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10. 太湖石のスノーブリッジ

間名古谷の右岸に入り徐々に標高を上げる。大白川から少し離れて樹林帯を進む。

昔は勘助平(標高約1050m)からワリ谷を渡り八石平(標高1050m~1250m)へと原生林を縫うように登山道があったというが、車道を走るとそれは分からない。

明治43年の光瑤は、箱抜桟道を下りて大白川沿いに遡行し、ワリ谷から八石平に登った。その時の描写もまた面白い。

棧橋を下りて、ワリ谷へ来ると、恐ろしく獰猛極まった雪崩が全流を覆う屋根をつくって、それに急湍奔迸の余勢が浸食して、一面に太湖石のような奇観を呈しているので、犬が軽捷に渡りゆくほかは皆下流の急瀨を徒渉した。越し方を見返りつつ電光形に坂路を登ると八石平の森林となる。熊笹も何もすべて雪に封じられて、ことさらに目に立ったのは巨大なトチの木。多くは自無に空洞が出来て、中には優に一行を入るるに足るくらいのものもあった。今夜この洞穴に仮寝したなら、丑三つ頃に異形な怪物が、囲繞して怪しきダンスでも始めるにちがいない。

『山岳』第6年第1号(明治44年5月)

大白川を覆うようなスノーブリッジにいくつも穴が開き、いつ崩れるか分からない状況だったのだろう。

太湖石たいこせきのような奇観」と言われてもピンとこないが、インターネットで検索するとなるほどと納得する。光瑤の家の庭にでもあったのだろうか。光瑤の鑑賞眼の証左だ。

スノーブリッジを犬だけが軽々と渡っていく。光瑤の旅は犬がキーになっている。

明治43年5月13日の八石平は残雪に覆われていたようだ。「自無」の意味がわかりにくいが、トチの巨木に人が入れるような空洞ができていたのであろう。

怪物のダンスか。しばしば空想に浸る光瑤の姿が目に浮かぶようだ。

それに対して、現代のドライブのなんたる味気なさ、空疎なことよ。

(つづく)

表紙写真は八石平の巨木

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