【歌詞考察】ミセス「Dear」で「お互い」が包含する意味

 「壊れそうな場合、私の肩に寄りかかってさお互い甘えてみましょう」
 Mrs. GREEN APPLEの「Dear」で1番好きなフレーズ。なぜここが好きか。
 好きなバンドのメンバーに「肩に寄りかかって」なんて言われたらなんて頼もしいの!という乙女心もあった。確かにそんな不純な気持ちがあったのだが、ちょっと違うんだよなー。大森さんのメッセージ、全てを受け取れきれていない気がするんだよなー。と配信された日から感じ続けていた。そしてついさっき、霧が晴れた。そして太陽を拝むように大森元貴氏を崇拝し直した。
 私は「お互い」という言葉がどれだけ重要ワードだったのか、やっと気づいた。そしてこれでやっと大森さんの伝えたかったことを完全に受け取れたような気がする。涙が出る。
 Mrs. GREEN APPLEの楽曲にはよく「弱い人」が出てきて、大森さんもリスナーも「弱い人」と自認している気がする。因みに私も自分で言うのは気が引けるがそちら側にいる気がする。
 「弱い人」はある部分では強さがあったり我慢をし続けたりしてしまう傾向にあると思う。人に頼ること、甘えることは悪と思っているのだ。だから、キャパオーバーになりやすく、結果として自他ともに認める「弱い人」になってしまうのかもしれない。だからそう言う人に「頼っていいんだよ」とか「たまには甘えてよ」とか言っても逆効果だ。だってそう言った行動は「悪」だから。「罪悪感」を感じるから。
 だから「壊れそうな場合、私の肩に寄りかかって甘えてみましょう」だと、「弱い人」はまたしても希望を掴み損ねる。遠ざける。
 でも、大森さんは「お互い」と入れた。「私の肩に寄りかかって」なのにだ。
 「私の肩に寄りかかって」ということは「私」に寄り添うということだ。「私」は「貴方」に側にいてほしい。そして時に「私」は「貴方」に甘えます。頼ります。という宣言をしているのだ。そう宣言してもらうことで「弱い人」は「私」に初めて頼ることができるようになる。甘えることができる。「お互い」に甘えるということを許容することで「弱い人」の弱い人たる所以、「迷惑をかけてはいないか?」という罪悪感を見事に払拭するのだ。
 「頼ってよ」って言ってくれる人は優しいし、頼りになる。でも、「お気持ちだけ、ありがたく頂きますね。」となってしまう。
 「私は貴方を頼りますから、貴方も私を頼ってくださいね。」が実は本当に優しい人な気がする。そう思った方が、そう思われた「私」さんも心が軽くなるのではないだろうか。だって「私」さんも罪悪感を抱えながら、賭けのような気持ちで自己開示してくれたかもしれないから。こうやって螺旋階段のように気持ちを回らせればいいのだ。
 「頼ってほしい」「助けてあげたい」と常に思っている人はきちんと「頼らせてほしい」「助けてほしい」と言えているのだろうか。他者を考えすぎるあまりに、自分のことを疎かにしてはいないだろうか。今一度、自分を見つめ、優しくて儚げな誰かに「甘えていい?」と聞いてみてほしい。きっとその人も救われるはずだ。

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