【プラハのB級ドイツ語文学 読書ノート】エルヴィン・ハイネ『ヴラスタと彼女の男子学生』
エルヴィン・ハイネの『ヴラスタと彼女の男子学生』
今回紹介するのはエルヴィン・ハイネErwin Heine(1899-1948)の『ヴラスタと彼女の男子学生 Vlasta und ihr Student』(1924)。エルヴィン・ハイネも、日本では(というか現在のドイツでもチェコでも)ほとんど知られていない作家なので、まずは例によって作家の経歴を紹介する。
作者エルヴィン・ハイネErwin Heineについて
エルヴィン・ハイネは、現在のチェコ共和国にあるイフラヴァIhlava(ドイツ語ではイグラウ Iglau)の村に生まれた。学生時代をプラハで過ごし、ドイツ民族主義学生団体でも活動していた。Wikipediaによると、卒業後から1934年までズデーテンドイチェ・ターゲスツァイトゥンク Sudetendeutsche Tageszeitung(日刊ズデーテンドイツ新聞)にて新聞記者になり、最終的に主任編集長を務めたと書かれているが、他の百科事典などにはこの事項は記載されていない。ハイネは、現在のチェコ共和国にあるオパヴァOpava(ドイツ語ではトッパウ Toppau)にあるドイチェ・ポストDeutsche Post(ドイツ・ポスト)で新聞記者として勤務しながら文学創作を行い、1934から1938年には同新聞社の主任編集長を務めた。
その後は現在のチェコ共和国にあるジェチーンDěčín(ドイツ語ではテッチェン Tetschen)に移住。在プラハ「ドイツ芸術学術協会 Deutschen Gesellschaft für Kunst und Wissenschaft」にも所属していた。第二次世界大戦後には当時東ドイツに属していたヘルツベルクHerzbergに移住し、1948年、49歳の若さで逝去している。チェコスロヴァキア領内に住んでいたドイツ系住民は、ナチス・ドイツによるボヘミア併合を誘発したとして、第二次世界大戦後に国外追放の憂き目にあっている。ハイネの移住と早すぎる死もこれに関係しているように思われる。
『ヴラスタと男子学生 Vlasta und ihr Student』あらすじ
1920年5月、トラウマンが、足を負傷して外出できないヴェアガートを見舞っていると、チェコ人の彼女を作ってはどうかという話になった。そこにドイツ民族主義学生団体「フランコニア」の代表コイスラーもやって来る。病院を後にしたコイスラーは、トラウマンを誘ってチェコ人の女の子を探しに散歩に出るが、うまく見つからない。二人が諦めてベンチに座って喋っていると、近くにチェコ人の娘が一人やって来た。彼女が泣いていたので、トラウマンはドイツ語で彼女にどうしたのかと話しかける。すると彼女はつたないドイツ語で、務めている役所で書類をなくしたため、上司に解雇するぞと脅されたのと話した。トラウマンは彼女を慰め、二人は仲良くなる。トラウマンとコイスラーは娘を送っていき、トラウマンは娘に対して、明日4時にキンスキー庭園で待ち合わせる約束を取り付ける。
トラウマンと娘は約束通り再会する。二人は改めて自己紹介をする。娘はヴラスタ・ボロフスカーという名だった。二人は民族的な話題を避けつつお互いのことを話すうちに打ち解けてゆき、とうとう口づけをする。彼女と別れた後、トラウマンはヴェアガートを見舞いに行き、経緯を話す。ヴェアガートは、女の子と深い関係にはなれない自分の人生を嘆く。
後日トラウマンは、学生団体の集会で、チェコ人の娘と付き合うなどドイツ人学生にふさわしくないと指摘される。学生団体を取るか、ヴラスタを取るか迫られたトラウマンは、ヴラスタにはもう会わないと誓う。しかし翌日、待ち合わせ時間になると、最後に一目でもヴラスタに会いたいという思いが高まり、結局彼女に会ってしまう。トラウマンが苦悩の余り黙りこくっていたため、ヴラスタは彼が自分に愛想をつかしたのではないかと思い泣き出す。ヴラスタがこれほどまでに自分を愛してくれていると知ったトラウマンは、やはりヴラスタを諦めきれないと悟る。機嫌を直したトラウマンに対して、ヴラスタはチェコ語で話し始める。丘を散歩し、プラハを見下ろしているうちに、二人の会話はいつしかチェコ民族とドイツ民族の対立をめぐる議論へと変わっていった。トラウマンはヴラスタの怒り様に恐怖を抱き、再び黙りこくってしまう。結局ヴラスタはトラウマンに謝り、二人は、お互いに落ち着いて話ができるようになるまで民族の話はしないという約束で仲直りをする。
