【資料】少年文学研究会「私達の望みを聽いてください」『お伽の森』1912年
巻首に
世の中の多くの文学者や、教育家諸賢は、少年文学に対してどう云ふ考へを有つて居られるであらうか、それを問ふ前に私達は先づ眞面目に此の事に就て研究して見る必要があつた。少年文学が兎も角も世の中に云爲されるやうになつたのは、昨日今日の事ではない。書籍に雑誌に、其他種々なる形式の下に、頗る盛況に、発展しつゝあるのは事実である。併しながら其の盛況に對して、世の識者はどんな態度をもつて、どんな意見をもつて此の少年文学を取扱つて居るか。殊には雨後の筍も啻ならざる勢ひをもつて、世に出される出版物の中には、明らかに弊害があると認め得るものも沢山ある。また必らずしも有害でないとしても、其の態度の不熱心、少くとも少年文学に対して、真率なる考察を欠いて居るものが多いやうに思はれる。私達の云ふ事は必ずしも事業に就てゞはない。方法に於てゞはない。教育に関してゞもない。少年文学そのものゝ根柢に就てゞある。私達の主義は、少年文学の中心点に立脚して、その健全なる発達を企図するにある。私達の主張は、斯道に対して忠実に、新しき時代に築かるべき少年文学をして、更に価値あらしむべき事である。徒らに私達の聲の大なるを嗤つてくださるな、私達は少くとも此の熱心、此の真面目をもつて、世に臨みたいと思ふのである。『お伽の森』の出版は、私達の第一の旗挙げである。此の森の木が、今後どのやうに繁つて行くか。それは云ふ限りでないが、既に一つの会として、新しく世の中に臨むに就ては、その首途に名乗りを挙げるのは当然の事であらう。
大正元年十二月二十五日
少年文学研究会同人
謹識
末筆ながら、私達の挙を賛成してくだすつて、玉稿を賜はつた井田弦聲、諸星絲遊両氏へ、厚く御礼申上げます。
表紙は杉浦非水氏の意匠、口絵と挿画は池田永治氏執筆、何れも我が会の為めに贈られたものであります。感謝の他ありません。
終りに本書の出版に就て御尽力を賜はつた博文館出版部長杉山常次郎氏の御好意に対して、深く謝意を表します。頓首
[目次]
林檎の樹の鬼[蘆谷廬村]
亜細亜十二箇国の寶[松美佐雄]
握手少年[大井冷光]
夜島の灯[小野小峡]
花の藤臺[山内秋生]
祈願の笛[鹿島鳴秋]
もどり袋[藤川淡水]
鬼の首(お伽講話)[井田絃声]
青い鳥(お伽脚本)[諸星糸遊]
タンコブ(お伽小品)[竹貫佳水]
私達は、直接間接に先生のお蔭を蒙つてゐるものばかりです。今度斯ういふ会を起し、其の第一着として斯ういふ作物を出して世に問ふことにしました。何卒先生喜んで下さい。
大正元年の暮
少年文学研究会
同人謹白
巌谷小波先生
[扉]
お伽の森
蘆谷廬村
松美佐雄
大井冷光
小野小峡
山内秋生
鹿島鳴秋
藤川淡水
井田絃声
諸星糸遊
竹貫佳水
合著
(本文略)
私達の望みを聴いてください
少年文学研究会同人
◎お伽噺と玩具 藤川淡水
▲お伽噺の本を子供に買つて遣る親達が少しふえて來たと云ふ事を聞いた。併し僕は子供にお伽噺の本を買つて遣る親達の、まだまだ尠ないことを殘念に思つて居る。
▲子供の読みものとして、お伽噺以外にこれと云ふ適当なものは目下の処何にもない。見るものとしては活動写真なり奇術なり其他種々雑多なものがあるのであるが、讀むものとしては先づお伽噺に限られて居ると云つても可い。
▲然るに東京で一年間にお伽噺の単行本が幾種出版されるかと云ふと、恐らく二十種以上には上つては居まい。一種平均二千部印刷されるとして、二十種では僅に四萬部である。日本全國の子供が、一年間に四萬部のお伽噺しか讀まないとなると、一人一部の割にも密らない。子供にお伽噺か買つて遣る親達の数が尠ないのは之でもつても知れる
