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光瑤、覚醒す ― 飛騨・大白川渓谷 くるま旅

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日本画家の石崎光瑤が1907年から1910年にかけて三たび訪れた大白川渓谷を114年後にドライブ。光瑤の紀行文と写真・絵を読み解きながら、時空を超えて光瑤の魂を感じる旅です。
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#大白川渓谷

14. 一陣の風 湯舟と老樹幻影

明治43年5月14日、土曜日。いよいよ石崎光瑤の「覚醒の一日」がやってきた。[1] 夜が明ける…

kotoyo_sakiyama
4か月前
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13. 夏秋春の白水滝を総括

原生林のこんもりした稜線の向こうに残雪の峰々。あとで地図を見たら、白山の南に連なる別山(…

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4か月前
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12. 無我の境地で細密スケッチ

白水滝の周りは柱状節理の岩壁だ。[1]さらにその周りを微妙な色違いの緑が取り囲むようで美…

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4か月前

7. これが箱抜の核心だ

アワラ谷林道との分岐点からしばらく進むと、再びトンネルだ。約120m、今度は短い。 これを抜…

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4か月前

8. 犬をお伴にシナクラ桟道

「この桟橋、すばらしいねぇ。描くんならやっぱり対岸から見ないとなあ。対岸に渡れますか」 …

kotoyo_sakiyama
4か月前

6. セキレイの巣と母鳥

1年半後の3回目のベンツル通過の際には、阿修羅とは真逆のイメージの逸話が記されている。 な…

kotoyo_sakiyama
4か月前
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5. 岩壁に阿修羅の鮮血?

岩屋ヶ谷を過ぎ、道は二俣に分かれる。下へ降りると本谷を渡ってアワラ谷に通じる林道である。この分岐点で、右手のやや広い舗装路を選んで進む。 このあたりで対岸に見える岩壁が「ベンツル」の絶壁なのだろうか。車道の限られた視界にはその全貌が入ってこない。 昔の絵葉書が頼りにはなるが、やはり特定できない。 光瑤はこう記している。 どこから「怒れる阿修羅」の鮮血という発想が出てくるのか。それらしい岩壁を見ても、凡人には「阿修羅の鮮血」を見つけることができない。 紅葉が盛りのとき

3. 巨人の一枚壁、乳首は濡れた!?

国道156号線から右に曲がって大白川渓谷に入る。世界遺産白川郷の入り口であれだけ車が数珠つ…

kotoyo_sakiyama
5か月前

2. 失われた地名に歴史ロマン

覚醒とは大げさな、という人もいるだろう。 福光から大白川渓谷の入り口まで現代では車で1時…

kotoyo_sakiyama
5か月前
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1. 幽遠の景を訪ねて隔世ドライブ

日本画家、石崎光瑤が20代に三たび訪れた「白水滝」をどうしても見たくなった。 この滝を含む…

kotoyo_sakiyama
5か月前
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