第5章 ひと夏の天界通信[冷光23歳 1909年]目次
5-1 雲上の臨時支局を企画
5-2 立山奉幣使に同行取材
5-3 淡白だった剱岳第2登取材
5-4 河東碧梧桐と石崎光瑤
5-5 室堂で演説会・揮毫会・音楽会
5-6 洋画家吉田博と立山3作品
5-7 長次郎とゆく黒部奥山廻りの道
5-8 大日岳・称名滝の探検
5-9 月明かりを頼りに下山強行
【参考】剱岳初登頂記事と〔午山生〕
【参考】明治36年立山奉幣使同行取材記事
【参考】六根清浄(立山登山の栞)
第5章の参考表一覧
大井冷光の天界通信(明治42年、『富山日報』)
明治時代の富山県内における主な山岳関係記事※新聞連載のみ
大井冷光を取り巻く人々(明治42年)
石崎光瑤の登山(初期のみ)
日本山岳会機関誌『山岳』の石崎光瑤作品(初期の主要作品)
立山室堂での音楽会・揮毫会・演説会の参加者(明治42年8月、富山日報社主催)
文展・太平洋画展と吉田博出品作(明治40-43年)
大井冷光「天界通信」に出てくる人名(明治42年)
大井冷光「天界通信」の主な見出し(『富山日報』明治42年)
「大日嶽と稱名瀧」地名の比較