▲なぜ日本の親達は子供にお伽噺の本を多く買つて読ませないのか。お伽噺の本は比較的高いからだと云ふ人もあらう。面白いお伽噺の本が出版されないからだと云ふ人もあらう。成程それもある。併し高いと云つても一冊三圓もするお伽噺の本はまだない。多くは五十銭乃至七十銭高くとも一圓五十錢止りである中には五十銭以下で買えるお伽噺の本も尠くない。
▲高いからお伽噺の本を子供に買つて遣らないと云ふ人は、子供に對して餘り不親切ではあるまいか。犬の税金でも一年には二圓何十銭拂はねばならぬ。お伽噺の外には讀むものを持たない子供に向つて、一年僅か一冊の割にも當らないお伽噺の本しか買つて遺らない日本の親達は、頭から子供を馬鹿にして居ると云はれねなるまい。
▲僕は先づ日本の親達に向つてお伽噺を讀んで御覧なさいとお勸めしたい。中には何だ詰らないと、一冊も讀む氣になれない人もあらう。けれどもその讀む氣になれないお伽噺そのものは、卿等の掌中の珠よりも大事な子供の大好物である。詰らないと言つて子供に買つて遣らないのは、妻君の乳を吸つて見て、まづいから子供には呑ませるなと云ふのと同じである。
▲お伽噺の作家は皆な子供の心になつてお伽噺を作つて居る。親達も亦子供の心になつてお伽噺を讀んで貰ひたい。さうしたら成程大いにお伽噺を買つて子供には讀ませるものだと云ふ事が解るだらう。
▲それが解つて來たら、日本のお伽噺は初めて進歩する。可い作家も出來れば可いお伽噺も出來る。
▲或る意味に於てお伽噺は玩具のやうなものである。玩具が段々賣れるやうになつて、可い玩具が段々出來て来た。可い玩具が出來て來て玩具が賣れるやうになつたと思ふのは間違ひである。
◎私はお伽噺に對して斯ういふ意見を持つてゐる 鹿島鳴秋
お伽噺については、世間にさまざまな議論がある。お伽噺は教訓的のものでなければならぬと云ふものもある。道徳の概念を教へるのが、その任務の全部であるやうに心得てゐるものもある。忠義孝行を説き、勘善懲悪を訓へる――それでなければ、お伽噺でないやうに考へてゐる人さへ尠くないのである。
少年少女が、學校で課せらるゝ修身若しくは倫理の學科は、彼等に立派に道徳的観念を與へ、幾多教訓的事實を語つてゐる。精神修養上すでに斯ういふ負擔のある少年少女が、家に於て、少くとも娯楽とか慰藉とかいふものか得ようとして、そのために繙くお伽噺の書が又しても教訓的といふ狭い圏内に限られてゐるものとすれば、彼等の失望はどの位であらう。とは云へ、私は一概に教訓的お伽噺を斥けやうとする無謀な徒ではない。それの存在を寧ろ喜ぶと同時に、清い、豊かな感興を主とした内容のものも、併せて世に勸めたいのである。それとても、子女に悪感化を及ぼさぬことを條件とするのは、固より云ふを俟たない。
彼の修身教科書の教訓的内容を其儘お伽噺にも見出さうとするのは、抑もお伽噺の性質をして、極めて狭義な意味のものとしてしまふ誤謬といわねばならぬ。もともと教育者でない私達の書くお伽噺に對して、さういふ期待を抱かれてゐるものとすれば、私達は甚だ迷惑を感ずるのである。教育は教育、淺學菲才な私達門外漢の、到威容喙を敢てするところでない。下手な説教をして、徒らに物笑ひを招くぐらゐに止まればいゝが、それがため子女教育上、かへつて幾多の弊害を醸さぬとも断言出來ない。私はそれを世の父兄諸君と共に、大いに憂ふるのである。さうして私は、自己が決して教育者でないといふことを、敢て茲に告白しておきたいと思ふ。
私はお伽噺に對して、常にさういふ意見を持つてゐる。またお伽噺をして単に年少子女の讀物にのみ止めず、尚ほ進んで、これを一般家庭の通俗的讀物としたいといふことは、私の年來の抱負であるたゞ返すがえすも遺憾に思ふのは、上述の如き自分の所期、未だよく作物の上に現せない一事である。
