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読書離れは本当に悪いことなのか?

仕事中にYahoo!ニュースをチラチラ見ていたら、読書離れに関するニュース。

日本人の6割は月に1冊も本は読まないとのこと。

この「日本人の読書離れ」だが、今に始まった話ではない。

記事では読書時間が15年間下がり続けているグラフが掲載されているが、おそらく15年どころか何十年も続くトレンドだと思われる。

そして、私はこの読書離れの風潮、正確にいうと読書離れを嘆く風潮に色々といいたいことがあるので書いてみたい。


読書離れは一概に悪いことではない

一言で言うと、これである。

「読書離れは一概に悪いことではない」

私がハッキリこう思うようになったのは、おそらく30歳を過ぎたころから。

仕事が忙しくなり、めっきり本を読まなくなったなあ…と思い始めた半面、そのことに関して特に罪悪感を感じていない自分に気づいた。

私は父が国語の教員だったこともあり、もともと読書好きだ。

今はだいぶ読書量減ったけど、4万円のKindle scribeを常時持ち歩いてヒマがあればパカパカする程度には活字に触れている。

それでもなぜ読書離れを悪いと思わないか、理由はたくさんあるがとりあえず3つだけ述べておきたい。

理由その① 音声学習等、情報吸収の手段はほかにもある

以前他の記事でも少し触れたが、現代ではAudibleやYouTubeの書籍解説チャンネルなど、書籍ではない音声学習のツールが、情報吸収の手段として発達してきている。
私はほとんど聞かないが、ポッドキャスト等でも面白そうなチャンネルが多数存在する。
面白そうなのになぜほとんど聞かないかというと、私が興味あるポッドキャストはたいてい英語だからだ。

かつてインターネットがなかったころ、スマホがなかったころは、こうした手段は存在していたとしても読書に代わるような存在ではなかった。

読書で時間をかけて吸収していた情報を、音声で代わりに取れているとしたら?
手がふさがっていたり、移動中にそうした情報吸収をできているとしたら?

それは十分読書の代替手段といえるので、読書量が減っていても何ら悲観することはないだろう。

理由その② 読書以外にも重要なことは山ほどある

「書を捨てよ街に出よう」という有名な詩人の言葉もある通り、読書を離れて街に出たり、家族や友人と過ごすことも大事なことだ。

現代では余暇の過ごし方が多様化し、中年や老人になってから新たな趣味を始めている人も増えている。

そうした状況の中で、相対的な読書の時間が減ることは至極当然のことで、読書の代わりとなる行為がその人にとって読書と同じくかけがえの無いものであれば、読書の時間が減ったとしても何ら問題ではない。

理由その③ 書籍化された情報は鮮度が落ちる

私が30歳になって読書の時間が減った理由、おそらくこれも大きい。

書籍化された情報は、鮮度が落ちるのである。

まず書籍化される文章は、過度に不穏当なモノであってはいけない。
書籍は基本的に著者の情報が開示されているため、もし炎上するようなことをかいたりすれば、著者も出版社も評判がガタ落ち、金銭的にもダメージを受ける。

もちろん、不穏当なことを書けばいいというわけではないけれど、書籍化するにあたっては情報がフォーマルなものに加工され、刺激をほどほどに抑えたマイルドな味付けになることは避けられない。

さらに書籍化するには時間がかかるため、時間的な鮮度が落ちてしまうことも見逃せない。

IT等のトレンドの移り変わりが激しい業界や、時事や流行に関するテーマにおいては、書籍化決定の時点では価値のあった情報も店頭に並んだ時には多かれ少なかれ陳腐化していることがままある。

私がNOTEやブログを好きなのは、情報の精度が多少荒くとも、とにかく鮮度が高いことが挙げられる。誤情報もその分多いので慎重に裏取りをする必要などもあるけれど、読み物としては書籍より面白いことも珍しくない。

そもそも「1冊読んだ」とは何?2冊の本を半分ずつ読んだら1冊?1冊の本を通読するのは時間のムダなことも多い。

そしてこのアンケートで気になったこと。

「1冊読んだ」とは何だろうか?

私は毎日何らかの形で本を読むけれど、大抵は複数の本を並行で読んでるし、そもそも1冊の本を全部読むことは少ない。

昔読んだ本を読み返していることも多い。

そして大抵の本は重要なコアの部分と、そうでない周辺の部分が存在する。

コアの部分は最低限読むとしても、周辺の部分は既知のことやわかりきったことを補足しているだけのことも多いし、まったくの蛇足のこともある。

また言うまでもなく、本は長く分厚い本もあれば、短く薄い本もある。

1文1文かみしめなければ理解できない堅い文章もあれば、ななめ読みでスイスイ読める文章もある。

「月に本を何冊読んでますか?」というアンケートに答えるとき、私は何と答えればいいのだろう?

読書が目的になるのは本末転倒。大事なことは読書をした後のアクション。

これは読書に限らないことだが、世の中には「手段の目的化」が溢れている。

本を読む目的は、言うまでもなく読後のアクション。本を読むことそれ自体は、基本的にその手段である。

アクションは体を動かすフィジカルなものを必ずしも指さない。

本を読んで、自分の頭の中で新しい発想を思いついたり、考え方に何らかの発展があればそれでいい。

若いころの私は、本を読むこと自体が目的化していた時代があった。

せっかく読み終わっても頭の中に何も残らず、特に反芻することもなくただただ読んだ冊数を無意味に増やし、あーまた1冊読んだ!じゃあ次!と誇らしげにしていた。

本を読むことは素晴らしい。知識も増えるし、文章もうまくなる。
本で得た知識が次の知識を学びたいという欲望になり、本を読まなかった場合と比べて指数関数的な差がつく。

その反面、読書を良いものとして捉えるあまり、私たちは読書という行為自体を過度に美化しがちだ。

本当に大切なことは、効率的に情報を吸収する。実践に結びつける。自分の中に何らかの変化をもたらす。そういった自分なりの目的を見失わないようにすること。

その点に気を付けていれば、私たちは仕事や他の趣味を含めた生活の中で読書という行為の真の価値をバランスよく引き出し、人生の中で活かしていくことが出来るだろう。



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