翌日トラウマンがヴェアガートの見舞いに行くと、ヴェアガートは何とか松葉づえをついて歩けるようになっていた。ヴェアガートはコイスラーから学生団体の会合の経緯を聞いて、トラウマンとヴラスタの関係がどうなったか尋ねる。トラウマンは前日の出来事を一部始終話す。デートの終わりに、ヴラスタが、ソコルで知り合ったチェコ人の男性からトラウマンとの関係について嫌味を言われていたことを伝えると、ヴェアガートは、ヴラスタもトラウマンが学生団体で経験したのと同じ苦しみを味わっているのだろうと意見を述べる。続いてヴェアガートは、怪我のせいで学業を続けられなくなったため、7月から親戚のもとで働くことになったと告げる。
その週末、トラウマンとヴラスタとヴェアガートは、蒸気船で遠足に出かける。しかし、蒸気船に同乗していたチェコ人たちは、ドイツ語を話し、顔に切り傷があるトラウマンとヴェアガートをドイツ民族主義学生団体の学生だと見抜き、二人のことを睨みつける。ヴラスタは周りのチェコ人に彼らはスイス人だと嘘をついて何とかその場を切り抜ける。船上でヴェアガートはヴラスタに愛欲を抱きはじめる。
ヴルタヴァ河畔の村で一日を過ごして帰りの船を待っていると、ヴェアガートは村のレストランに帽子を忘れてきたことに気付く。それを知ったトラウマンは、ヴェアガートとヴラスタを残してレストランまで走ってゆく。トラウマンがいない間にヴェアガートは耐え切れずにヴラスタを抱きしめキスをする。ヴラスタはヴェアガートから逃れて恋人の元へと走っていったが、トラウマンを見つけても何が起こったかを言うことはできなかった。気まずい雰囲気のなか、三人はプラハに戻る。
翌日トラウマンがヴェアガートの家を訪ねると、彼は留守だった。机の上に置いてあったトラウマン宛の手紙を読むと、ヴェアガートは前日ヴラスタに対してしたことを告白し、そのために自殺するつもりであると書いていた。ショックを受けたトラウマンはヴラスタのもとに向かい、彼女に経緯を説明する。二人はヴェアガートを憐れんで共に泣く。ヴラスタが悲しみを共有してくれたことで、トラウマンは、悲しみの絶頂にありながら同時に大きな喜びも感じる。
その後トラウマンは学生団体の会合に向かい、ヴェアガートの死について仲間に話そうとする。しかし、仲間たちはトラウマンがヴラスタと依然付き合い続けていることを批判する。ヴラスタと別れないなら学生団体を辞めるよう迫る仲間たちに対して、トラウマンは学生団体章を返却する。トラウマンは、自分がヴラスタのために学生団体を辞めなければならなくなったのに、彼女がそれについて何も訊ねないのが不満だった。学生団体での会議の後も、同郷のクロイスラーはトラウマンを学生団体に戻ってくるよう誘うが、トラウマンは頑なにそれを断る。
夏休みになって、トラウマンはノイベルクNeuberg(チェコ語ではポドフラヂー Podhradí)の山上にある実家に帰る。帰省中にはヴラスタから、新たに新聞社で働くことになった旨を伝える葉書が届いた。また、ノイベルクの市街に住むクロイスラーからも手紙が届いていた。そこには、夏休みの間に街でドイツ人の祭りを開くから来てほしいと書いてあったので、トラウマンはその祭りに行くことにした。
しかし、祭りは直前に中止になった。チェコ人の体操団体ソコルが、同日に祭りを開催することになったからだ。ソコルの行進を見に行ったトラウマンとクロイスラーは、行進の参加者の一人がビスマルクを揶揄するような絵とザクセン国旗を掲げているのに気づき、それらを奪い取る。チェコ人たちから逃れた二人は駅前に到着する。そこにはプラハからやってきたソコルの会員たちが列車を待っていたのだが、トラウマンはその中に、なんとヴラスタを見つける。ヴラスタはソコルの会員の一人としてノイブルクの祭りにやってきたのだという。トラウマンはヴラスタに対して怒るが、同時に、彼女がドイツ語を上達させるために毎日勉強をしていると聞いて感動し、プラハ行きの最終列車が到着するまで彼女と街をデートする。
トラウマンとヴラスタのことはたちまち街中で噂になった。クロイスラーの家に居づらくなったトラウマンは実家に帰る。家では母が待っていた。トラウマンが母に、ヴラスタのために学生団体を辞めたことを伝えると、これまで愛情深かった母は嫌悪感をあらわにし、トラウマンを「裏切り者」と呼ぶ。トラウマンは家を飛び出し、森の中で思い悩む。自分とヴラスタは、ドイツ人でもチェコ人でもなく人間として、民族対立に満ちた社会から遠く離れて暮らすべきだと考える一方で、自殺して全てから逃れることを望みもする。そこに森番が現れる。彼はトラウマンと、二つの民族の関係について話すが、話は噛み合わない。トラウマンは森番と別れ、ドイツ人とチェコ人が戦いを回避して平和に暮らすためにはどうしたらよいのかと頭を悩ませながら再び家に帰る。
故郷での居心地が悪くなったトラウマンは、新学期が始まるよりかなり早くプラハに戻る。彼は両親からの仕送りが減ったため学生寮に引っ越し、付き合う友人もいないのでひとり読書をして過ごす。新聞社での仕事を始めたヴラスタとは毎晩6時に待ち合わせ、散歩をしたり、劇場に行ったり、チェコ語の新聞を読んだりして過ごした。