◎曙をいろどる畫工 山内秋生
天地の造り主、此の大きな宇宙のあらゆる物を司配する者があるとしたなら、緑の輝く森の色でも心を浮かせる小鳥の唄でも、みんな其の造り主のなす業であらう。さうして其中でも、あの静かに美しく、新らしく染めだされる曙の色をいろどる畫工は、どんなにもの優しいアーテイストであらうか――此の空想が、私の少年文學に関する第一の感懷である。
少年文學が我國に起つてから、經て來た年月は必しも短いものではない。明るい世の中の光を初めて其の碧色の瞳に映した嬰兒が、働き盛りの壮年に達する間には、我が少年文學の萌芽も、相當に其の枝葉を繁らして來て居る、試みに書肆の店頭に立つて見ると、月月に出る少年雑誌は、一寸數へて見ても十幾種の多きに及んでゐて夫々新しい装ひを凝らして、ふつくりした小さな手に繙かれるのを待つて居る。お伽何々と銘打つて、江湖の少年の机上に積まれる書籍の類も、あり餘る程多くなつた、隨つて所謂お伽作家として稚き者の心に其の名をしるす文士も大分輩出して來た。
『とにかく盛大になつた』と或る先輩は云つた。『けれどもそれは形だけの盛大である』と私は云つた。成程前にも擧げた如く、出版物其他に於て、發表の機關は一通り完備して居る。新しい或る演藝場は、其の青い扉を開いて、安息日の一日を満都の子女の歓びの庭たらしめて居る程である。けれども實の所私等は其れ等から何ものを與へて貰つたらう。洵に私等は、綺麗な多くの器の並んで在るのを見たけれども其の中には色の濃い、味の妙な西洋菓子がたまには入つてゐた外に、唯形の變つた黍團子が盛られてあつたのを見るに過ぎなかつた。
お伽噺の創作は、量に於て必しも少なくはない。けれどもそれを分類して見ると、『桃太郎』の冐險的?興味と、『猿蟹合戰』の勧善懲悪と、依然として此の二系統から出て居ない。
『少年の讀物である以上は、面白く書かなければならない。』――或るお伽作家はかう云つた。『心の調はない少年に讀ませるのだから、教育の匂いを脱しては可けない。』――と云ふ言葉も聞いた。興味も教訓も、固より肝要な條件の一つではあらう。けれどもお伽噺は單に興味中心の讀物ではない。教科書の補充ではないのである。お伽噺はもつともつと權威ある、オリチナルの藝術品であらねばならない『ちょつと氣が向きさへすれば、少年物などを書くのはさうむづかしいものぢやないよ。』と或人は言つた。『どうせお伽噺なんか、誰にだつて書けるものだ。』かう云つて居る人もあつた。――果してお伽噺は誰にでも書けるものだらうか創作上の苦心と云ふものは要しないだらうか。――私は初めて解つた。成程今のお伽創作界が、さらに目星いものも見せず、其の内容の貧弱見るに堪えないのは、作家に其の天分と、作為と、努力とが初めから缺けて居たからであつた
話は違ふが、今までの小學教師と云ふ連中が、如何に無能であつたかも私は大きくなり次第に分つて來た。けれども私は生意氣に教育の領分にまで足が踏み入れるものではない。たゞ私は自分の一個の叫びとして、小學校の講堂に懸つて居た掛圖を先生に默つてあけて見たと云ふ事から、一時間の罰を當てられて、教室の隅に立たせられて、楠正成や新田義貞が、まるで神様でもあるかのやうに説く歴史の先生の談を聞きながら、東京から來る新刊雑誌の配達になる日を心の中で數へてみた少年の記憶を、明らさまに告白しておきたい。
ワーズワースの『TO MY SISTER』と云ふ詩の中に、『妹よ、お前の教科書を放り出せ。さうして廣々した野においで。そこには花が笑つて居る、鳥が歌つて居る。』と云ふやうな一句があつた。私は何も自然に向つて眼を開かせる事のみが、少年文學の眞髄だと云ふのではない。花や鳥の名を書いた新式の『いろはかるた』を学校へ持つて行つて、ツヒ修身の時間に懐から取出して見たばかりに、先生に取あげられて、歸る時には返して下さるだらうかと、一日そればかり氣にして居た少年の記憶を重ねて云つておきたい。
