【短編小説】パフェは血の味
店員が麻友の前に大きなパフェを運んでくる。今日のパフェは苺がふんだんに使われ白いクリームと赤色のジェラートが凛と輝いていた。春の苺フェア限定のメニューだ。重めの前髪とマスクでギリギリ目元が見える男性店員に麻友は無邪気に「ありがとうございますぅ~」とお礼を言う。不用意に語尾を伸ばすのがいつも気に入らないがそこが彼女の愛想の良さでもある。麻友はいつもパフェを頼むから私はあまり興味がないのにどこのお店にどんなパフェがあるか私の脳にもインプットされている。楓の前には既に半分ほど減った食べかけのカレーライスが置かれている。
いつも麻友が「会えるぅ~?」と連絡をしてくる。タイミングは彼女がパフェを食べたくなった時や気になるパフェが見つかった時だ。だから1週間に2度連絡が来るときもあるし数か月音沙汰がない時もある。完全に麻友のペースに合わせて巻き込まれている。だが、そのランダムな提案に乗らないと私も楓も積極的に連絡を取るタイプではないので自然消滅しそうだから内心ありがたい。ただ、一つ文句を言ってもいいとしたら店の代わり映えがないのが不満だということだ。麻友からしたらいろいろな店のパフェの写真を撮り、食べているから楽しいのだろうがパフェがあるお店となればジャンルは限られ、洋食店か喫茶店だ。私からしたらこの2択からいつも選んでいるようなものだ。といっても人におすすめできるいい店を知らないから仕方がない。さらに以前、楓に文句がないか問いただしたら、
「カレー、色んな店で食べれるの楽しいから別に。」
と言われてしまった。彼女は主張と積極性と写真に残すことはないにしても麻友のタイミングに便乗してちゃっかり推し活を進めていたのだ。思い返せば確かに私はパフェだけではなくどこのお店にどんなカレーまたはカレー味の何があるか、についても詳しくなっている気がする。
春というのにもう初夏のように外気があまりにも暑くて食欲が湧かず、ただ冷たいものに心惹かれていつもは頼まないパフェが私の目の前で挑発的に佇んでいる。細長いスプーンで穿ってみると赤いイチゴジャムが白いクリームの中から露になった。その紅白を凝視して動きが止まる。今日に限って紅白のパフェを頼んだことを後悔した。
「どした?」
冷めた目で、しかし見透かすように楓が聞いてくる。
「いや、ちょっと、昨日、グロイ映像をドラマで見ちゃってね。」
「ふーん」
麻友はまだパフェには手を付けずに無我夢中に写真を撮り続けている。私と楓の話は耳に入っていないだろう。
「グロイ映像って?」
ああ、そうだった。楓はこういう話に興味を持つのだった。珍しく続きを話すように促してくる。
「ドラマのワンシーンの話なんだけどさ、血まみれの少女が病院に運ばれてきてね、刑事が捜査するんだけど、少女は誰かに刺されたとかじゃなくて自分でやってたんだよ。自分の胸と臀部を包丁で切り落としたっていうオチ。まあ、自傷行為だよね。」
「なんでそんなことしたの?」
楓は顔色を変えずにカレーライスを口に運びながら聞いてくる。
「義理の父親に性的虐待されていたんだって。それで、」
「あーなるほどね。」
「なるほどね?そんなすぐに納得できるの?」
「なんかわかるもん。その気持ち。」
なんてことのないような言い方をする楓の心情が掴めなかった。
「なんの話ぃ?」
写真を撮り終えて既に満足げな顔をした麻友が純粋な子犬のような眼を向けてくる。
「グロイ話。」
食事中に合わないのでこの話題はやめようと思った。麻友はそもそも嫌いそうだし。
「別にグロくないよ。」
楓が言う。
「グロイでしょ。」
「いやいや、血まみれを想像したらグロいけど別に出来事自体はグロくない。」
「気になるぅ~」
楓がはっきりと主張してくるし麻友も嫌がってはいない。
「その少女は自分の女の部分を消したかったんでしょ?それが消えれば義理の父から興味を持たれない。」
楓がいつもより少しだけ熱のこもった言い方をした。
そう。その通りだった。なぜこの程度の情報で真意に辿り着くのだろうか。刑事が動機を解明するのにドラマ内で15分くらいかかっていた。そのくらい繊細で常人には思いつかないような動機と展開だったはずだ。
麻友はふむふむと頷いている。こういう話は真剣に聞くらしい。
「あ、いや、なんか家で嫌な思いをしていたとかそういうわけではないから、大丈夫。ただ、よく思うんだよね。うん。なんかわかる。その子の行動。」
