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#トヤマビト。Vol.16
富山には、自分らしくいきいきと活動する魅力あふれる人たちがたくさんいます。
知れば知るほど好きになる。
そんなトヤマビトたちとの出会いと発見を、みなさんと分かち合いたい。
第16回目 タレ目が相手との距離をグッと縮めるチャームポイント!
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■椎名 伸志(しいな のぶゆき)氏
北海道出身。1991年生まれ。
名門 青森山田高校のサッカー部でキャプテンを務め、全国大会準優勝。
2014年に松本山雅FC入団を経て2015年7月カターレ富山に移籍。ポジションはMF。
富山県内の不登校児支援など、自ら団体を立ち上げ 子どもたちに向けた活動を行っている。
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▶ 高みを志して。
小学生の頃からサッカーのクラブチームに所属していた椎名さん。
プロサッカー選手を志したのは中学生の頃でした。
世代別日本代表選手に選ばれている先輩の背中に憧れを抱いていました。
僕も高校進学のときは親元を離れて、本州のレベルの高い環境でサッカーがしたいと思っていました。
中学を卒業後、高校サッカー全国大会の常連校へ進学を希望し、北海道を出て名門校 青森山田高校に入学。
青森山田高校の授業は、毎日4時間目で終わるんですよ。
当時はこの学校生活が“普通”だと思っていましたが、卒業していろんな人の話を聞くと、ちょっと変わった学校だったんだ!と気づきましたね!
その分、サッカーに専念できる環境がとても充実していました。
と笑顔で高校生活を振り返る椎名さんは、高校3年生の時に壮絶な戦いを乗り越えていたのでした。
高校生活最後の全国大会の4か月前に、左膝前十字靭帯断裂。
椎名さんは大会への出場が難しいと言われていました。
しかし、迎えた第88回全国高等学校サッカー選手権大会のピッチには椎名さんの姿が。
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柴崎岳選手(現 CDレガネス)とボランチコンビを組んでいた。
準決勝戦では、チームを決勝戦へ導くゴールを自らの足で決めるなど激闘を重ね、青森山田高校は準優勝の成績を収めました。
その後、流通経済大学へ進学。卒業後は松本山雅FCへ入団し、プロサッカー選手として歩み始めました。
▶ サッカー選手として、何度も立ち上がる。
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2015年7月にカターレ富山へ移籍し、富山での生活を始めた椎名さん。
松本山雅FCがJ1に昇格することになり、僕の試合への出場機会が少なくなっていた中で、カターレ富山から声をかけてもらいました。
悩むこともありましたが、僕はサッカー選手としてとにかく試合に出たかった。
カターレ富山が僕を必要としてくれていたことが嬉しかったですし、期待に応えたいと思いました。
当時、カターレがJ3に降格した初年度だったのですが、富山でやってやるぞ!という意気込みで移籍の決断をしました。
現在、カターレ富山の中では在籍年数が一番長いという椎名さん。
チーム内で『不屈のシンボル』とキャッチフレーズがあるように、実は富山に移籍後も2度の大怪我を乗り越えているのです。
この怪我は椎名さんにとって富山での大きな転機となりました。
▶ 富山での出会いが大きな一歩に。
2018年11月、右膝前十字靭帯断裂。
4度目の大怪我に、サッカー人生の幕引きも考えたのだとか。
さすがに、セカンドキャリアを考えました。
サッカー以外の事でも、自分で何かアクションを起こさないと!と思っていましたね。
そこで、母校 青森山田高校の体操の先生に相談を持ち掛けたところ、ある青年を紹介されました。
「富山にお前と同級生の、青森山田高校出身の面白い奴がいるぞ!」と言われて紹介されたのは、福原 渉太(ふくはら しょうた)くんでした。
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筆者も驚いたのですが、以前のトヤマビトで綴った福原さんが富山のキーパーソンだったようです。
福原さんに連れられて参加した異業種交流会で、同世代のさまざまな職種や考えをもつ人たちと出会った椎名さん。
正直、富山に来た当初は人が冷たい印象を受けていました。
でも、この出会いはそんな富山の印象が大きく変わるきっかけにもなりました。
それぞれにアクションを起こしている同世代との出会いが新鮮で、学びのある交流が嬉しかったですね!
サッカー選手としてだけじゃなく、クラブや富山に何か恩返しができないかなって考えていた僕を、いろんな人がご縁を繋いでくれて。
いろんな場所でトークイベントや講演会という形でお話をする機会をいただくようになりました。
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また、現在 不登校児支援など子どもたちに向けた活動を行う椎名さん。
団体が起ちあがったタイミングでご縁を繋いでもらいました。
子どもたちの運動不足が問題視されていると聞いて、僕に何かできることがあればいいなって。実はこれも福原くんからのご縁です!
僕は教えることはできないけれど、子どもたちと一緒に身体を使って遊ぶことはできる。
身近なお兄ちゃんのような距離感で、子どもたちと楽しく交流を続けています。
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僕は、人が求める数だけ価値があると思っています。
怪我をして試合に出られないサッカー選手の僕も、この活動を通して子どもたちの笑顔を生むことができている。
自分自身に価値を見出せたことも嬉しかったです。
▶ 次は僕が、光になりたい。
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サッカー選手としても、個人としても活動を展開していく椎名さん。
両立が大変なのではないかと伺うと、そうは思わないとのこと。
個人の活動は、みんながリフレッシュでカフェに行く感覚と同じですかね。
サッカーから少し離れて、いろんな人とお話しをするのは気分転換にもなります。
アドバイスをくれる人や背中を押してくれる仲間が増えてきました。
富山にもいろんな業界があって、いろんな人がいる。
その垣根を越えて混ざり合っていく機会が増えれば、おもしろいものが生まれると思っています。
スポーツ選手の個人での活動が、今後広がっていけば嬉しいですね。
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もちろん、僕にとっては何があってもサッカー選手であることは揺るぎない軸です。
ここに支障をきたすようなことは、絶対にしたくないですね。
プロとして、ピッチで結果を出す。これは外さない。
僕が怪我をしたとき、本当にたくさんの人に支えてもらいました。
次は僕が、みんなの光になりたい。
サッカー選手としても、個人としても、クラブや富山に恩返しを続けていきます。
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「口下手なんです」と はにかみながら、ゆっくりと言葉を紡いでくれた椎名さん。
ピッチでの姿とはまた違った魅力を見せてくださいました。
カターレ富山は今、J2復帰に向けて大きくアクションを起こしています。
富山のスポーツ界、一緒に盛り上げていきたいですね!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
バックナンバーもぜひご覧ください。