#トヤマビト。Vol.19
富山には、自分らしくいきいきと活動する魅力あふれる人たちがたくさんいます。
知れば知るほど好きになる。
そんなトヤマビトたちとの出会いと発見を、みなさんと分かち合いたい。
第19回目 編集者・社会福祉士・地方議員の3足のわらじで活動しているこのお方。
藤井:僕がリクルートに入社したきっかけは、ご縁でした。
大学の先輩から紹介され、リクルートの人事の方と面接する機会を設けてもらったことがありました。
その人事担当の方は、僕との会話の中で一切リクルートの説明をしなかったんですよ。
ひたすら僕の話を聞いてくれて、気が付いたら僕が誰にも話したことのない「パンクロックと資本主義」みたいな話で盛り上がっていました。
藤井:振り返れば、それが彼のテクニックだったのだと思います。僕はすっかり自己開示をしていました。本音を3時間も話していたのです。
僕が高校生の頃に富山で感じていた、本音を言いにくい雰囲気とは全く違った面接に心を動かされて「リクルートってどんな会社なんだろう?」と惹かれました。
リクルートなら、「本音で勝負ができるかもしれない」と思って入社しました。
藤井:はい、なぜかスルーでした。笑
入社後は営業ではなく編集部に配属になりました。
当時起ちあがって2年程だった結婚情報誌『ゼクシィ』の担当をしていました。
編集のお仕事は自分でゼロから企画して作っていくのですが、これがとても楽しくて。技術を身につけていくことで、企画もたくさん提案できるようになっていく毎日が面白かったです。
そして2004年、31歳の時にフリーマガジン『R25』をメンバーと創刊し、編集長を務めていました。
読者の潜在的なニーズを突き止めて、その中に自分が面白いなと思うものを組み込んでいく。
リクルートは、指示を待つのではなくて自分からどんどん提案していく文化なので、僕に向いていたのだと思います。
藤井:3つの限界が見えたからですね。
R25は創刊から3年で急成長し時代の寵児のように扱われましたが、2008年のリーマンショックを機に広告収入が激減し一気に赤字事業へと成り代わりました。まさに天と地です。
そしてインターネットが普及し始め、デジタル化が加速していきました。2007年のiPhoneの登場とともに、ニーズの定義がアナログ時代とは全く変わっていってしまい、僕が今まで培ってきた編集技術に限界を感じたのです。
追い込まれた仕事環境の中で、家庭でも大切な息子に知らぬ間に世の中の偏差値という価値基準を押し付けてしまっていました。
僕が若い時に体験した、世の中の抑圧的な環境から解放されたことと、真逆の方向に息子を導いてしまっていることに気が付いたのです。
そして40歳を機にリクルートを退社しました。
もう一度しっかりと自分を取り戻したい。
せっかくなら地元富山で役に立ちたいと考え、富山に戻ると決めました。
藤井:富山に戻ってから、母親が経営する高齢者介護施設に入社し、社会福祉士の資格を勉強し始めました。
社会福祉士の勉強をしている中で、“相手の自発的行動を促す”という技術があることを学びました。
例えばゴミ屋敷があるとしたら、僕たちがゴミを片付けては何の解決にもならなくて。本人がその環境をどう感じているのかを尊重し、自発的に行動を促していくように僕たちは動かなくてはいけないんですよね。
そのためには相手に自己開示をしてもらった上で、信頼を得ることが大切になる。これはまさに、僕がリクルート採用時にしてもらったことと繋がるんですよ。
“人に寄り添う”って感情的なイメージがあるのですが、実は技術のひとつだったということがわかりました。面白いですよね。
藤井:富山で働き始めて、今まで見えてこなかった世の中の側面が見えました。
例えるなら、月。月の裏側は地球からは見えない。同じように見えていない側面が世の中にはある。でも、すべてが円で繋がっているんですよね。
ビジネスの世界は、共通のルールの中で利益を出し、競い合う世界。僕は資本主義のおかげで人類は豊かになったと思いますが、そのルールでは救われない人も存在します。
その人たちも大事な社会構成のひとつなのです。
どんな人にもチャレンジできる機会が平等にあったら良いですよね。そのためには公共に訴えかけることが出来る、政治の力が必要なのかなと思いました。
藤井:経営者向けのフリーマガジン『BizHintマガジン』やウェブメディア、自分自身の県政通信などを手掛けています。
どのメディアも、あくまでカスタマーファースト。読者目線でわかりやすく伝えるように努力しています。
一度は編集の仕事を辞めようと思っていましたが、僕の軸はやはり“編集”にあると思います。
編集は、雑誌などの目に見える形に集約することはもちろん、議事録にまとめたり、人の意見を集約したり、インタビューを通して相手の良さを引き出すことが編集という広義の技術です。
その技術が社会福祉士や政治家としての活動にも生かされている。
いろんな形でアウトプットができることがわかったので、これからも編集の技術は磨いていきたいですね。
藤井:富山に戻ってきたおかげで、自分がもともと持っている課題感に気づかせてもらいました。
僕はずっと『寄り添う』ことを考えながら試行錯誤をしていたのだと。
地方は都会よりも遅れているから、都会で成功したビジネスノウハウをただ地方に持ってこれば成功できる!というわけではありません。
土地それぞれに馴染むための風土やルールがある。信頼を得て、寄り添っていくことが大切だということを、富山に戻ってきて学びました。
富山のいろんな人たちに最大限の自分の価値を通して、いろんな場面でお役に立ちたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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