げるのは『詩経』邶風・柏舟篇からの言葉。 私の心は鏡ではないのだから、他人の心を推しはかることはできない、という意味。 「もしかして〇〇さん、私のこと嫌いなのかな・・・」 「ちょっと言い方が悪かったかな。〇〇さん気にしてるかも・・・」 繊細な方であれば、相手や自分の言動を気にして悩んでしまうことがあるのではないでしょうか。 ですが、それは自分がそのように思っているだけにすぎません。 自分の心は鏡ではないので、相手の気持ちを正確に映し出す(把握する)ことはで

人はあなたを一面だけで判断するから、長所を見てくれる環境に移ろう(『詩経』小旻篇)

今回取り上げるのは『詩経』小旻篇からの言葉。 世の人々は物事の一面を知って、それ以外の面を知ろうとしない、という意味。 物事を一面で判断してはならない、ということですね。 それと同時に、周囲は物事を一面でしか判断していない、ということでもあります。 物事には色々な面があります。 良い面もあれば悪い面もあり、それをどのように使うか、何に使うかによって評価は変わってくるものです。 これは人間も同じです。 ある人からみたら欠点かもしれないことでも、別の人から見たら長所

誰かじゃなくて、昨日の自分と比べようよ(『詩経』衛風・洪澳篇)

今回取り上げるのは『詩経』衛風・洪澳篇からの言葉。 宝玉を切り出して、さらに形を整えたり、宝石を打って形作り、さらに磨き上げていくかのように、努力に努力を重ねて自分自身を高めていく、という意味。 「切磋琢磨」という言葉はここからきています。 Oxford Languagesの日本語辞書で「切磋琢磨」の意味を見てみると、以下のようにあります。 現代では、どちらかというと「仲間同士互いに励まし合って向上すること」という意味で使われることが多い気がしますが、語源的には「学問

「維新」には古代の人々の前向きな思いが込められている(『詩経』大雅・文王篇)

今回取り上げるのは『詩経』大雅・文王篇からの言葉。 周は古い歴史のある国ではあるが、その天命はまだまだ新しい、という意味。 「維新」という言葉はここからきています。 「これあらたなり」と読むので、ここから新しくしていくぞ!というイメージです。 小学館『日本国語大辞典』にも、「すべて改まり新しくなること」とありますので、現代でも同じ意味で使われていますね。 周というのは殷王朝の後に生まれた王朝です。 元々は殷の傘下にある国に過ぎませんでしたが、前1046年の牧野の戦

中国古典に見るお酒についての教えと伊達政宗の失敗(『詩経』小雅・賓之初筵)

今回取り上げるのは『詩経』小雅・賓之初筵篇からの言葉。 言わなくても良いことは言ってはならない、道理に合わないことであれば人と語ってはいけない、という意味。 お酒の席での振る舞いについて述べたものになります。 口は災いの元ということですね。 そろそろ3月末ということもあり、年度末や新年度に合わせた飲み会が増えてくる時期だと思います。 私はお酒が飲めないので飲み会は正直憂鬱です。。 ですが、同僚や新しい方とお話しする機会でもあるので、勇気とやる気を振り絞って参加し、