KOHEI
心が動いたnoteを集めています。
僕はお酒が飲めない。というより、正確に言えばお酒を飲むことをいつからかやめた。どうしてやめたのかというと、お酒を理由にストレスを発散したり、現実逃避しようとする自分を見て、心底嫌気を刺したからだ。 もちろんお酒を飲むことが決して悪いことだとは全く思っていない。ただ僕は、無理に笑って、はしゃいで飲むお酒の後の反動にいつも後悔していた自分がいた。酔いがまわって二日酔いになって。それがとても悲しくて、虚しさを覚えるようになって、何だかやるせなくなることもあった。 学生の頃は、友
「好き」という言葉には、一つの英単語にいくつも意味があるように、ニュアンスがある。 一般的に例えられるのは、恐らく”LIKE”と”LOVE”の差。 例えば「あなたのことが好き」と人に伝えたなら、どんな眼差しで、どんな表情で、どんな声のトーンかで相手への伝わり方も違うだろう。 僕は、人に真っ直ぐに「好き」と想いを伝えられたことがない。 「あなたの好きなところ」なら、いくらでも伝えられたことはあった。「あなたのそういうところ好き」とか、”LOVE”の感情を剥き出しにしなが
毎日noteを書くと決めてから、何度もやめようと思いつつも365日書き続けることが出来ました。 それからもうしばらく毎日書くことを続けてきたんですが、、 毎日の更新は、今日でストップすることにします。 理由は、目的が「毎日なんとか更新すること」になっていて、思考を深めて書くことが最近出来ていないなと感じているからです。 もちろん書くことをやめるつもりはありません。ただこれからは、自分自身の気持ちと向き合う時間を大切にして、ふと「書きたい」と思ったときに言葉を選びながら
「お金」は、手段として使うことがある。もちろん自分のお金なのだから、何に使おうとその人の自由だと思う。 だが、お金を手段として使えない人は、自慢する人を見ると「羨ましい」という嫉妬心が芽生えることがある。 例えば人の幸せを、表向きは祝福するものの、心から祝ってあげられないような。 不愉快にも似た、歯がゆい感情だ。 自分のお金で心を満足させているのに、お金を使うことで人を嫌な気持ちにさせてしまうことがある。 優越感というのは、人に気安く見せるものではないのかもしれない
僕は今まで「出会い系サイト」みたいなのって怖いなと思っていました。 いや、今でも怖いなと思うんですけど、その理由は「愛に飢えてる人が多いだけに詰め寄られそう」とか考えちゃってたからなんですよね。(笑) あとはアプリ上だけでのやりとりだけでは見えない部分が多いし、みんな顔写真とか普通に加工してるから、もし実際会おうってなったときにハードルが上がるよなぁ…とか。 それに、僕は自分の顔も容姿もそんなに自信がないし、普通、てか普通以下だと思ってるぐらいネガティブな人間なので、自
「いつか独立したい」っていう夢は、いつの間にか何処かに置いてきてしまったかのようにひしひしと感じている。 ずっと走り続けてきたけれど、何処まで走り続ければいいのか、走り続けた先には何が待っているのか。見えない明日に怯えて、いつからか歩みを止めてしまっていた。 いわゆる、現実逃避というやつだ。 働けているという今の環境に甘えてしまっている自分がいる。勉強をすることも、発信をすることも、おろそかになっている自分がいる。 「もうどうでもいいや」 ぽっきり心が折れてしまって
「人と関わる仕事が好き」になれたのは、笑顔が増えたからだと思う。周りの人を喜ばせることももちろんそうだけど、人が苦手だった自分が人と会話することが楽しいと思えるまでになれたのは大きい。でもそれだけで満足していたら結局平行線のままで、「その程度」で終わる。次に目指す場所を考えたい。
以前、自宅付近で女性の遺体が見つかった殺人事件について書いたのですが、先日犯人が逮捕されました。 人気が少ない堤防沿いだったことから「遠くから運んできたのでは?」と近所に住む誰もが予想してたんじゃないかなと思うんですが、ビンゴ。少し離れた県外に住む被害者の旦那さんが犯人でした。 身元がわからないことから独り身かなと勝手に思ってましたが、旦那さんが届けを出していなかっただけとのこと。 朝刊を見て「犯人逮捕」とだけ情報があったのでその時点ではまだ動機はわからなかったけれど、
