蔵橋古都世(くらはしことせ)
大人の児童文学 わんちょとじゅんちシリーズ をまとめています
突然ですが私はボーイズラブ(BL) というジャンルに昔から関心があり、 読むだけにとどまらず、 学生時代は二次創作をしていました。 キャプテン翼や聖闘士星矢モノでした。 いわゆる『薄い本』を作って コミケで売ったりもしていました。 社会人になってからは書かなくなりましたが、 それでも読むことは続けていましたし、 文章を書くのは好きなのでブログで エッセイのようなモノを書き続けてきました。 今年に入り久々にBLをまた書きたくなり、 どうせ書くなら誰かに読んでほしいと思い 二
改名しました。 斎藤水無(さいとうみな)改め 蔵橋古都世(くらはしことせ)です。 旧ペンネームは深く考えずに決めましたが、 いかんせん画数がよろしくなかったようで。 今回は画数を調べまくり気に入った漢字と 響きで決めました。 という訳で今後ともよろしくお願い致します。
じゅんち? 人の悪口は言ったらダメなんだわん 悪口やウワサ好きな人と 一緒になっておしゃべりしてると ブーンと回って じゅんちも悪く言われちゃうんだわん せっかくみんなで集まってるのに 悪口は楽しくないんだわん もしお友達の誰かが 悪口を言い出しても じゅんちはふーんって してればいいんだわん 受け取らなきゃ そのお友達もつまんなくなって 他のお友達のこと悪く言うの やめるんだわん そしたらきっとそのあと みんなで楽しいお話が できるようになるんだわん 悪口を言
タイムマシンがあったら 昔に戻って人生やり直したい って思ってたら じゅんち? わざわざ昔に戻らなくても 何回だってやり直せるんだわん 今からだってこれからだって 失敗しちゃったわんって思ったら やり直せばいいんだわん 昔に戻ってやり直したら わんちょじゅんちとこうして 仲良くなれなかったかもしれないし そんなの悲しいんだわん わんちょもお手伝いするから これから一緒にやり直すんだわん わんちょがそう言ってくれた そうだよね 人間何度でもいつからでも やり直しがで
大切なものを失うのが たまらなく怖くなった夜 ねぇじゅんち? 失くしたくない! って気持ちがうんと強くて ぎゅっと掴んじゃうと じゅんちの大事な大事なものは くしゃっと潰れて なくなっちゃうんだわん だから大事なものには 優しくしないと ダメなんだわん? ってわんちょが教えてくれた わんちょのことが大事なので あんまりぎゅっとしすぎないで そっと抱っこして寝よう 幸せだと感じることも 失くすのが怖いからって ぎゅっとしがみついたら きっとダメなんだな わんちょ
わんちょが じゅんち落ち込んでるのわん? しょんぼりしてるんだわん そう言うので うんちょっと凹んでる やらなきゃならないことが 思うようにできないんだ やらなきゃならないこと? それホントに じゅんちがやらなきゃ いけないのわん? じゅんちお疲れなんだわん そういう時は無理しないで 周りにお願いするといいんだわん じゅんちが思ってるほど 周りの人は迷惑だなんて きっと思わないんだわん そういうものなのかも その代わり じゅんちが元気な時に 周りの人が困ってたら
わんちょは時々 少し難しいことを言う と言っても 難しい言葉を使うとか そういうことじゃなくて 言ってることは いたって単純 でもなかなかに鋭い たとえば心配性な私に こんなアドバイスをしてくれる じゅんち心配ごとがあるのわん? 心配するといいことあるのわん? ……ないわんね? なら心配してもしなくても なるようになるんだわん だからそうやって 心配だ心配だって 考え込まなくても 大丈夫なんだわん 今夜もわんちょが そう教えてくれた だから安心して眠るんだ
よく行くスーパーの入口に UFOキャッチャーがある いつもは気にせず通り過ぎるけど その日は中身が入れ替わってて チラッと目をやると 同じ形の犬のぬいぐるみが たくさん入ってた その中の一匹と目が合ったので ウチの子になるかい? と話しかけると なるわーん!とお返事があり 百円玉を入れてその子をキャッチ 一発で取り出し口に滑り落ちてきた ネギやら大根やらの入った スーパーの袋の中に一緒に入れて お家に連れ帰り 名前をつけなきゃね そう話しかけると わんちょだわん!
お祭で買ってもらった風船 ぷかぷかと宙に浮くそれは 見ていてワクワクした 翌日になると床の上に落ちていて とても悲しくなった 今、足踏みしている自分は あの時の風船みたいだ ガスで充してあげたら また浮かぶことができるだろうか
疲労が蓄積すると、身体の弱いところに支障をきたすと聞くけれど。 私の場合、17歳の時に腰を傷めて以来、疲れがたまると腰痛を発症するようになった。 初めて腰を傷めたのは、高校のスキー合宿に行く前日だったので、激痛も参加できない悔しさも、昨日のことのように記憶している。 以来、気を付けてはいるのだけれど、痛みがおさまると腰の時限爆弾のことなどすっからかんと忘れ、無理がたたって再発。 その繰り返しで、30年近くの年月が流れた。 学習しない私は、またしても腰をグギッとやって
noteの存在を知った瞬間、震えた。 母親の介護の傍ら、誰に読まれることもなく、一人せこせこと書いてきた小説やエッセイを、発表できる場があるなんて! しかし。 これまでの自分は、とにかく書くことが大好きで、ある意味「活字中毒」だったのだが。 読まれることがないため、小説やエッセイとも呼べないような、独りよがりの「作文」ばかり量産してきたように思う。 そしてここ数年、プロアマ問わず、誰かが書いた作品に触れる機会が圧倒的に足りていないことに気づいた。 こちらには、幸