30代になったって別に人間捨ててないぜ
30歳を過ぎると、色んな意味で何もかもがどうでもよくなる。例えば休みの日にわざわざ髪型をセットしたり、オシャレをして出掛けたりしない。スキンケアだって適当だ。
それぐらい20代は周りの目を気にしたり、流行りに敏感になっていたりしてた気がする。
30代になることは一つの節目だ。そしてその節目には何か大きく失墜するものがある。「20代」から「30代」に変わる瞬間は何とも言えない重みがあるのだ。
多分それは、僕が20代だった頃に30代以上の大人たちに散々喧嘩を売るような言葉を使ったり、反抗してきたからだと思う。
「○○なんて古い」「オッサン」「オバサン」といった、長年今でも続いてるジェネレーション論争だ。(勝手に命名)
今の若者たちからすると、どうやらジーンズを履く大人は「オッサン」らしい。腰にチェーンをぶら下げる人はもはや「ダサい」そうだ。(チェーンは僕も古いと思うが・・・笑)
だが30代になって思うのは、世代が違うというだけでなぜ乱暴な言葉を使って人を傷つけるんだろう?ということだった。
▼以前にもnoteに書きました。
ざっくり言えば、僕も調子を乗ってたんだと思う。今の若者たちを見ると、過去の自分を重ねて見てしまうし、「調子乗ってんな」って思ったりする。
「あー、自分もこうだったな」と思うし、今の若者たちはこういう風に思ってるんだなぁとしか思わない。もはや”どうでもいい”から別に何を言われても傷つかないし勝手に言わせておけばいいとも思ってる。
10年経ってもこの”どうでもいい”討論は続いてるのだから、いちいち反論したところで消耗するだけで誰得にもならない。むしろ、将来的に30代に突入したときの自分にプレッシャーを与えるだけだと思う。
もしかするとこれを言わば「大人の余裕」というのかもしれないけれど、これはある意味ちょっとイキってたあの頃に疲れて「どうでもよくなった」という部分はある。
ほんと世の中のことはほとんど
良くも悪くも”どうでもいいよ”って思ってしまう。(笑)
僕は20代の人達と世代が違うだけで同じ人間であることは変わらないし、30代になった今も別に対して中身は何も変わってないと思ってる。
20代の頃は、全然余裕がなかった。そんな僕も社会人になったばかりの頃は、あーだこーだ上司に言われ毎日ストレスを抱えてた。社会に縛られて自由になれなくなったことに「それは甘えだ」とか、「ゆとり世代」だとか馬鹿にされ、若さゆえの反抗心であらがっていたのだ。
30代になって大きく変わったのは、社会人経験を10年積んできたこともそうだし、働き方を変えたということもあって、少し余裕が持てている自分がいるということだけ。
多分だけど、僕もそうだったけど20代ってみんな、プライドが何処か高いよなとなんとなくだが感じる。
「自分に自信がない」
だから自分を強く見せるために髪を明るく染めたり、濃いメイクをして自分じゃない自分で生きようとする。
昔はガングロとか確か流行ってたけど(笑)
基本的にみんな自信がないだけなんだろうな…と思う。(もちろん全ての人がそうであるとは限らないけど)
僕も未だに自分に自信がないし、強がってしまうことはあるけれど。30代を過ぎると年齢的に若い人達に合わせようっていうのも無理があるっていうのも確かにあるけど、余裕が生まれてくる。
だから30代になると、心も見た目も落ち着く。
ただ20代でまっとうな生き方をしてこなかったから、時間を無駄にしてきたことを後悔して生き急いでるところはある。(笑)
僕はずっと情報社会に消耗してきた。だから今大切すべきだと思うのは、自分が何が好きで、何を大事にして生きているか。自分に誇りを持って生きてるか、だと思ってる。
20代の頃、僕は自分に自信が持てず、周りに否定されることに怯えながら生きてきたからこそ、そう思うのだ。
人の個性を馬鹿にするようなことを誰かが平気で否定なんかするから、自信が持てない人達を増やしていく。
もちろん中には愛のある厳しさを伝えてくれる人もいるけれど、僕達は絶対、心ない批判の声に真剣に耳を傾けてはいけない。
もしかしたら自信のなさは時間が解決してくれるかもしれないけれど、待っていても現実は何も変えられない。絶対に自分の信念を曲げないでいてほしいと思う。
今はインターネット上の誹謗中傷問題があるけども、今自分がやるべきことは何なのか。僕自身も負けないように、自分の「好き」を大切にしてこれからも行動していきたいと思う。
生きている今は今しかないから。自分を捨てず、自分を信じて進んでいくよ。