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外孫と内孫15

書きたいと思っているうちに月日は過ぎ、
私の欲望のままのテーマで書いていたら、最初に書いていた感じとは異なるものができあがってしまった。久々にこのシリーズを書いていく。


祖母が他界して数ヶ月経ったが、私は実感が湧かない。祖母が他界して、やや親戚とこじれたが、それは勝手にあちらが誤解したものなので、なんとかリカバリーすることができた。この絡みで祖母は他界したのだと感じることもあった。でも自然と悲しみはない。だって命を全うしたのだから、悲しいということはない。それは私のいる職業のせいもあるかとは思う。

親戚とのもつれは、他の項目でつらつらと書いたところもあるが、さようならとできない分やや体力を消耗してしまった。当たり屋と言いたい気持ちもある。
この親戚は事あるごとにいい顔をしようとして失敗していると感じる。
関係のない話なのかもしれないが、仕事をクビになったと聞いて、そりゃそうだろうと思った。
利益を産まなければならない会社で感情ばかり出されてもということもあるだろう。真相は知らないが、「ほれみろ」と思った自分は性格が悪いと思った。


祖母のことを良く思ってほしい周りの親戚に反発する私。それならば祖母が他界する前にするべきだと思うからだ。
言い方がキツくなるかもしれないが、死んでしまった人には何もできない。何かしているとしてもそれは生きている人のためなのだと思う。お葬式ひとつとってもそうであると思うのだ。
気持ちというのもあるのかもしれないが、けれどそれは届くのだろうか。


私は最後まで祖母に振り回されたと感じる。
それは仕方のない事なのだけれど、それでも祖母のこととなると、周りが何故だかいつもよりパフォーマンスが悪くなってヘマをしている気がしてならない。


父はすっかり元気がなくなったように感じる。
それは私にはどうしようもできないものである。
父が父の力で頑張るしかないのである。
少し前なら自分の周りのことを言われると自分のことを言われているような気持ちになって傷ついていたが、正直どうでもいいと思ってきている。
私は私で、血が繋がっていようがいまいが、他は全員他人なのである。一括りに見がちだが、そうやって割り切ることが私の精神衛生上必要であると思う。
私はあなたになれないし、あなたは私になれない。

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