私は敢て熱心なる教育者達や、堂々たる先輩の前に立つて、大きな聲で非難し得る者ではないが、少なくとも少年と云ふ者に對してそれ等の人達が如何なる考へを以て、どう取扱つて來たかを疑ふものである。
近頃少女ものなどの中に、所謂情調を主とした作品が見えて來た結構な事だと思ふ。然し單に情調を取扱つたのみで、作全體の生命が活きて働くものではない。子供の國が獨立した王國である如くにお伽噺はもつともつと權威ある藝術品であらればならない筈であるお伽噺ほど象徴と神秘の香り高い藝術が何處にある。私は少年文學位豊かな詩の天分を要するものはあるまいと思ふ。此の詩の花は決して凡俗の手折るの許さない。比較的少年と多く接して居た位の理由を有する小學教師あがりや、筆が立つから位では、少年文學に携はる資格が無いのである。眞個のお伽作家は、最も純なる星の如き柔かき情緒と、太陽の如き明るき氣分に住んで居る詩人であらねばならない。
我國少年文學の建設者であり、今にその重鎮である小波先生は、此の點に於てさすがに一種の豊かなる天才である。其の活動の目覚しいと云ふ事は、必しも敬服の第一義ではないが、その作品の上には到底凡俗の莫倣を容れない或る物がある。『イハヤのオヂサン』と云ふ一語が、少年にとつて一種のインスピレーションである事は、必しも理由がないではないけれども私は、今此處で此の偉大なる建設者に、讃美の花環を贈ろうとするのではなかつた。私は単に我が少年文學の第一期とも云ふべき時代を劃する爲めに、イハヤのオヂサンの名を借りて來ればそれでよかつたのである。
私は次の時代に於て、必しも二世イハヤのオヂサンの出る事を望んでは居ない。もはや人や名に依つて全部を代表さるべき時代に去つたのである。之からば眞に力あり、實ある作品を以て、我が少年文學の中堅としなければならぬ。
私は年端も行かぬ若き文學書生たる身をも省みずに、あまりに不遜な事を言ひ過ぎたかも知れないたゞ私は自分が少年文學に對する考へを、臆面なく披瀝して見たかつたのである。さうして是迄の少年文學に對してあき足らね點を述べたのであるが、さてそんならば私にどれ程の自信があるか? 私は恨然たらざるを得ないのである私に書きかけた原稿紙にインキを流してペンを折つて仕舞ひたく思ふ事さへある。たゞ茲に『天才は努力である』と云ふ古い言葉が、すべての絶望から私を救つてくれる。
近代の科學者は誤つた事を言ふ曰く『人間の血液は赤色である』と。人間の血液は其の年代に依つて變つて行く。燃えるやうな赤い色の血が流れて居るのは、三十歳以下の青少年のみである。三十を越すと紫色に濁つて來る。四十代を越すと褐色に汚れて仕舞ふ。せめては私の身内にその赤い血が流れて居る間。私は少年の王國を去りたくない。
私の頭には、又例の空想が湧き起る。――あの言ひやうもなく落着いた、明るい、美しい曙の色、すべてのものゝ未來を示すかのやうなその色を、濃く淡く染めて居る大宇宙の畫工の姿が――。
◎お伽噺に對する僕の感想 小峡生
『君はどう云ふ考へで、お伽噺を書くか』『子供好きか』などと、時々知つてる人から問はれることがあります。甚だ薄弱だと云はれるか知れませんが、僕はお伽噺を書くに就てどんな考へも持ちません。そんなむづかしい理屈なと考へてゐません。お伽噺は理屈で書くものではないと思つてゐます。また子供は嫌いではないが、もとより大層好きだなどと云はれません。好き嫌いの問題でお伽噺を書いてるのぢやない。これが自分に適してゐると思ふから書くのですそして自分の何處かに子供らしい?イヤ子供時代にあこがれぬくやうな氣分を有してゐます。そして自分は子供時代の空想を顧みてまたなく嬉しいのです。今日の如く生活難とか、實生活とか云ふ實際問題――むづかしい理窟から一寸でも脱れて、子供時代の空想――子供時代の氣分にあこがれるのが、僕は何より嬉しいのです。
