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ベルリンの思い出――香山哲『ベルリンうわの空』を読んで

 最近、香山哲さんというグラフィックデザイナーが書いた『ベルリンうわの空』という漫画を読みました。この作品は、ベルリン在住の香山さんの何気ない日常を描いたエッセイ風の漫画です。5年前にはじめてベルリンにやってきた時に「ここ…もしかしたら最高の街なんじゃない?」と思った香山さんは、同地での日々を描き留めながらベルリンという街を吟味していきます。扱われる話題は、スーパーで売られている食べ物やカフェの雰囲気に関するものから、ホームレスや物乞い、移民の存在に関するものまで様々です。どの話題も、一生活者としての視点から飾り気なく率直に描かれていて、押しつけがましい主張が展開されるわけでも、明確な解決策が提示されるわけでもありません。ですから読み手は、かしこまることなく、素直な気持ちで、作中で提起されている問題について考えを巡らしたり、自分たちの生活を取り巻く環境について考え直すことができます。
 この漫画に登場するキャラクターは、どれも動物や植物をもじったモンスターのようないでたちをしています。それにもかかわらずこの作品に描かれるベルリンの雰囲気は生々しいくらいにリアルです。『ベルリンうわの空』を読んでいると、数年前に自分がベルリンに滞在した時のことがまざまざとよみがえってきました。今日は、そんなわたしのベルリン滞在時の思い出を書きたいと思います。

 ベルリン滞在について書くという前書きをしておいてなんなのですが、大学院生時代にわたしが留学先として選んだのは、ドイツの隣国であるチェコ共和国の首都プラハでした。千塔の街ともいわれるプラハの街並み、すり減った石畳の歩道(石畳はチェコ語で猫の頭 [kočičí hlavy] と呼ばれます。なんてクレイジーな発想!)、そして、ドイツ語よりも幾分複雑で、しかし愛らしいチェコ語の響き。プラハはわたしにとって第二の故郷です。
 けれども、プラハでは息が詰まるような気持ちになることも少なくありませんでした。2015年に欧州で難民危機が起こってからは特にです。冷戦体制崩壊から30年近くの時が経って、プラハも国際化が進んでいましたが、それでもアジア人や黒人はまだまだ「よそ者」扱いを受けることが多かったように思います。アフリカ出身のわたしの友人は、よく口にしていたものです。

ベルリンでは深呼吸ができる。あの町はカラフルだから。プラハでは一歩外を出た瞬間に、自分が外国人であることを意識させられるけど、ベルリンでは色んな肌の人がいるのが普通だからね。

 わたしも留学期間中は、深呼吸をするために、しばしばベルリンに赴いたものでした。

 留学期間の終了も間近に近づいた2018年の2月、わたしはベルリンに1週間ほど滞在していました。その時の日記には次のように綴られています。

 文献探しのためにベルリンに数日滞在している。ベルリンは欧州で一番好きな都市だ。いつだったかわたしの指導教官は、ベルリンを「風通しが良い街」、「ドイツ語を話す国際都市」と形容したが、まさにその通りだと思う。ただしここ数年の間に、英語を耳にする機会が多くなった。特にクロイツベルク周辺のカフェやユースホステルでは、英語が従業員たちの共通語になっていることも少なくない。様々な背景を持つ人たちを当然のように受け止める器の大きさ。外国語コンプレックスでがんじがらめになったわたしの心も、自然と解放されてゆく。
 仮にベルリンらしさなどというものがあるとしたら、それは、ブランデンブルク門にでも、ポツダム広場周辺のビル群にでも、博物館島にでもなく、道行く人々のコミュニケーションの細部に宿っていると思う。
 例えばこんなシチュエーションが「典型的」だ。
 込み合う地下鉄の車両に、片足を引きずったおじさんが現れた。ボックス席に座っていた男性が、おじさんが座りやすいようさりげなく席を移動する。おじさんはよろよろと空席に近付きながら、大きく開けた自分の口を指さし、何やらもごもごとかすれ声をだす。
――わしなぁ、喋れまへんねん。
相手の男性は頷く。おじさんは男性が空けた席にドスンと腰を掛けると、彼の腕をポンポンと叩いて、親指を立てる。
――おおきに!
 あらゆる人の存在が理由なく認められ、歪曲させられたり矯正されたりすることなく、すくすくと伸びてゆく。そういった空気がベルリンには確かにあると思う。地下鉄を下りて、氷点下の空気を胸いっぱいに吸い込む。