楓が言葉を選んでいる。言葉に詰まっている。そんな楓を見たのは初めてだ。もう十年来の友達なのに。いつも周りの人の悩みを一刀両断したり一瞬で解決したりと「言葉にできない」とはかけ離れているような人間だった。だから彼女の口から吐き出された曖昧な返答が本当に彼女のものだったかわからなくなる。そして何を言わんとしているのか全くわからなかった。
「いや、どういうこと?」
私は自分が理解できないことを友達が話しているという混乱と楓の知らない部分を初めて知った動揺をごまかそうと嗤ってしまった。麻友がパフェをいじるスプーンを置き、私を鋭く睨んでくる。「わらうな。」と一喝されたようだった。楓は反対に私に対して嘲笑しているように見えた。麻友は楓のすべてを理解しているような態度をとるし、楓はあんたには解らないよなというような諦めたような視線を送ってくる。居心地が悪い。視線を落とし、無心でパフェを貪った。慣れない冷たい食べ物を掻き込んだせいで喉が締まりむせる。麻友がふっと笑みをこぼし眉尻を下げてしょうがないなと言う。
「あんたさ、麻友も私も何にも考えてないってちょっと馬鹿にしてたでしょ?」
楓のこの言葉は理解したくなかったがどうしてもすっと腑に落ちる。図星だったのだと思う。
「あんたはさ、正統派、王道、でまっすぐ生きてるよ。でも世の中そうじゃない人がたくさんいる。私たちのことを変わり者で自己中って思ってるんだろうけど、私からしたらそんなにスラスラ生きているあんたのほうが不思議だよ。」
「ごめん。」
私は2人を信頼しているとかではなく、変わっている二人を見て自分の普通さを再認識し、安堵していたのだと思う。それを自分では無意識で行い気づいていなかったことが恥ずかしいし指摘されたことを恐ろしく感じた。
「自己中に見えるやつとか、他人の目を気にしてない人ってそうしないと生きていけないからそう振る舞っているところもあると思うんだ。私だってさ、本当はあんたみたいにまっすぐな道を選んでそれを信じることができて生きられたらなって思うよ。人に合わせようとかそんなこと考えずとも自然と周りと同じ流れを掴めるなんて羨ましい。麻友はさ、まあ、わからないけどそもそも流れに飛び込めない感じだし飛び込んでみても溺れてしまうタイプ。私は流れに飛び込むことはできるけど黙って流れていられないんだよ。気づいたら流れに抗ってて、苦しくなってる。苦しいから抗わないって選択肢もあるんだろうけどそうすると今度は漂流してる気分になるんだよね。」
楓の分析は実に的を射ていた。私は目の前の流れに対して特に疑問も不満も持たずに流れ続けてきた。学校で浮くこともいじめられることもなかったし勉強もスポーツも平均以上にはできた。進路に悩んだこともなければ恋愛で傷ついたこともない。たまたま私の目の前にあった流れが私にちょうどよくフィットし続けていたのだ。流れに身を任せるのは心地良い。
一方、麻友はクラス内でいじめられているところを一匹狼の楓に救われたような人間だった。私はクラスにいじめがあったことを後に知ったし、楓からは傍観者という認識で嫌われていたのに気づいてないほど平和ボケしていた。2人に出会ってから他人の事情というものの存在を理解し想像できるようになったと思っていた。しかし、私の平和ボケは未だ治らずぼんやりと生きていたのだ。1番何も考えていないのは私だった。溶けて液体になりかけているパフェは鮮やかだった紅白が混ざり合い、柔いピンク色になっている。
「あんたは私たちに出会ってなかったら人を傷つけるひどい人間になっていたかもね。」
私の反省の色が見えたのか楓が意地悪そうに笑いながら感謝しなよ?と訴える。
「ごめん、楓。麻友も。」
「いやあー私はぜんぜーん。」
私は楓の事情というものに真剣に耳を傾けようと決意した。私自身に深刻な悩みがないからこの世のことはなんでも笑って誤魔化せると思っていたけどそれも間違いだ。人の事情の重いも軽いも当事者が決めることだ。
「でさ、ドラマの少女に共感できるっていうのはどうして?」
「うーん。また今度ね。」
いつもならなんだそれ!っと軽く突っ込んでしまうだろうが今日の私は違う。それをグッと堪えた。
「そっか。話せそうになったら話してよ。」
楓の目がこちらを捉える。楓に認められたような気分になる。私は合った目を逸らさない。もう簡単に流しはしないし流されない。