僕がお伽噺書かうとするのには、師小波先生の感化が直接間接に與つて力あるでせう。實際今日の處、イヤ過去に於ても、或は未來に於ても先生程のお伽作家はないかも知れませぬ。僕は決して先生の名前や、著述の分量からして、そんなこと云ふのぢゃない。先生程子供の氣分を存してゐる人、――若しこれに語弊があるならば先生ほど子供らしい氣分になり得られる人は、今の著述家には少からうと思います。此の氣分を有する以上、先生は先天的のお伽作家です。僕はかう思つてゐます。
子供はお伽噺作家ではないか、それ自身お伽噺の人です。如何なる子供でも、花を見ては植物學者の説明する以外の花を、月や星を見ては、天文學者の説明する以外の月や星を頭に描くこと思います。子供には理屈はありません。空想の兒です。イヤ空想ではない子供自身の偽らざる感覚と、思ひます。子供は子供の世界に住んでゐます。それを冷い大人の頭から見て、大人の世界から見て、子供を判断するのはいいことではありませぬ。此の點から云つて、子供の氣分になれる人、子供と純化し得る人、子供の世界に住み得る人は、ほんとうのお伽噺の人を云はれます。わが小波先生は、たしかにその人だと信じます。間に合せの子供や、一寸面白いと云つて子供の世界に住む人は、大人が子供にならうと、自らつとめてするので、子供の氣分を有せない。子供の氣分にあり得ない。かう云ふ人はほんとうのお伽噺の人ではない從つてほんとうのお伽作家ではないと思います。
世の中にはお伽噺はわるい、空想はわるいと云ふ人があるが、それは大人の世界に住む人が、早く大人の世界に住め、子供の世界はわるいと云ふのとおなじです。子供は空想に生きてゐます。理智に生きてゐませね。そして空想は子供にとつては贅澤の者でも積らぬものでも、馬鹿氣た者でもなく、實に實に子供の思想の、精神の、いはゞ内容の殆んど全部であります。後は子供の爲めなるべく空想の豊富なのを望みます。子供ながら大人の世界に住むやうな理智の勝つた子供をのぞみません。子供にとつては、此の空想の豊富であると云ふことが、生きた智識であります。つまらね者や贅澤の者ではあませぬ。やがて此の空想が間接に直接に基礎となつて花が挨きます。實が熟ります。
僕は、木へ竹をついだやうなお伽噺を喜びませぬ。いはゞ理智から作り上げた、大人の世界から無理に子供の世界を見たやうな、子供の氣分になり得ぬ人が作つたお伽噺は喜びませぬ。空想は無理に空想して出來るものではない。又大人の空想それ自身が子供の空想ではない。あゝしよう斯うしようとしてつくれるものではない。此の點から云つて、お伽噺は、冷い科学者や、冷い理智を以て判断するを許しませぬ。僕はかう云ふ人からお伽噺の批評を聞かうとは思ひませぬ。
芝居の脚本などに、讀んで面白く感じるのと、實際舞臺に上せて面白いのとある如く、お伽噺にも耳から入つて面白いのと、眼から入つて印象深いのと二通りあると思ひます。これまでの桃太郎、舌切雀など聞いても讀んでも面白い何れにしてても面白いのがあるが、併し僕の考へでは、今後は少くも此の二つの區別が出來るだらうと思ひます。そして僕の如きは恐らく眼から讀ませる方でせう。猶此の外、お伽噺としての文學、青年や若い女子のお伽噺などに就て、感じてゐることがないでもありませんが、それは此の少年少女を相手に申すもおかしいやうですからこれだけにして置きます。最後には僕は花の如き蝶の如き邪氣無き少年時代を回顧して、美はしき空想に満てる世の少年少女諸君に、心から崇敬を拂ふ一人であります。
