【エッセイ】おひとり様の真実

 私はよく母に、あなたは強いね。と言われる。肉体的な強さのことを指している場合もたまにあるが大抵は精神的な部分のことを言っている。母に言わせれば幼い頃から1人遊びを好み、一匹狼のような振る舞いをよくしていたらしい。私にもそう言われるに値する出来事に思い当たる節が多々ある。小学生の頃は周りの女子の視線を気にも止めず校庭を一人、駆けずり回っていた。中学生の頃はどんなに周りの生徒達がわーきゃー騒いでいても読みたい本は教室のど真ん中の席で夢中になって読み続けた。高校生になると1人で観たい映画というものが存在し、それを1人で観に行くことに何も迷うことはないし、カウンター席で1人で寿司やラーメンを食べたこともある。挙げ句の果てには外国に住みたい!と突然言い出し、身一つでツテもコネもないオーストラリアに気づいたら飛び立っていた。流石にそれはハードルが高すぎて途中で投げ出したが一度こうだと思ったら曲げられないし何がなんでも実行したい。「強い人間」と評価されるに相応しい生き方をしているかもしれないと納得してしまう。
 ただ、当の本人は全くそう思っていないのである。私はとても弱い人間だ。とにかくメンタルが弱すぎる。すぐにガラスのハートは砕けるしコップの水もしょっちゅう溢れかえる。ちょっと遊びの提案をした時に相手が楽しそうな反応をしてくれなかったらチョイス悪かったかなと落ち込む。校内のゴシップに疎い私が女子トークに参加したら空気を読めなくて邪魔になると思い、身を引く。皆んなで食事をしているとき、大皿を取り分けたいと思っても綺麗に取り分けられなかったら申し訳ないと思ってしまい結局何も出来ずじまい。映画館を出て感想を伝えても的外れなことを言ってしまったら恥ずかしい。余計なこと言って相手を傷つけても嫌だ(「おめぇの恋人じゃないんだよそんなこと微塵も気にしてねえわ。このナルシスト!」ってつっこむところですからね)。そんなことが積もりに積もって誰も私を知らない外国に逃亡したような感覚だった。結局は1人で完結するほうが楽だったりする。
 私からしたら自分のペースを保ちつつ人に合わせて一緒に行動できる人のほうがよっぽど体力的にも精神的にも強い人だと思う。ずっと憧れている。そういう人は誰にでも分け隔てなく素敵な笑顔を見せているし、楽しいことにどんどん挑戦するし周りを巻き込む力もある。言いたいことははっきり言葉にするし変な所で立ち止まって悩み続けたりしない。私にはそういう振る舞いができない。ネチネチと卑屈な思考を巡らせていて気づいたら人の話を聞き逃している。もはや人と付き合うために備えるべき集中力すらないのだ。
 昨今は「おひとり様」とか「ソロ活」とかいう言葉が流行り、それができる人は自分を曲げない強い人のように表現されている。ただ、本当は人に合わせて柔軟に対応できない脆い人間であるのだと思う。
 こんなことをここまで書いてみたが、なんでもかんでも1人でやりたいわけではないし友達に会いたいときも沢山ある。共有したい感覚とか話は1人でいればいるほど溜まっていく。
 「貴方といると疲れるから私は一人でいたい」わけでは全くない。
 「貴方がとても大切で傷つけたくないし嫌われたくないので一緒にいられない」こっちの感覚が正しい。大事すぎるメッセージなので太字にしておく。どうか途中で読むのを辞めずに最後まで読んでくれていますように。
 ここまで読んでくれた私のお友達の皆様、どうかご理解よろしくお願いいたします。
 貴方にはたくさんの「ありがとう」を伝えたいです。

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