【資料】新派俳句結社「墨汁吟社」の歩み

新派俳句結社「墨汁吟社」の歩み(明治38年~明治43年)

明治38年3月 富山市で新派俳句の俳人が集まり、墨汁吟社を結成。舟木香洲・高木卯月・気賀蘇水・吉崎空水・五艘霞翠・亀坂占雷・笹川雷女・折橋霜葉など。会名は正岡子規『墨汁一滴』にちなむ。毎月1・3土曜の例会開催を決定。
明治39年1月21日 二番町の旧石川屋支店楼上で例会。兼題は「梅五句」。雑誌『墨汁』2巻1号を一両日中に発行。
明治39年7月29日 神江千歳舘で例会。兼題「夏休み」10句。
明治39年8月25日 南田町の舟木香洲宅で例会。
明治39年11月10日 ※富山市総曲輪泉青葉洞で新派俳句の句会。舟木・五艘、其の他の諸氏集まる。高田浩雲も参加。
明治39年11月17日 総曲輪の青山写真館で例会。兼題は「山眠る」五句。
明治40年1月5日 『北陸政論』1月5日に名簿広告13人。泉青葉洞・蜷川酔眼光・亀坂立渓・金山孤月・高田稲光・瀧口甲児・武田一可・魚住渓花・舟木香洲・藤波自景・福井白井柿・五艘霞翠・廣島花渓楼。
明治40年3月29日 総曲輪神田横町の青山写真館楼上で例会。兼題は「畑打」五句。
明治40年4月26日 総曲輪神田横町の青山写真館楼上で例会。兼題は「木蓮」五句。
明治40年5月30日 総曲輪神田横町の青山写真館楼上で例会。兼題は「木蓮」五句。
明治40年6月15日 総曲輪神田横町の青山写真館楼上で例会。兼題は「蝙蝠(蚊喰鳥)」五句。
明治40年6月17日 ※富山市諏訪川原の五艘霞翠方で俳句会。幹事は五艘。
明治40年7月16日 総曲輪の青山写真館で例会。
明治40年8月3日 総曲輪の恵比壽庵で臨時例会。廣島花渓の送別句会。
明治40年10月23日 ※高田浩雲・舟木香洲・赤井蓼花氏が発起人となり、文芸同好会を結成。総曲輪の越川楼にて発会式。隔月1回開催へ。
明治40年11月18日 青山写真館で例会。題は「紅葉」。
明治40年12月14日 総曲輪の舟山旅館で五艘霞翠の送別会。
明治41年2月5日 雑誌『墨汁』を再興することになり、15日までに舟木香洲へ原稿提出。
明治41年2月9日 西四十物町の聞成寺で、故泉富喜氏の追悼俳句会。会員の以外に、井上江花・大井冷光・五艘三郎・高田浩雲が出席。
明治41年2月29日 ※総曲輪の高田範國方で稲光庵小集会。墨汁吟社同人が参加。
明治41年3月21日 駅前の桜陽館で例会。
明治41年3月28日 『墨汁』第1号発刊(西三番町墨汁発行所、8銭)。高田稲光「往診」、武田一可「耳の五分間」。野村嘉六、河北一郎。
明治41年4月19日 呉羽山で観桜会・句会。武田巌作の送別会。
明治41年7月16日 総曲輪の本多自転車店楼上に倶楽部。
明治41年11月3日 八人町舟木香洲方で例会。
明治41年11月15日 『北陸タイムス』に広告『香洲案 実用俳句手帳』(発行所・富山市八人町29墨汁吟社、15銭)
明治42年1月1日 『北陸タイムス』新年の名簿広告に47人。久世柴の戸(秀治)、藍原疑汀(義定)、魚住渓花(渓花)、福井白柿(清三郎)、鶴見越山(立吉)、武田一可(巌作)、藤波自景(賢良)、舟木香洲(廣義)、内山緑雪(敬二)、瀧口甲兒(勝正)、高橋香寸樹(甲子郎)、牧野枕雪(巡幸)、大井冷光(信勝)、吉崎空水(淳成)、富川亀汀(芳太郎)、久世暁峰(新兵衛)、武内楓汀(晴一)、中田錦紗(為太郎)、赤井蓼花(時二)、井上江花(忠雄)、長澤潮庵(安太郎)、竹内水彩(正輔)、高田稲光(範國)、金山弧月(元之)、日俣愛松(八郎平)、河北一郎、吉武静夫、永守安太郎、白石桜魚(喜七)、深川兵之助、舟山滋二、田知本大夢(松次郎)、土生玄三、野村嘉六、重松嘉三郎、岩田荻浦(良太郎)、蜷川酔眼光(義正)、萩原椿川(椿川)、永井平助、田村無盡(武三)、横山秋鴻(四郎右衛門)、杉林豊次郎、利波文次郎、池内夜羽根(勝里)、旅家濤花(太四郎)、藤岡寒竹(繁雄)、若杉旅洲(亮吉)。