◎桃太郎の生れぬ場合 冷光生
少年文學に従事する私共の努力は、今日行はれて居る口碑傳説乃至假作談を兒童の爲めに取捨選擇すること及び自ら假作談即ちお伽噺を創作することの一つに置かねばならぬ。
●近年海外から輸入され又在來の口碑傳説から拾ひ上げられたお伽噺は實に夥だしい數であるが、その多くはお伽噺そのものゝ價値を認められては居るものゝ、之を現今の兒童に適はしき讀物にしやうといふ段になると、それは中々至難な業である。
●早い話が兒童は兒童でも現今の兒童と私共の兒童時代とは心の働きや智識の程度に於て大いに異つた點がある、殊に世に汽車や電車の無かつた時代の兒童、生れてから洋服で育つてゐる國の兒童、年中裸ん坊の國の兒童、年中雪の中に生活する國の兒童と、皆夫々智識の程度や心の働きが異つて居るものであれば彼等が興味を有つ處娯楽とする處の相違するのは勿論である。されば彼等の有して居るお伽噺が凡て現今の日本の兒童に面白い筈もなければ、悉く有益であらう筈もない。
●と、同時に今日から見て兒童に有害と認められ、非難すべき點が充分あるといふて居るお伽噺でもその出来た國、傳はつた時代では決して非難もなければ有害でもなく却つて有益で完全なものとされたかも知れぬ。之を手近かな日本の五大噺に就て見てもさうである今日仇討ちが惨酷だの、兒童に聞かせてよくないのと非難の多い、『カチカチ山』。あれだとて燐寸の代りに燧石を用い、ボートの代りに木舟土舟を漕いで遊んだ時代の兒童にはあの様な話が差迄慘酷でもなかつたかも知れぬ、否却つて有用であつたかも知れぬ。
●舌を切つて放した『舌切雀』然り、灰の花咲く『花咲爺』の話又然りで、これらのお伽噺は、皆その出來た時代の児童や氣分と充分合致して居たればこそ斯くも長く廣く行はれて今日迄傳はつたものであらうと思ふ。
●殊に『桃太郎』の如きは大に幸運なお伽噺であらう。彼の征略的な處は出来た當時にはさまで立派なものとも完全なものとも見られなかつたかも知れないが今日迄運よく生き延びたので、偶ま新日本の膨張的國民性に適ふこととなつて非常な尊重を受けるに至つたのである。然しその尊重されるといふ理由も大人から見た歴史的の價値骨董的の値打が大いに加はつてゐるので、若し現今の日本の少年文學から『桃太郎』を取り除けたとしても其損失は兒童直接に何等の影響も來たさないではなからうか。
●斯う考へると所謂在來お伽噺の取捨選択も亦難い哉で、よしこれを教育的の立場から見ないまでも兒童の爲めにすること、殊に現今の兒童の爲めにすることゝなると更に大いに慎重な研究を續けざるを得ないのである。
●其れではお伽噺の創作はどうであらう、これも矢張兒童の爲めのものを作らればならぬか、といふにそれは各人思ひ思ひでどうでもよろしいが、私は差詰創作の用意としては現今の兒童の思想を捉へたい、現今の兒童の氣分を寫したいと努めて居る。同時にそれが今日の創作お伽噺の第一の價値だとも思つて居る。さればその作物は直接現今の兒童に感興を與へる事が出來ない迄も、尠なくとも現今の兒童を知らうと望む人達の讀物ともなつたら結構、世の批評家も又宜しく此の點にお眼を止めて貰いたいと望んで居る。
◎清き泉の底の湧く玉 松美佐雄
ある日私は某教育家に向つて『貴君方が子供の群を見ると必ず頭の中に此場所で此子供等が遊ばせるには何う云ふ風にするのが適當であらうとか問題が起るでせうが、私共が子供の群を見ると適當の遊戯法を考ふる隙さえもなく直ちに子供の群にはいつて遊びます』と云つた事がある。
また實際私は左様云ふ態度を取つて居る。場所と性質とを考へて遊戯法を撰定するのは教育者の立場で、私共お伽作家に直に子供の仲間となつて遊戯間知らず知らずも子供を光りある温かき世界に導かればならぬ。であるからお伽作家は常に子供と隔りの出來るやうな暗い態度を取る事は出來まいと思ふ。即ち温かく透明であると云ふ事がお伽作家の第一條件である。
