おうちピクニック
今日はリビングでピクニックをした。
代わり映えのしない退屈な毎日に、ささやかな彩りを加えたくて。お弁当箱を出してきて、ちまちましたおかずを詰め込んで、おにぎりを握って。床にレジャーシートを敷いて。それって、考えただけでワクワクするのだ。
子どもたちは大喜びだった。運動会以来のお弁当箱を懐かしそうに眺めて、お箸セットとおしぼりを自分で用意して、喧嘩にならないように譲り合いながらレジャーシートを広げる。浮き足立っていた。写真まで撮った。
「いただきまーす」の声は普段より張り切っていて、そして息もぴったりだった。見上げた先は天井だけれど、青空を突き抜けるような元気な声だった。やれドレッシングだマヨネーズだと時々キッチンに駆け戻りながら、それでも気分はちゃんとピクニックで、窓から差し込む光がとても暖かだった。
思い出すのは、遠い日の休日だった。もしかしたら、なにかの代休だったのかもしれない。外は雨が降っていたような気もする。
母が「おうちピクニック」だと言って、いつもの食卓ではなくてリビングのテーブルでご飯を食べた。何を食べたかは覚えていないし、一度きりだったと思うけれど、ピクニックをしたという認識だけがやけにはっきりと記憶に刻まれている。そして、それはとても胸がおどるイベントだったのだ。
ご飯を食べるといったら食卓の自分の席に姿勢よく腰掛けて、いつものお箸とお茶碗で、いつもの味を食すことだ。それ自体とてもありがたい環境だったと思うけれど、それがあたりまえだった単調な生活は、ピクニックを特別なものにしてくれる。わざわざ外に出かけて青空の下でおにぎりを食べなくたっていいのだ。食卓からほんの1メートル先の床に座り込んで食べるということが、それだけで世界を面白くしてくれた。
あのときの光景とオーバーラップして、今年はじめての夏日のリビングはなんだか、わたしをとても温かくしてくれた。苦手な野菜もお弁当に入っていたら食べられると嘯いてみせたり、お弁当なのにエンドレスにおかわりを求めたり。はしゃぐ子どもたちが愛しくて、でも後からどっと疲れた。
毎日ピクニックだったらきっとすぐ飽きるけれど、外出自粛下のこんな日々だからこそ、時々こんなふうに浮き足立ってみたくなるのだ。
数年後、アルバムの中に今日の写真を見つけて、ふふっと笑ってくれたらいいな。
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