 お世辞にもきれいとはいえない地下鉄の車両で生き生きと交わされた、この言葉を介さないコミュニケーションを眺めていると、なぜか見ているわたしの方も、「自分もここにいてもいいんだ」という気持ちになったことを覚えています。

 プラハにいるとき、わたしは常に、「どうしてプラハに住んでいるの?」、「どうしてチェコ語を勉強しているの?」という問いへの答えを準備しておかねばなりませんでした。もちろんプラハはベルリンやパリと比べると小さな街ですし、チェコ語という言語は、英語やドイツ語のようなメジャー言語ではありません。ですから、多くの人にとって、プラハに留学することや、チェコ語を勉強することは、「あえて」なされた選択のように見えます。(実際は、英語やドイツ語を勉強することも、ロンドンやニューヨーク、ベルリンに滞在することも、あるいは、自分の生まれ育った国に留まっていることも、個人がなしたひとつの選択であるという意味では、チェコ語を勉強することと変わりはないはずなのですが……)その気持ちは、わたし自身とてもよくわかります。例えば、熱心に日本語を勉強している外国人の方がいれば、わたしも思わず「どうして日本語を勉強しているの?」と尋ねてしまうでしょう。
 けれども、プラハにいる理由を尋ねられ続けた結果、わたしの心には、「わたしがプラハに住んでいることは異常なことなのかな……?」という気持ちが湧いてきました。いつまで経ってもこの街に受け入れてもらえないという疎外感を感じたのです。これが、わたしが時々プラハで感じていた息苦しさの原因でした。

 ベルリンでは、この疎外感のようなものを感じる機会が少なかったように思います。街の人々は決してフレンドリーなわけではありませんし、日本のように、お店や公共施設でわざとらしい程にこやかな対応をされることもありません。ただ、自分とは出自や社会的立場、生活様式が異なる人々が存在するということが、当たり前のこととして受け入れられているように思います。そう、ベルリンでは、他人とはそもそも自分と異なる存在なのだという認識が共有されているのです。
 そんな当たり前のこと、と思われるかもしれませんが、自分と異なる人々の存在は、多くの街では目につきにくいようにカバーがかけられてしまっているように思います。例えば、ヨーロッパに来た日本人が驚くことのひとつに、物乞いやホームレスの多さが挙げられます。わたしもはじめてプラハで物乞いを見たときはたじろいだものでした。けれども、本当に日本には貧しい人が少ないのかということについては一度よく考えてみなければなりません。貧しい人の存在は、「いない」のではなく「見えなくされている」だけなのではないでしょうか?

 さて、『ベルリンうわの空』の登場人物がモンスターのようないでたちをしているということを上で書きましたが、実はわたしは、この点こそがこの漫画の最もリアルなところではないかと考えています。この作品の登場人物はどのキャラクターも個性的で、ひとりとして似たような姿をした人物はいません。明らかに異なる姿、形、バックグラウンドを持った人々が、それぞれの違いを隠すことなく、隣り合って生活しています。この差異に満ちあふれた光景こそが、ベルリンという街の核をなすものであるように思います。

 わたしは長らく文学を専攻する大学院生として日本社会を生きてきましたが、今にして思えば、それはなかなか無理と苦痛を伴う生活でした。奨学金とバイト頼みで経済的に不安定だったということもありますが、それ以上に、就職して働いている大多数の同級生とは異なる生き方をしているということに後ろめたさを感じていたように思います。はじめて会った人に自己紹介をする時なんかも、「こんな歳になってまだプラプラしてて……」なんて自虐することもしばしばでした。様々な生き方が許されているベルリンという街を経験したり、他人に流されずマイペースに生きるのが得意なチェコの人々と接したりしている間も、「みんなみたいに普通に生きなきゃ」という焦りからはなかなか解放されることはありませんでした。
 その後わたしは大学を離れて、決まった時間に決まった場所で決まった組織のために働くという生活を送ってみたのですが、結局はまた、わたしが想像する「普通の人」とは異なる生き方の方に舞い戻ってきていました。よっぽど性に合わなかったのでしょう。ベルリン滞在からずいぶん経って香山さんの漫画を読みながら、他人と同じようには生きられない自分をようやく許せる気持ちになってきました。そう、他人は他人、自分は自分。そんなふうに意識するだけでも、自分を取り巻く世界はどんどんカラフルになっていくように思います。


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