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同じ形のお皿があったら

昔、自分のアイデンティティが問われるような出来事がありました。それは自分の作ったお皿そっくりのお皿が売られていたのです。

ふとインスタを覗いていると、あれこんな写真postしたっけ?と自分が投稿する写真のようなpostがあったんです。それが実は別素材で作られた写真のスカラッププレートにそっくりなお皿で、別の人が投稿していたものでした。

その製作元は過去にお取引をしていた、知っているお店さんだったのですが、
それ自体は否定することではなく、そういうこともあるよなーと思っていました・・・

で、

何が言いたいのかと言うと。

問われるのは作者としてのアイデンティティ!
そして、
Kotun としてこのスカラッププレートの形状にどんな意味があるのか!と言うストーリーだなと。


Kotunは木のやわらかく優しい音にフォーカスしたブランドなので、まずは木であることに意味があります。
そして、木の音に合うような形や、世界観はどんなものかなーと考えた時、スカラッププレートのシンプルで可愛らしくもあり、ほのぼのと優しい雰囲気に辿りつきました。この形にたどり着いた時は、木の優しい音に合う!と思い、心にたまらないスッキリ感があったものですw


だからこそ、形だけでは成立せず、
『木のお皿である』ということと、
『スカラッププレートの形である』
ということがセットになっていることに意味があると考え作り続けたいですし、そこに共感してもらえる人がいたら嬉しいなーと。


他には、ノミで削って彫り跡を残せば、木のお皿であることの意味もさらに出てくるのでは?と考えたこともありますが、なぜ今それをしないか?という理由も大切なポイントです。
作家としてのお皿に残すノミ跡は、それこそ手作業でしかできない表面の仕上げ方で、唯一無二の表情になります。
だからこそ、大量生産に対しては独自の魅力となり、個人製作にしかできない特別な物になるのでいいことづくめなのですが・・・ 

木のお皿はメンテナンスをする時に削ることも出来るので、ノミ跡があることで、かえってその表面を触りにくくしてしまうことにもなるんです。もちろんノミ跡があることで、打痕や傷が目立ちにくくなったりという効果もあります。また、木の扱いに慣れていないと自分で削ってメンテナンスをするというのは難しいことではあるので、そんな機会とても少なくはあるのですが・・ノミ跡(作家の手わざ)を残すということを選択しませんでした。

木のお皿はメンテナンスしながら長く使うことが一つの醍醐味。だからこそ、シンプルな表面であることにも一つの意味があるかなーと考えた結果、今のお皿の形があります。

とまあ、最初はやはりとても驚いた出来事でしたが、色々と自分のことを見つめる良い機会になった。そんな出来事でした。



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