新学期初日に、トラウマンはヴラスタに誘われて、スイス人のふりをしてチェコ人の作家のトークイベントに行った。彼はそこで、チェコの知識人たちと交流し、カルチャーショックや政治的な見解のズレを感じながらも、新しく興味深い知見を多く得る。翌朝、クロイスラーが自分の部屋を訪ねてくる。クロイスラーはトラウマンに、ヴラスタと別れて学生団体に戻って来なければ、みんなから裏切り者と見做されうると忠告するが、トラウマンは意思を変えようとしなかった。とうとうトラウマンは、唯一の親友を失うことになる。
ある日、イグラウとテプリツェ Teplice(チェコ語ではテルチ Telč)にあるドイツ系の村で、チェコ軍がヨーゼフ二世の銅像を破壊したというニュースが届いた。イグラウのドイツ人たちはこれに抵抗して像を修復し、チェコ人兵士に反撃をしたという。このことはチェコ語メディアでも話題になり、ヴァーツラフ広場では、チェコ人兵士を傷つけたイグラウのドイツ人たちに対するチェコ人による大規模なデモが開かれた。デモ隊は、トラウマンが住んでいる学生寮をも取り囲んだ。その日トラウマンは、ヴラスタの体調が悪いと聞いて寮に留まっていた。チェコ人による暴力的な行為に絶望しながらも、トラウマンは、ヴラスタに会いに街へ出かけていく。彼は、ヴァーツラフ広場のデモ隊の中にヴラスタの姿を見つけて彼女を引き留める。しかし、ヴラスタは「わたしは自分の民族を愛しているから、ドイツ人であるあなたを愛することはできない」と言ってトラウマンの元を去ってゆく。
こうしてトラウマンは、再びズデーテンドイツ人として自分の民族と故郷に尽くし、チェコ人がドイツ人を恨む限りチェコ人を憎み続けることを決意し、クロイスラーと仲直りをする。
感想
まず、タイトルがおかしい。主人公はトラウマン(ファーストネームはエーリッヒ)なんだから、『エーリッヒとチェコ人の娘』のほうがしっくりくるのではないだろうか? ヴラスタというチェコ人の女性っぽいエキゾチックな名前を入れてドイツ人男性読者の興味を引きたかったのだろうか?
展開も惜しい。せっかくトラウマンが、ヴラスタへの恋心をきっかけにドイツ民族・チェコ民族の共生の道を探求しようとしていたのに、その意思が失恋でこんなにもあっけなく自民族中心主義に舞い戻ってしまう(しかも、反動ゆえにおそらく以前に増して頑ななかたちで)とは。最後のトラウマンの心変わりには少し納得がいかないところがある。ただしハイネはまえがきで、この作品は「想像力で装飾された芸術ではなく――ただ人生が語られたもの、事実が描写されたものである」と語っている。ということは実話をもとにしている可能性が高い。実際はこういうものだったのだろうか?
最終的に自民族中心主義に回収されてしまうとはいえ、主人公のドイツ人学生がチェコ民族に寄り添おうとする姿が注意深く描かれている点は注目に値する。個人的には、物語終盤で、ヴラスタを捨てて学生団体に戻るよう諭すクロイスラーにトラウマンが言った、「誤った考えを持っている人がいるのは、チェコ人もドイツ人も同じなんだ」という言葉が印象的だった。こうしたセリフは、ショーヴィニズムの熱狂から覚め、自分が属する共同体を客観視し相対化する視点を持っていなければ出てこない。この点でハイネは、これまで紹介してきたヴァツリクやシュトローブルのようなドイツ民族主義的作家とは一線を画していると思う。
もうひとつ印象的だったのは、トラウマンがチェコ人の作家のトークイベントに参加した際、チェコ人の知識人が、「今プラハにいるドイツ人は、ほとんどがユダヤ人かズデーテンラントから来たドイツ人学生で、プラハのドイツ人ではない」と語っていたことだ。となると、これまで紹介してきたハイネやヴァツリク、シュトローブル(いずれもズデーテンラント生まれの作家だ)の作品は、「プラハのドイツ語文学」というよりは「ズデーテン文学」考えた方が良いのかもしれない。実際、カフカやマックス・ブロート、フランツ・ヴェルフェル、エゴン・エルヴィン・キッシュなどといった有名どころの「プラハのドイツ語作家」と比べて、彼らの作品は中心となるテーマが明らかにずれている。有名どころの「プラハのドイツ語作家」は、民族対立をバックグラウンドとしてにおわせながらも、より普遍性のある事柄を表現しようとしているが、ハイネ、ヴァツリク、シュトローブル(個人的に、ユリウス・クラウスの作品はこの3人よりは凝っていると思う)は、民族対立という一点にピントを合わせて作品を作っており、恋愛や人生観、思想といったものは二の次になっている。この点がB級文学のB級文学たる所以と言っていいだろう。
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