久石さん的音楽講座-記憶装置としてのメロディ-
ジブリで有名な久石譲さんがNHKアカデミアで音楽の歴史などの話をされていたのがめちゃくちゃ面白かったのです!
内容はネット上で無料公開されているので、見ていただければと思いますが、私としては「メモを取らねば!」ということで、バリバリ簡単なメモですが、まとめたのでせっかくですしnoteに書いておこうと思いました。
簡単にいうと、
音楽の三要素
リズム
ハーモニー
メロディ
についてと、
そこから
ざっくりとした音楽の歴史についてのお話でした。
以下はそのメモです。
あくまでメモなので、とてもラフな文章になっています。
◯音楽の三要素
メロディ
ハーモニー
リズム
これを時空間で考える。
縦軸は空間で、ハーモニー
横軸は時間で、リズム
ハーモニーとリズムが合わさることで
生まれてくる記憶回路がメロディ。
メロディは顔。
メロディはシンプルであれば覚えられる。
記憶に残る。
しかしシンプルであれば良いと思うが、
シンプルであればあるほど似通ってくる。
そんな中でどうやって独特であるか?
ちょっとしたリズムの変化、ハーモニーの変化によって、メロディに“陰影”が生まれる。
つまりメロディというのはメロディだけで成立しているわけではなく、三つが三位一体となって存在しているもの。
音楽の歴史はコミュニケーションの流れである。と考えるのは十分あり得る。
原始的なコミュニケーションの中では宗教の中で、皆の気持ちを一つにするためのものが必要とされてくる。
そして儀礼が生まれ、皆の気持ちを一つにするためのツールとしての音楽というのは考えられる。
始まりはグレゴリオ聖歌。
単音のメロディの流れ。
それに物足りなさを感じてきて合いの手みたいなものが入ってくるけど、そのまま伝承されるだけだった。
そうして15世紀になってくると音符のように視覚化できるようになってきて、音の高さや音の長さなどが明確化してきて共通の言語を手に入れてくる。今の五線譜のようなものが出てくる。
最初は輪唱が生まれ同じものを繰り返すようになってくる。じゃあちょっとその輪唱にアレンジを加えて見ようとなり、作曲家が生まれる。
バロック時代までポリフォニー(複数の独立した旋律が重なる)の時代。
バロック時代にはオペラが生まれ、ストーリーを伝える必要が出てきて、だんだん“和音(二つ以上のおとの重なり)”が生まれ、現代まで和音の時代と言える。一つの音には音の重なり“倍音”の発見もあった。
そうして和音が生まれ、その和音にはシャープやフラットの音が混ざることによって、明るさ暗さがあることを発見した。その差が人の気持ちや感情を表現できるようになってきた。その流れが古典派以降の音楽の流れ。
その後みんな何やっても変わらないなーというやり尽くした感じが生まれ、不協和音への視点が出てくる。しかしその音はお客さんにも馴染まなかったし音楽への興味も失せたしリズムも失った。そんな時ポップスやジャズが世界を席巻した。ミニマルミュージックもそんな時生まれ、繰り返すシンプルな輪唱の世界に戻り、もう一度リズムやメロディを獲得していって、今の時代になってきた。
ということでした。
音楽の歴史を凄く簡単ではあるけれど、音の要素から語るというのがとても新鮮で楽しかったのと、音楽の三要素というとても当たり前のことなんでしょうけど、私にとっては目から鱗の話だったのです。
改めて書くと、
◯リズム
音の繋がり、音の流れ
時間的なもの
◯ハーモニー
音そのもの、音の重なり
空間的なもの
◯メロディ
リズムとハーモニーが重なり生まれるもの
自然発生的なものであり、
“記憶装置”とも考えられる。
(リズムとハーモニーの連続だけでは、人はその“音たち”を“音の塊”としてしか認識できない。だから、伝達し伝え共有し共感するために“曲”として認識するための装置としてメロディが生まれたのでは?と言うこと。それが記憶装置としてのメロディ、と言うこと)
ということですが、記憶装置としてのメロディというのがとても面白かったのです。
最後に少し自分の仕事に引き寄せてみると、
私は木を用いた花を作っています。
チューリップの花であれば、6種類の木を用いていますが、
ハーモニー → 6種類の木・それぞれの形
リズム → 木の組み合わせ・配置
メロディ → チューリップということ
ということになると思います。
・ハーモニーとして
→用いた木の種類やそれをどんな形に成型したかということと捉えてみる。
・リズムとして
→それらの木をどのように組み合わせ、配置するか?というそれぞれの関係性で捉えてみる。
・メロディとして
→それらが組み合わさった時の形がチューリップというメロディになり、“チューリップ”としてその木の組み合わせや形を認識することができるようになる。それがチューリップとしてのメロディにならなければ、単なる6種類の木を用いて集められた木の塊になってしまうので、その集合としての木の塊を“認識し記憶する”ことが出来ない。
チューリップとしての形になることで、人々に認識され、記憶され、そして存在として認めることが出来るようになる。
そんな感じがして、“もの”というものも、素材や形から生み出された、「メロディのような記憶装置なんだなー」としみじみと実感して、なんとも言えないじんわりとした感動があったのです。
というのが今回の久石さんの話から感じたことでした。
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