明治42年2月25日 ※富山文芸会が講話会。講話は文学上より川合牧師「ヨブ記」、吉武弁護士「日本文章論」、野村弁護士「文学と法律」、高田範國「改訂と文芸」。委員は野村・近藤・黒田・高田・竹内の5氏。
明治42年3月28日 ※富山ホテルで新聞雑誌記者懇談会。17人参加、慈善興行の文士劇計画を協議。
明治42年4月11日 ※富山市公会堂で富山文芸会発会式。
明治42年5月23日 ※富山市公会堂で富山文芸会講演会。博文館の巌谷小波と久留島武彦が講演。
明治42年7月16日 楼街軟酔閣で例会。
明治42年7月17日 桜木町1丁目の卜部南水方で例会。組織改編。会員16人。田村無尽・大井冷光・日比野正之・卜部南水・日俣愛松・萩原椿川・富川亀汀・高田稲光・福井白柿・蜷川酔眼光・水上不流・舟木香洲・竹内水彩・中田錦紗・赤江蓼花・黒田兎毛。「庵主よりそば、ビールの饗あり毛虫、夏?の二題を苦吟し蚊に攻められながら気焔を吐く更けて一時漸く散会」
明治42年8月2日 河東碧梧桐の歓迎会。墨汁吟社発起。午後4時から島倉鉱泉で句会、舟木香洲、高田稲光、大内白月、中田錦沙、卜部南水、黒田兎毛、田村無盡、赤江読天、吉崎空水、蜷川酔眼光、久世柴の戸、萩原椿川。午後8時から花見橋畔八清楼で中村杉樹、竹内水彩、若杉旅洲、亀谷清輔らが加わった。11時過ぎまで。
明治42年8月14日 県庁裏の越川楼で8月例会。題は「蜩」「花火」。出席は11人。高田寒水・高田稲光、月仙、蜷川酔眼光、暁峰・柴の戸・中田錦紗・空水・竹内水彩・舟木香洲・萩原椿川。高田寒水は帰省。志田素琴も出席予定だったが欠席。
明治42年11月12日 大井冷光方で11月例会。題は「水鳥」「霜」。錦紗・冷光・柴の戸・香洲・稲光・蓼花・椿川・酔眼光・白柿・愛松・不流の11人参加。1時散会。
明治42年12月20日 青山写真館で蕪村忌と忘年会。題は「蕪村忌」「年忘れ」。
明治43年1月9日 秋山亭で新年句会。
明治43年2月19日 西町の久世暁峯方で例会。題は「春の雪」。
明治43年3月30日 総曲輪の高田範國方で初めての俳句研究会。
明治43年5月13日 『舟木香洲句集』を刊行。
明治43年5月21日 午後7時より富山市公会堂で富山文芸会講演会。野村嘉六が開会の辞、講演は黒田等「笑いの話」、高田庸将「色の話」。
明治43年6月20日 長念寺で句会「梅雨」。
明治43年7月12日 長念寺で句会。13人出席。可人、貧水、沖月邸、香芝楼など新顔。
明治43年8月13日 総曲輪栂木下畏念で句会。題は「心太」。
明治43年12月18日 富山公会堂で大井冷光送別会。富農倶楽部・富山お伽倶楽部の合同開催。弁護士、医師、新聞記者、軍人、農事家、実業家、俳人、画家など40人参加。

『富山日報』『北陸政報』『北陸タイムス』、スバル文化会編「富山芸術文化史」『スバル』(1939-1941年)による。※は関連事項。墨汁吟社の「吟」は正確には口ヘンに金が正しい。

(2013-05-07 22:14:48)

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