毎年夏になると思い出すのは、小学生の時に家の近くに引っ越してきたある男の子のこと。 もう、名前も顔も覚えていない。だけど、夏になるといつも彼のことをふと思い出すんだ。 彼は同い年で、背も高くて、サッカーも出来てスポーツ万能で、クラスで人気者だった。 僕とは正反対の彼は、いつも僕のことを気遣ってくれて。本当に絵に書いたような存在だった。 毎日のように学校から一緒に帰って、毎日のように家に帰ったら彼の家に遊びに行ってた。 本当に下らない話でいつも盛り上がって、変な歌なん
僕はライターの案件を今一週間に一記事のペースでやらせていただいているんですが…、 初めてテストライティングを受けてみた日のことを振り返ると、当時は本当に「オリジナリティ」がなかったなと思います。 オリジナリティと言っても大それたことではないですが、例えば、 「この内容だったら読者は次にこんなことを疑問を持つんじゃないか?」 「こういう風に書けば、よりわかりやすく伝わるのではないか?」 という自分なりの視点や考えを取り入れて書くことで、あちこち出回ってる情報を一つの記事
毎日note更新365日が経ちました! 毎日更新は何度も辞めようって思いましたが、なんだかんだで続けてきてよかったなと思います。もちろん達成感もそうだけど、こんなどうでもいいような記事ばっかりでも毎日「スキ」を押してくれる人たちとさよならしたくなかったからです。 しっかし長かった!あっという間だった気もするけど、普通に長かったわ…!!一年って!!!そしてそのうち2ヶ月ぐらい書いて一度挫折してる。(笑) 何度も「(note毎日書くの)やめたい」って思ったもんなぁ。書くのが
30歳を過ぎると、色んな意味で何もかもがどうでもよくなる。例えば休みの日にわざわざ髪型をセットしたり、オシャレをして出掛けたりしない。スキンケアだって適当だ。 それぐらい20代は周りの目を気にしたり、流行りに敏感になっていたりしてた気がする。 30代になることは一つの節目だ。そしてその節目には何か大きく失墜するものがある。「20代」から「30代」に変わる瞬間は何とも言えない重みがあるのだ。 多分それは、僕が20代だった頃に30代以上の大人たちに散々喧嘩を売るような言葉を
何気なく交わす会話。口調。ほんの些細な部分から人柄が滲み出ていて、気づけばその人のことがどんどん気になる存在になっていた そんな恋のような感情を、メールのやりとりだけをするなかで持ったことはないだろうか。 というのは、実はいわゆる、興味本位で出会い系サイトのようなアプリに登録をしてみたのだ。 僕は恋愛には奥手というか、好きになったら一途でありたい、と、思っている。だから相手もそうであってほしいし、ちゃんと成立した関係でありたい。恋をするならそんな恋愛がしたい。いつもそう
今年の夏は、気付けば音を立てずに始まっていた。冬にしか聞かないウイルスの情報のせいか、ずっと季節は止まったままのように感じていた。 今夜は少し遠くから花火が打ち上がる音が聞こえた。少し遅れた夏の始まりを告げるように。 毎年恒例だった市内の花火大会は予告もなしに今年は開催されなかった。僕は花火大会に毎年行くわけではないけれど、あのドーンと打ち上がる花火の音がいくつもして初めて本格的な夏が始まるような、そんなワクワクがいつもあった。 今年の夏の夜はずっと静かなままで、だから
自分の人生だから好きに「生きる」のではなく、「生きる」とは、人の心に残ることをすることだと思った。ただ頑張るんじゃなくて、誰かを想って心のまま行動する。そうすればおのずと人の心に留まるし、例えこの身が滅ぶようなことがあっても誰かの心に残ったまま死ねるなら生まれてきた意義を持てる。
なで肩で、華奢な体がコンプレックスな僕は、ここ一ヶ月ぐらい時間見つけて、腕立て伏せ、腹筋、スクワットといった筋トレをしています。 筋肉量を増やすために、とにかく白米をしっかり食べるという生活も続けてきました。 ただ食事の面では全然知識がないので、その辺はただ「しっかり食べる」程度にしか頑張っておらず、「何を摂るか」に着目してなかったんですね。 それに仕事から帰宅すれば父がいつもご飯を用意して待ってくれているので、いちいち「こんなメニューでお願い!」なんてことも言えないわ