【エッセイ】加点方式で送る人生のすゝめ
「減点方式だから、ケアレスミスのリスクをなるべく回避できるように難しいことは書かなくていいよ。」
大学受験に向けた英語の記述問題の対策授業で聞いた先生のアドバイス。この言葉にラッキーと浮かれていた私はもういない。
試験においてミスのないように自信のある策を使っていくのは意外と簡単である。というよりか、たいして賢くもないのでこねくり回さずにパッと閃いたことを記していけばいいのだ。一言一句日本語訳に合わせた英単語を脳内をひっくり返して片っ端から探さなくてもいい。そのおかげで大した勉強をすることもなく入試はパスすることができた。
この楽だった、快感だった減点方式は今、自分の首を絞めている気がする。なぜならば一つのミスがその日一日の完成度を下げていくからだ。
朝、起床時、私の持ち点は100点だ。もし寝坊したらマイナス1点だしその寝坊が原因で遅刻をしたらもうその時点でマイナス100点になってしまう(寝坊と遅刻の点数差が凄まじい)。時間通りに家を出れなかったらマイナス1点だし通学途中に雨が降ってきて傘を持っておらずに濡れたらまた減点。こんな感じで一つ良くないことが起きると減点されていく。といっても20何年生きているのでこのくらいの減点は回避できる。ただ、回避するにも小さなストレスが積み重なって「生きるのって難しい!」と気が滅入るので結局減点対象だ。学校に着き、人に話しかけられてうまく返答できなかったら減点。もっと良い言い回しを後から思いついても減点。言葉遣いが素っ気なく感じる文面のままメッセージを送ってしまっても減点。バイト先で気が利かない動きをしてしまっても減点だしちょっと愛想の良くない接客をしてしまっても減点。帰宅するころには30点くらいしかなくなっている。そして床につく時に思う。
「今日は完成度20点の一日だったな。」
起床時には100点もあったのに!80点も失った!明日は何点失うかな?そう考えながら眠りにつく。
でももし、加点方式で人生を送ることができたら?もしその方法で人生を送るならば自動的にその日にできたことを思い返す日々が続く。寝坊しつつも弁当を用意することができた。一週間かけて準備したプレゼンがうまくいった。人に話しかけてもらえるような雰囲気を醸し出せていた。お客さんにありがとうと言ってもらえた。まだまだできたことを取り上げればきりがない。もはや生きて帰宅出来れば上等である。振り返ればできなかったことよりもできたことのほうが圧倒的に多い。こうやって起床時に持ち点0でスタートし、どんどん加点していけば50点くらいにはなるのではないか。点数を下げないように神経を尖らせて積るストレスからも解消されるし点数を失った悲しみもない。もしかしたら80点くらいで眠りにつくことができるかもしれない。試験で8割は上出来すぎる。毎日「生きる」という試験を8割取り続けることができたらたまにある100点に快感を感じ、いつもの20点に落ち込むというような不安定さが無くなる。
ここまで読んで何を当たり前のことを言っているんだと思ったりそんなことで自分の評価を下げるなんて勿体無いと感じたりすることができた人はかなり素敵な人生を送っているのだと思う。しかし、確実に「できなかったこと」に囚われて自己評価を下げ続けている人がいるはずだ。私は加点方式の人生というものを最近発明した。生まれつき持っていた人が心底羨ましい。私は未だ加点方式の人生に馴染めずに減点方式の日のほうが多い。
「できることが当たり前」という高い目標を捨てろとは言わない。そうではなくて、「当たり前にできたこと」があればきちんとそれに目を向け認めて褒めてあげる必要があるのだと思う。
今日、私は自分のモヤモヤを言葉にし、より良い生き方を見出した。そしてそれを世に発信するということで誰かの心を軽くするかもしれない。これを「できたこと」に換算し、自分をしっかり褒めたいと思う。