好い事に教育家に、學校と云ふ時間的仕事場を持つて居る。又或る時は隠れ憩ふるホームもあるが、お伽作家は世界的家庭的である爲め太陽の光りをうけて居る間は隠れ場と云ふ處がない、始終お伽的に働いて居らればならね。――恰もきよらかなる泉の底が日となく夜となく美なる白玉の水を湧立たせる如くに。
私は斯う云ふ考へで少年文學にたづさはつて居る。
夫から私が亞細亞十二箇國の寶を書いたに就いては斯う云ふ理由がある。私は現代の少年に人情も風俗も解らない外國種のお伽物を其儘讀ませると云ふ事に餘り賛成せぬ一人である。全く斯う云ふ仕事は興味を中心にするより外子供には何物をも感受させる事が出來まいと思ふ。従つてお伽的感化と云ふ事がよくないと思ふ。勿論此事に就いては他日論ずる時期が來るだらうと思つて居る。
私はお伽的感化が人生にとつて貴重なるものと固く信ずる一人である。子供に純興味的にお伽噺を讀ませるか、又は國民的思想の根柢を壌ふるためお伽噺を讀ませるかと云ふと、私にお伽作家として後者とるに躊躇せぬ。
と云ふ譯から私は日本的お伽思想の輪郭を世界的に擴張させて、其中へ欧米的お伽思想を純化させたいと思ふのだ。と云つてもモウ遲い仕事であらう。然しながら私は純日本のお伽思想を亞細亞にもとめ西比利亜にもとめ、夫から歐米のお伽思想と合致させたいと思ふて居る。其第一歩が十二箇國の寶である。
◎手前味噌の一條 蘆谷蘆村
藝術か人生のシンボルであり、リプレゼンテェションであることは、如何なる見方に於ても否定することは出來ぬ。而してお伽噺なるものも、一個の藝術品である以上、此の範囲から脱することは出來まい。(お伽噺が藝術品たるべきか否かといふ様なことは、今日に在ては最早論ずる程の問題ではない。)作家が意識するとせざるとに拘はらず、お伽噺は或る形に於ての、人生のシムボライゼエションであり、リプレゼンティションである。而してあらゆる藝術か、それぞれ特殊なる藝術的要素、特殊なる色彩、光、音律等に依つて現はさるゝ情緒、氣分其他を備えて居るが如くに、お伽噺にも亦特殊なる藝術的要素がある。その特殊なる藝術的要素とは奔放自在なる空想や、自然の法則を超越した出来事等のものではなくして、それらにて現はさるゝ際立た空想的な氣分、換言すればお伽的氣分とでもいふべきものである。
これは廣く凡てのお伽噺を通じて用いらるゝ定義であるが、余の本書に於ける試作は斯ういふ廣き意義に於ての外、更に狭い、更に特殊な一個の人生を取扱て、これを濃厚なお伽的氣分の中に表現せんと努めたものである。その中には運命そのものも象徴されて居り、それに對する人間の戰ひも現われてゐると思つてゐる。また其中には強き意志の勝利をいふやうなもの、また一種舊型な宗毅的人生觀といふやうなものも現れて居ると思つてゐる。自分ながら拙作であると思ふが。先づ大體この様な考を以て此試作に従事したのであつた。つまり此拙作は、單に廣き意味に於ける人生のシムボルであり、リプンゼンテエションであるに止まらず、更に特殊なる一個の人生の模型なのだ。
併しながら作者は、此試作を以て能事終れりとするものではない。お伽噺の森林には、更に開拓すべき幾多の領分がある。それには更に第二、第三、第四の試作に於て現はれて來ることゝ思ふ。大なる哉作者の抱負。などゝ手前味噌の一條、依面如件。
私達の望みを聽いてください 終
少年讀み物の批評が眞面目に行はれるやうにしたい其の第一着手として本書の遠慮なき御批評を汎ねく江湖の諸君より給はらんことを希望します。
[了]
(2020-05-06 21:55:23)